第8話 修羅場にも、いつか終わりが来るのです!
大量の金貨を手にした時に、私は決めた。
それは――このチャンスを決して逃さない事!
しかし、そう時も経たないうちに、残念ながら金貨は私の手から離れていった。
「……このお金は、もう私の物じゃない……からね」
手元には、ずっしりとした重み。
ライナーさんから預かった、ライナーさんのお金。
もちろん、完全に納得した訳じゃない。
お金に対する未練のようなものは、未だあった。
でも――。
「家族……かぁ……」
家族。
ライナーさんが、お金の変わりに私に与えてくれると約束してくれた存在。
いや、違うわね……。
正確には、私がお金の変わりに手に入れるチャンスを得たもの。
血縁があっても、家族になりきれない。それが他人であるなら、なおさらの事だ。私は今から、すでにできあがっている枠組みの中に入っていくきっかけを与えられたにすぎない。
困難だ。困難に決まっている。
「……ふふっ」
でも、そんな当たり前な困難なら、私は大歓迎だ!
不幸でも、理不尽でもない。
それは、至極当然の事。
この一年の間、私には与えられなかった、普通で、当たり前の現実。
その一部になれるのであれば、私は喜んで困難を受け入れよう。
私のもう片方の手には、ライナーさんに渡された、彼の故郷へ行くための地図が握られていた。
「はい! 次の方!」
呼ばれて、私は前に一歩進んだ。
「お待たせしました。入街の際に渡された資料はお持ちですか?」
「あ、はい」
短く髪を刈り上げた精悍な男性憲兵さんに問われ、私は用意していた資料を手渡す。資料に軽く目を通した憲兵さんは、軽く瞠目し、すぐに平静を装った。
「……なるほど。貴女が……」
どこか、尊敬の念の籠もった視線を向けられる。
資料には、それとは別に、一枚の用紙が添えづけされている。ライナーさんからのメッセージ。そのおかげか、街を出る際には必ず義務づけられている荷物検査を躱すことに成功した。さすがに今金貨を見られれば、私だけでなく、ライナーさんの立場すら危なくなってしまうので、ほっと一息。
それにしても……ライナーさんって本当に尊敬されてるのね……。
目の前の彼の反応を見る限り、それは間違いないみたいだ。
信じられないようで、信じられる。
ライナーさんは天邪鬼だ。
本心を簡単にさらけ出したりはしない人。
「お気を付けて」
憲兵さんに敬礼をされる。
周囲に多少注目されて、私は若干おどおどとしてしまう。
「……は、はい」
顔を伏せて頷いて、憲兵の前を通り、門をくぐろうとして――。
「大変です!!」
大声が、その場に響いた。
私は、思わず足を止める。
「どうした!? 騒騒しい!」
年配の憲兵さんが、大声を出した若い部下を嗜める。しかし、部下はそれを気にした風もなく、また、焦りを隠そうともしていなかった。
「そのような場合ではありませんっ! 例の組織の連中を確保している最中に大多数は無事確保できたのですがっ……主犯格に逃走されてしまいました……! しかも、予想していたよりも相手の規模が大きく、現場の部隊だけでは、確保済みの者らを押さえ込むのに手一杯でして……」
「なんだとっ!? それで、逃走した相手はどうなっている!?」
「それが……」
若い憲兵さんは、一瞬口籠もる。
「早く言わんか!」
「は、はい! 逃走犯をライナーさんが単独で追って行かれました!」
「っ!?」
年配の憲兵さんだけでなく、事務所中で動揺が起こったのが、私にも見て取れた。そして、私自身、動揺を抑えきれない。
ライナーさん! どうしてそんな危ない真似を!?
