第9話 エピローグなのです!

「お姉ちゃ~ん!」

「はーい。どうしたのー?」


 呼ばれて、私は振り返った。

 トテトテと、可愛らしく走りながら、小さな五から六歳くらいの女の子が私に駆け寄り、涙目でこちらを見上げている。


「一体どうしたの、ゼノヴィア?」

「えっとね……とね? 私がお人形で遊んでるとね? お人形テディがとったの!」

「まぁ……本当に?」


 私は苦笑を浮かべて周囲を見渡した。

 すると、件のテディはすぐに発見できた。

 物陰に隠れながら、不安そうな表情で、こちらを伺っている。その手には、可愛らしい少女を模した人形が抱えられている。


「もうっ……ダメでしょう? テディ?」


 私はゼノヴィアの手を握ると、二人でテディの前まで行く。するとテディは、逃げるような真似はせず、不服そうに頬を膨らませた。


「だって……」

「何か理由があるの?」

「…………」

「教えてくれないと、私もゼノヴィアも分からないわよ?」

「…………から」

「え?」

「……最近、ゼノヴィアが……人形ばっかと……遊んでるから……っ」


 テディはそう言って、プイと顔を逸らせてしまう。

 あまりに可愛らしい理由に、私は堪えきれずに笑った。


「そう。寂しかったのね」

「お姉ちゃん?」


 ゼノヴィアが握った私の手を引く。


「テディはね? ゼノヴィアと遊びたかったんだって。でもゼノヴィアが人形とばかり遊んでいるから、寂しくなってとっちゃったんだって」

「……そうなの?」


 純真なゼノヴィアの視線が、テディに向けられる。

 暴露されて恥ずかしいのか、テディは私に恨みがましい視線を向けていた。しかし、いつまでも自分にじっと向けられる視線に耐えかねたのか、テディはゼノヴィアに向け、小さく頷く。


「なーんだっ! そうだったんだ!」


 ゼノヴィアは、手を叩いて言った。

 その瞳には、もう涙の面影すらない。


「じゃあ、一緒に遊びましょ!」


 ゼノヴィアはテディに向けて、手を差し出す。


「……うん」


 テディはその手をおずおずと握る。

 同時に、抱えていたお人形をゼノヴィアに返した。


「行こう!」

「うん!」


 走り去ろうとする二人。

 その間際、私はテディの肩を叩き、耳元に顔を寄せて言った。


「好きな子には、優しくしないとダメよ?」


 カッとテディの顔が紅く燃え上がる。


「そ、そんなんじゃっ……ないよ!」


 最後の抵抗のようにテディはそう叫ぶと、今度こそ止まらず、ゼノヴィアと一緒に駆け出すのだった。











「早いな……あれから、もう半年も経ったのね……」


 そう。あれから。

 リザニウムの街の出来事から、早くも半年が経とうとしていた。

 私は今、ライナーさんとの約束通り、彼の生まれ故郷にいた。

 街とは呼べない、閑散とした村。だけど、その分だけ、人と人との繋がりは非常に強固だ。助け合い、信じ合うことが当たり前とされる、心の澄んだ人々。山の麓にあり、私の適応も早かった。

 そこで私は、孤児院で暮らす子供達の家族として。また、子供達のお世話をする職員として働いている。貴族として、高度な教育を受けた経験を生かして、私は主に教師役を一任されていた。経験を生かせるのは、非常に嬉しい。だけど、教育を施すということは、重い責任もあって、予想していたよりも、遙かに大変な毎日。だけど、とても充実もしていた。