憲兵さんの言い分からして、ライナーさんが追っているのは一人ではないのだろう。もしかすると、昨日私が追われた人数よりも多い可能性すら十分にあった。
「くっ! やはりあの件をライナーさんは気に病んでいたのか……っ」
年配の憲兵さんが、沈痛な表情で呟いた。
「……僕も昨日話をライナーさんから聞いた時に、もしやとは思いました。しかし、単独で行動するなんて……」
それは、決してライナーさんの独断専行を咎めている様子には見えない。むしろ、自分の至らなさを恥じているようにすら見えた。
「……あ、あの!」
私は、気付けば門の前から引き返し、彼らに声をかけていた。
「え?」
彼らは予想外の場所から声をかけられ、虚をつかれていた。でも、その時の私には、そんな事を気にする余裕などはなく――――
「そのお話! 詳しくお聞かせ願えませんか!?」
胸に宿る衝動と焦燥感に押されるように、私は彼らに詰め寄ったのだ。
「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿っ!」
私は走っていた。
心の内から漏れる言葉を隠すこともせずに。
「私にあんなに馬鹿って言ってくせにっ!」
苛立ちが止まらない。それはきっと、私が抱くには、似つかわしくない感情なのだろう。私はライナーさんと出会ってから、総合しても一日に満たない付き合いしかない。
だけど、私はこうも思うのだ。
気持ちの問題に時間は関係ないのだ――――と。
だから、別に不思議な事じゃない。
私は自分にそう言い訳をしながら、全速力で走った。
走りながら、私の脳裏には、憲兵さんと交わした会話が蘇る。
「婚約者……ですか?」
「ああ」――――と、年配の憲兵さんは頷く。彼はライナーさんとの付き合いも長く、特に深い恩義があると語っていた。そして、この街に、ライナーさんに恩義を感じていない人は、ほとんどいない……とも。
「ライナーさんには、それはそれは大事にしておった女性がおった。しかし……」
そこまで言って、年配の憲兵さんの表情が曇る。
「今からちょうど一年前くらいのある日、その女性は亡くなってしもうたのだ……。業火に焼かれ、口を大開にした壮絶な表情を浮かべながら……」
「そ、……それって……」
私は、思わず絶句した。
それは疑いようもなく、今ライナーさんが追っている組織の犯したと思われる犯行。そして、すべての元凶となったであろう、鞄の中身を巡ってのことだろう。
つまり――。
「……復讐、ということですか?」
「そうとしか、考えられんな。今となっては……」
年配の憲兵さんは、重々しく頷く。
「ライナーさんは婚約者を失った後、最初の一月こそ荒れた生活をしておったが、やがて普通の日常生活を送り始めた。彼は強いお人だ。今回の強引なやり方も、彼の正義感からきているものだと、我々は疑いもせなんだ」
彼らの間には、それだけに信頼関係を気付くに足るモノが、確かに存在していたのだろう。私の知らないライナーさんが、そこには存在していた。
「しかし、実際はそうではなかった。……ライナーさんは普通を装いながらも、復讐の機会を伺っておったのじゃ……。そして、恐らくは……」
年配の憲兵さんの目が、細められた。唇を、血が出そうな程に強く噛みしめている。
「主犯格をわざと逃がしたのだ……。自らの手で、裁きを下すために」
「そ、そんな!」
気付けば私は、悲鳴じみた声を漏らしていた。
「ライナーさんは頭は回るが、腕力に優れているタイプではない。だから、組織を一人で相手取る方法は選べなかったのだ……。そして、今回。入念に準備して、根回しをした。その結果、思惑通りに主犯格を引き離して――――」
それが、私の聞いたライナーさんのすべて。実際はあの短時間で語りきれる内容であるはずもなくて、もっと苦悩とか、深い事情や絶望とかがあったに違いない。
でも、そんなのとはまったく関係なしに、私の胸中に宿る色は一色だった。
「……っ……嘘つきっ」
走りながら、私は吠えた。
ライナーさんは嘘つきだ。私が子供だから助ける……そんなのは、欺瞞に満ちた答えだったのだ。
ライナーさんと私は似ている。
喰えないライナーさんの事だ。私の隠していた事情なんて、お見通しだったに違いない。
そう――――形は違えど、私達は婚約者を失っている。
一方は絶望の渦中で。もう一方は、幸福の最中で。
状況は正反対。だけど、結果は一緒だった。
そんな私だからこそ、ライナーさんは手を差し伸べてくれる気になったのだろう。
そうでなかったら、一体誰が、いずれ家族になっただろう相手のお金を盗んだ相手を救う気になるだろうか。
『そんな目で見てもだめだぞ? これはもう、俺のだから』
あの時、彼はあの一言を、一体どんな気持ちで言ったのだろうか。
今なら言える。
そのお金のすべてはライナーさん、貴方のものなのだと!
だって、そうでしょう?
何もかも燃えてしまって、形すら、面影すらなくなってしまった中で。
あのお金だけは、形を残したままであったのだから。
ライナーさんにとって、あの金貨は金貨以上の価値あるものだったに違いないのだから。
大切な人、家族が残した、唯一形としてあるものなのだからっ!
「……ごめんなさいっ……ライナーさんっ!」
そして、私は他の誰でもなく、ライナーさんに謝罪しなければならない。
知らなかった事とは言え、彼にとって命と等価であるようなお金に、手を付けてしまった。
悔やんでも……悔やみきれない。
だけど!
「殺さないでっ! ライナーさん!」
復讐は、きちんとした手続きと手法の元で行うべきだ。
ライナーさんは、自分を義賊と呼んでいた。
だけど『殺人』は明らかにその領分を越えている。
最初は何様なの! この人!? なんて、思ったけれど、私は胸を張って『義賊』と名乗れるライナーさんのままでいて欲しい。
それは、紛れもなく、私の我が儘だ。
でも、私は我が儘を言うのをやめたりしない。
何故なら、私は彼の言う通り、子供だから。
聞き分けのいいだけの女には、もうウンザリなのだ!
「シアンちゃん!?」
走っていると、偶然にもアリッサさんとすれ違う。
私は迷うことなくアリッサさんに近づくと、手に持った鞄を差し出した。
「す、すみません! アリッサさん! どうか何も聞かず、この鞄を預かってくれませんか!?」
「へ? ……えぇ?」
アリッサさんは戸惑うような声を上げる。
当然だ。私だって、同じ事をされたら似た反応をするだろう。
しかし、アリッサさんは私と違って大人だった。すぐに我を取り戻す。
「……ま、まぁ、いいけれど」
困惑しながらも、アリッサさんは特に事情を聞くでもなく、鞄を受け取ってくれる。だが、受け取った瞬間、その両手は重量に引っ張られて、アリッサさんは前屈みの体勢になってしまう。
「っ! 重っ! ちょっと、シアンちゃん!? 一体これ何が入ってるの!?」
「あ、あはは……それは、言えないんです……ごめんなさい。でも、それは、私の恩人の何よりも大事なモノなんです」
「言えないって…………はぁ、仕方がないわね……」
アリッサさんは、呆れたように溜息をついた。長い髪を掻き上げると、その口元に苦笑を浮かべる。
「……本当に、放っておけない子……ね」
「え?」
アリッサさんは、鞄を握り直すと、それをゆったりとした動作ながら持ち上げてみせる。
「シアンちゃん、そんなに細いのに以外と力あるのね。……それも若さってことなのかしら?」
「わ、若さはそんなに関係ないかと……」
森暮らしによる影響だろう。無駄に筋肉がついてしまって、昔着ていたドレスが少しだけキツくなってしまったのは、私だけの秘密だ。
「さ、急いでいるんでしょう? もう行きなさいな」
アリッサさんに、お尻をはたかれる。
「きゃっ!」
飛び上がって驚く私を見て、アリッサさんは笑った。
「事情は分からないけれど、やらなければならない事があるんでしょう? 貴方の大切な人の大切なモノは私が責任を持って預かるわ。ああ、心配しなくても大丈夫よ? 私の雇っている護衛はそんじょそこらの男なんかには負けないんですから!」
言いながら、アリッサさんは力瘤を作ってみせる。だけど、残念ながら、その腕には筋肉の片鱗さえ見えなかった。
私は毒気を抜かれ、自分がとても緊張していたことに気付いた。
自然と、笑みが浮かぶ。
「うん、良い笑顔ね。前にも言ったように、貴女には笑顔が似合うわ。その笑顔をずっと浮かべていられるよう、自分に正直に生きなさいな」
「……はい」
アリッサさんは事情を何も知らないはずなのに、その言葉は、まるで私の背中を押してくれているように感じる。
「何か協力できる事があれば、言ってちょうだいね。シアンちゃんは……私のお友達なんですから」
「っ!?」
私は、思わず目頭が熱くなった。
――『お友達』
私の事をそんな風に思ってくれている人がいるなんて、想像もしていなかった。
だけど、今だけは、私は零れそうになる涙を懸命に堪えた。
「ありがとう……ございますっ! でも、大丈夫です。これは、……これだけはっ……私がやらなければいけない事ですから!」
ケジメは自分でつけなければいけない。
私に新しい道を示してくれたライナーさん。恩人の彼に出来ることは、私にはないのかもしれない。だけど、大切な人を失ったライナーさんの気持ちを誰よりも理解してあげられるのは、同じ思いを経験した私だけだと思うから。
このまま、助けられっぱなしではいられない。
どんな形でも、このまま終われば女が廃るってものでしょうっ!