 そして、私は子供達に教えてばかりでもない。

 特に料理に関して。

 孤児院のほとんどの子達は、たとえゼノヴィアやテディのような、ほんの子供であっても、私よりも遙かに料理ができた。

 私も、最近になって、ようやく真面な料理を作れるようになったけど、それでもまだまだ、孤児院の子達には叶わないと日々思い知らされている。

 私の半分以下して生きていない子供達に、あんなにも学ばされることがある。

 それって、ものすごくすごい事なんじゃないかって、このごろ心から思う。

 世の中知らないことばかりで、可能性に満ちている。

 私も子供達に、一つでも多くの可能性を見せてあげたい。そんな、教師のような事を本気で考えている自分がいた。まぁ、教師なんだけれども……ね。


 そして、彼にも――。


「ただいま」


 重々しい、鈍い音を響かせながら、協会のドアが開いた。

 差し込む日差しに、私は瞑っていた目を開く。


「久しぶり、シアン。見ないうちにずいぶんと信心深くなったもんだな」

「……おかえりなさい、ライナーさん。別にそこまで信心深くなったつもりはありませんよ。ただ、神様はいるのかもしれない……そう思う出来事があったものですから」 

「ほぅ? そんな出来事が?」

「ええ。ちょうど、半年ほど前に……ですね」

「そうか。それは良かった」

「はい。まったく」


 言葉を交わしながら、ライナーさんが私の隣に座る。 


「久しぶりに……街へ行ってみたよ。正直、けっこうビクビクしながら行ったんだが、思いの外歓迎してくれてな」

「そうですか」

「アリッサにも会った。シアンに会いたいって言ってた」

「嬉しいですね」


 アリッサさんには感謝してもしきれない。いずれ、お土産を持って挨拶に伺わないと……。


「そうそう。露天街のおっさんはまだ落ち込んでたぞ。シアン……相当酷い事言ったみたいだな」

「そ、そんなことは……あるような、ないような……」


 言ったつもりはないけど、酷い態度はとってしまった。急いでいたとはいえ、あまりに失礼だった。


「あのおっさんは、あの街が廃れてた頃からあそこで露天を開いている人でな、街の中でも特に俺によくしてくれた人なんだよ。……だから、あの人にだけは、俺のやろうとしてることを話したんだ」

「…………」

「当然、反対されたよ。ものすごい勢いでな。でも、俺が翻意する気がないと悟ると、一番協力もしてくれた。俺にもしもの事があった場合の事を引き受けてくれてたんだ……」

「そうだったん……ですね」

「ああ。だから、俺があいつらに止めを刺さなかったって知った時は一番驚いてたな」


 ライナーさんが笑う。


「おっさんの言うことは聞かなくても、可愛い女の子に言うことは聞くんだなって……嫌味まで言われたよ」

「っ」


 可愛いって!? い、いや! ライナーさんが言った訳じゃないからっ! 

 それでも、心拍数は自然と上がってしまう。

 ライナーさんは、そんな私に追い打ちをかけるように、こっちを見て……。


「まぁ、実際……おっさんの言う通り、なんだけど……さ」


 恥ずかしそうに、言った。


「……え?」


 信じられなくて、聞き返してしまう。

 だけど、ライナーさんはそれを聞こえなかったかのように、強引に話題を変えた。


「あっ! それでさ、シアンの話なんだけど」

「え、あ! はい!」


 私も、高鳴る鼓動を抑えて、無理矢理話を合わせた。


「シアンの方は……その、いいのか?」

「いいのか……とは?」


 なんとなく要領を得ない。

 ライナーさんにしては、珍しい事だった。何やら、気を遣われている。


「あれだよ。……シアンの、家族のことだよ」

「ああ……それですか」


 『昔』の家族を思い出せば、少しだけ、心が冷静になる。それでも、前程じゃない。今の私は、子供達に『お姉ちゃん』と呼ばれても、何かを思い出すこともなくなった。


「いいんですよ、それは。……もちろん、お母様には会いたいですけれど、思う所がない訳でもないですけれど……私には、もう大事な『家族』がいますから」


 私を受け入れてくれた人達。

 あの人達を、悲しませることだけはしたくない。


「そもそも、私はライナーさんの復讐も止めたんですよ? そんな事、望むと思いますか?」

「ま、だろうな」


 ライナーさんは、背もたれにグデッと身体をもたれさせた。

 家族にしか見せない、彼の素の姿。

 それを私に見せてくれるのが、嬉しくて、少しだけ悲しい。


「でも、ま、真実を明らかにするくらいは、許されるだろう?」

「え?」


 その時のライナーさんは、やはり悪魔の笑みを浮かべていた。

 すごく悪い顔。きっと、いや、間違いなく、またよからぬ事をしたに違いない。


「スタンリー王子の父親――――つまり国王にな、隠し子が発覚したんだ」

「はぇ!?」


 びっくりして大声を出してしまう。

 協会内に反響して、私とライナーさんは同時に耳を手で押さえた。


「――――っぅ! と、とにかく、そういう事だ。隠し子は母親共々、国王によって厳重に隠されていたらしいんだが、この度、何らかの偶然か、発覚してしまったんだ」


 し、白々しい!