「行ってきます!」
「いってらっしゃい」
見送りの言葉を背に受け、私は再び走り出した。
「はっ……はっ……はっ……っ」
不思議なことに、長い距離を走り続けても昨日よりも遙かに呼吸は楽だった。それだけ、余分な力が抜けている証かもしれない。
それとも、
「はっ……やるべき事がっ……見えたって……はっ……ことかなっ!」
私のやらなければいけない事。
それが、ここ一年で一番はっきりとしている。
こんな大変な状況で、昨日よりも恐ろしい世界に飛び込もうとしているのに、こんなにも心は晴れやかだ。
そうして、私は走る。
すると、ようやく露天街まで辿り着いた。
報告に来た憲兵さんによると、ライナーさんが向かったのは、この方向で間違いないはずだ。
「あの人達……心配しているんだろうなぁ……」
私は憲兵さん達に事情を聞くなり、すぐさま走り出してしまった。いくつもかけてくれた制止を声を、すべて無視して……。
それもそうだろう。私のやろうとしていることは、無謀としか言いようがない。
私はただ一言をライナーさんに伝えるために、策もなく突き進んでいる。
やっぱり、ライナーさんの言う通り、私は馬鹿なのだ。
でも、そんなどうしようもなく馬鹿な自分を少しだけ好きになれそうな気がしている。叶うならば、どうか人に愛される馬鹿になりたいと思う程に。
そうして、私が息を切らせて走っていると――――
「お、お嬢ちゃん!?」
聞き覚えのある声に、私は振り返った。
「店主さん……」
「一体どこへ行こうとしているんだ!? 危ないからすぐに引き返しなっ!!」
その声は切羽詰まっていて、余裕がなかった。職人さん特有の頑固そうな顔立ちが厳しい表情を形作っているからか、非常に迫力があった。
「ライナーさんの所へ行きます」
「馬鹿を言うな!!」
怒声が全身に突き刺さる。
私はそれを怯むことなく、真っ正面から受け止めた。
覚悟を決めた私に、こんな胆力があるなんて、私自身驚きだ。
「と、とにかく! そっちは危ないんだ! 今すぐに! 引き返せっ!」
店主さんは焦りを隠そうともしない。
同時に、店主さんの言葉に、私は引っかかりを覚えた。
「『そっち』? 店主さん、もしかして、ライナーさんがどこにいるか知っているんですか?」
「だ、だからどうした!? お、俺は絶対に喋らないぞ」
露骨に店主さんは顔を逸らす。
私は確信を得て、店主さんに詰め寄った。
「お願いします。時間がないんです。知っているなら、ライナーさんがどこにいるか教えてください」
「だ、だから、言えない。引き返すんだ」
詰め寄ると、店主さんの態度は明らかに沈静化した。
それは、何かを恐れているようにも見える。
「お願いします。ライナーさんを助けたいんです」
「それは……俺だって……」
「なら、教えてください」
「…………」
繰り返す。その度に、店主さんの意気は弱まっていく。
最後に、私は念を押すように言った。
「お願いします。知っていることを教えてください……」
「っ……分かったよ」
店主さんは肩を落とした。
それだけで、店主さんの身体が一回り以上小さくなったような錯覚を受けた。
「俺だって……本当はこんなことっ……望んでなかったんだ」
「……」
「ライナーさんには恩もある。リザニウムにいくつも盛況な街現存する中で、廃れかけてたこの街を盛り上げてくれた。もちろんあの人にも何か思惑はあったんだろうが、こうして俺が店をやれているのもライナーさんのおかげだ。だから……本当に、俺は……」
「店主さん」
いつまでも続きそうな店主さんの話を私は強引にせき止めた。
店主さんは顔を上げる。
私の目を見ると、そこに何か感じ入るものでもあったのか、顔を俯かせると、露天街にある一つの路地を指さした。
「ありがとうございますっ!」
私はしょんぼりとする店主さんに背中を向けると、再度走り出す。
きっと、店主さんとライナーさんの間にも、いろいろとあったのだろう。
だけど、それは日常を取り戻した後で、いくらでも話ができることだ……。
奥まった路地の中。
細いその路地の中には日光があたらず、じめじめとしていた。
街中にはないゴミが、乱雑な撒き散らしており、まさしく街の暗部といった印象。心なしか、気温も下がったような気がして、肌寒さを覚える。
しかし、私は迷わず突き進んでいく。
すると――。
「へっ! 手間取らせやがってっ!」
剣の籠もった声。
複数人の悪意の籠もった笑い声が、私の耳に届く。
死角となる角に身を隠しつつ、私はそっと、その先を盗み見た。
「一人で俺らに勝てるとでも思ってのかい? あぁん?」
「っ!」
ライナーさんっ!!