 そんな偶然がある訳がない。特に、王様が本気で隠し通そうと思っていたのなら。


「そして残念ながら、落ち着いていたはずの跡目争い勃発! ……という訳だ。シアン、風の噂で聞いた話だと、けっこう人望あったらしいじゃないか? シアンが一方的に婚約を破棄されて追放されたと知った国民はそれはもう怒っていたらしいぞ。そこにきて、この騒ぎだ。下手すれば、国が二分しかねないぞ」

「……私のために……」


 私のために、怒ってくれた人がいたんだ……。

 その事実は、私の胸を否応なく熱くさせた。

 だけど、一つだけ気になる事もあった。


「その隠し子さんは……本当にそれでよかったのでしょうか?」


 跡目争いが落ち着いていた時期でさえも、陰謀は変わらず渦巻いていた。何よりも恐ろしいのは、貴族の思惑。相応の責任があるにも関わらず、一部には、国民よりも自らの富の事しか考えない不届き者がいることを私はよく知っている。

 跡目争いをするということは、それに巻き込まれるということを意味しているのだ。


「それに関しては、本人が決めたことだ……らしい。きっと暴露した奴は、子供の味方で、子供が望まない事はしないんじゃないかな?」

「ふふ、そうですね」


 たまに酷い事はするけれど、裏切ったりは決してしない。

 その『義賊』さんは、そういう人に違いない。


「じゃあ、俺そろそろ行くわ」

「え!? もうですか?」

「ああ、ちょっと顔見ておこうと思っただけだからな」

「そ、そんな……」


 ライナーさんは、たまに気が向いた時にしか、帰ってくることはない。彼は常にいろんな街を渡り歩いて、時たま親のいない子供や、虐待を受けた子供を連れ帰ってきたりする。村に滞在する期間もまちまちで、一年に二三度しか帰らなかった年もあるそうだ。

 だから、このままライナーさんを行かせてしまうと、また何ヶ月も会えないかもしれない。

 もし、その時に、次会うときに、彼が女性を連れて帰ってきたら……。

 それを恋人だと紹介されたら、私は笑って迎え入れることができるだろうか?


「っ!」


 想像するだけで、気分が重くなってくる。

 私は、いつの間にか、ライナーさんが――。


「あ、あの!?」


 協会のドアに手をかけたライナーさんを私は呼び止めた。


「ん?」


 ライナーさんが振り返る。

 いつか言えなかった事。

 スタンリー様には、結局最後まで、本音でぶつかることができなかった。あんなにも近くにいたのに……。

 その後悔を繰り返す訳にはいかない。

 踏み出すんだ! 一歩!


「……っ……っっ!」


 私はズンズンとライナーさんに近づくと、一息に言った。


「しゅ……しゅきですっ!! ……あ、あぁ……っ!?」


 だけど、あまりの緊張から、噛んでしまう。

 最低最悪の失敗。

 恥ずかしさにあまり死にたくなる。

 笑われる! そう思った。

 でも、


「っ……お、おぃおぃ……あぁ……っ!」


 笑い声の変わりに帰ってきたのは戸惑いと、そして羞恥の苦悶。

 見上げると、ライナーさんは頬を私と同じくらい赤らめていた。

 一瞬だけ目が合い、すぐに逸らす。


「…………」

「…………」


 沈黙。

 その沈黙が嫌じゃない。

 たまらない嬉しさと、恥ずかしさに満ちた沈黙。


「あー……しょうがねぇな……」


 先に回復したのは、ライナーさん。

 彼は自分の頭をガシガシ搔くと、


「い、一度しか、言わないからな」


 そう言って、私を見据えた。

 私の視線は、彼の碧い瞳に吸い込まれる。

 女性のように繊細な唇から、小鳥の囀りのように、その一言は紡がれた。


「……俺もシアン好きだ……」


 呟くような言葉。

 だけど、それだけで私には十分だった。


「いつからそうだったのか……たぶん、シアンに命を救われた時から……シアンの事が子供に見えなくなってた……ああ……その、いい女、だったんだなってさ……」

「っ!」


 歓喜。言葉では言い表せない幸福感。

 だが、私はそこで止まらない。

 もっと、もっと欲しい。

 ライナーさんに近づきたい。

 私はライナーさんに身を寄せる。


「……キスしてください」


 一歩のみならず、もう一歩。


「後悔するなよ?」

「しませんよ」


 顎を持ち上げられる。

 彼の唇に触れるよう、私は自分から背伸びをした。

 触れあった瞬間――。


「……んんっ……ふぁ……」


 涙が零れた。

 教会の鐘の音が鳴る。

 まるで祝福するように、鐘の音は、私達の声をかき消した。

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