ライナーさんは右腕を後ろ手に拘束されていた。かなり強い力で固定されているのか、ライナーさんは苦悶の表情を浮かべている。
「俺はずっとお前が気に入らなかったんだ……」
動けないライナーさんの髪を強引に掴んで、一人の男が彼の顔を上に向かせる。
鋭く尖ったモヒカンに出っ歯。鬼を想起させる程に目つきの鋭い男。
私がぶつかった男だ。
彼を取り巻くように、二人の似通った風貌の男が脇を固めている。
あれ? 逃げたのは、五人じゃなかった?
そう思って、周囲を軽く見回すと、少し離れた所にもう二人は倒れ伏していた。一瞬死んでいるのではとゾッとするけど、背中が僅かに痙攣して、私は胸を撫で下ろす。
「気取りやがって……。街の奴らに持ち上げられるのはそんなに気持ちがいいかよ? あぁ?」
リーダー格の男は、ズボンのポケットに入れてあったナイフを取り出すと、晒されたライナーさんの喉に、その切っ先を突きつけた。
「てめぇが街に来てからというもの、俺らは街の汚物扱いだ」
昨日、ライナーさんに聞いた話。
今は街の不良でしかない彼らは、元は街のいろんな業務を引き受ける、なんでも屋のような事をやっていたらしい。だけど、それは街が貧しかったから、街の人達は多少粗野であっても、低賃金で引き受ける彼らにお願いするしかなかった。
しかし、街が開かれて、豊かになると、状況は変わった。街の中からも、そして、外からも、いろんな展望を持つ人々が立ち上がり、集まった。そうした変化の中で、彼ら不良を頼りにする人も、また減っていったのだ。
正直、彼らにも、同情すべき点はある。街が豊かになったとき、彼らにしてみれば、掌を返されたように感じただろう。これまで、貧しい街のために尽力してきた自負や、プライドもあったかもしれない。
だけど!
それは、決して犯罪を犯す理由にはなりえない。どんなに、貧しくても、苦しくても、辛くても……。
もちろん、私にしても、過ちを犯すべきではなかった。
どんな形であれ、努力すべきだった。一度や二度裏切られたくらいで、屈するべきじゃなかった。逃げるべきじゃなかったんだ……。
「くっ……ははっ……くははっ……」
路地に、ライナーさんの乾いた笑みが響いた。
ライナーさんは全身傷だらけで、頬は酷く殴られたせいか腫れている。
しかし、その不敵な笑みは一切変わらなかった。
ナイフを突きつけられた、今でさえも。
「ああ……嬉しいね。お前らみたいなゴミ野郎共が『私は不幸です!』みたいな情けない顔を浮かべてるのを見るのはな……。ついでに街の人達の幸せそうな顔を見られれば、言うことなしだ」
「てめぇっ!」
「ふざけんなっ!」
恐れを知らないライナーさんの挑発じみた言葉に、一瞬で取り巻きが燃え上がる。
唯一冷静を装ったリーダー格の男と、ライナーさんの視線が、一瞬交錯した。
「彼女を……あの人達の家をどうして燃やした……? 金だけ奪えば良かっただろう?」
絞り出すような、ライナーさんの声。
「ああ、確かに、目的は金だった。」
「ならっ……何故だ?」
「……お前と一緒だよ」
「なんだと?」
ライナーさんは、一瞬虚を突かれたように、静止した。
「幸せそうな奴が絶望する。それ以上に面白い見世物が他にあるか?」
「……貴様!」
ライナーさんは、カッと目を見開いた。
それは、紛れもない憎悪。
「これが最後だ。俺たちに屈しろ。そうすれば、命だけは助けてやる」
プツッと、ナイフの切っ先がライナーさんの肌に僅かめり込む。流れる一筋の血。
「……断る!」
堂々と宣言されたライナーさんの拒絶。
リーダー格の男は、数秒視線を宙に彷徨わせて、言った。
「そうか……じゃあな」
冷たく、殺意すら感じさせない声色。
リーダー格の男は機械のように、ナイフを押し込もうと力を入れかけて――。
「やめて!!」
突如その空気を掻き乱した、私という第三者の登場に、リーダー格の男は瞠目した。
「馬鹿な……女だと!? これだけ近くにいる人間の気配に、俺が気がつかないなんてっ……」
しかし、同時に、それは明確な隙となる。
「はっ!」
「うぉっ!」
ライナーさんは腕を拘束していた取り巻きの拘束が、私に注意がいって弱まっているとみるや、肩の関節を自らはずして拘束から脱する。
そのままの勢いで反転し、ライナーさんは取り巻きの顎に掌底を叩き込んだ。
「ぁ……ぉ……」
為す術もなく、意識を刈り取られて崩れ落ちる取り巻きの一人。
しかし、そうこうしている内に、もう一人はすでに混乱から脱していた。
ナイフを構え、距離を詰めようとするライナーさんに向ける。
だが、ライナーさんは受け身にならず、向けられたナイフを一顧だにせず、自分から一気に距離を詰めた。ナイフの切っ先は揺れている。距離を詰められることを想定していなかったのか、近づくライナーさんのどこを狙っていいのか、迷いがあるのだ。
最終的に、その迷いが命取り。
ライナーさんが取り巻きのナイフを持っている手を、自身の無事な方の手で掴む。そこを起点に捻り上げると、取り巻きは苦悶の声を上げながら、ナイフを落とした。
丸腰になった取り巻きを、ライナーさんは苦もなく絞め落とす。
残るは一人という状況になって、今度息を飲んだのは、ライナーさん……と私だ。
「きゃあああっ!」
リーダー格の男はライナーさんには目もくれず、私に向かっていた。
勝ちを確信したようなリーダー格の男の表情。その表情が、何よりも男の目的を物語っていた。
わ、私を……盾にするつもりだっ!
十分想定できた、最悪の事態。
「馬鹿っ! 逃げろ! シアンッ!!」
ライナーさんの絶叫が木霊する。
だけど、リーダー格の男と私との距離は、もう幾ばくもなかった。
このまま捕まれば、私はライナーさんを私のせいで殺してしまうかもしれない。いや、きっとそうなるだろう。
だったら、悲鳴を上げている暇など、もうなかった。
私はここに、迷惑をかけに来たんじゃない! ライナーさんを助けに来たんだっ!
覚悟を決める。
「ライナーよぉっ! お、俺の勝ちだ! は、はははっ!」
リーダー格の男が私に手を伸ばす。
あれ? どうして……こんな……。
その姿は――――何故か、私には酷く隙だらけに見えた。
接近する。
ライナーさんが何事か、大声で叫んでいる。その内容は、私の耳には入ってこなかった。
リーダー格の男が、私の肩に手を置く。そのまま背後から私を拘束しようとして。
「え?」
次の瞬間、リーダー格の男は、宙を舞っていた。
簡単な事だった。
私は、まるで赤子の手を捻るように、リーダー格の男を投げ飛ばしていた。
「はぇ?」
たぶん、私が一番ビックリしていた。
リーダー格の男が、あまりにも弱いという事実に……。
「お……おおっ!?」
ライナーさんが、目をまん丸に見開いている。
そして、一言。
「シアン……その、なんだ……。さすがは……武家の娘だな」
「は、はぁ……ありがとうございます?」
私は、腐っても武家の生まれ。幼少から厳しい鍛錬を課せられてきた。でも、父や妹とは違って才能には恵まれず、自分は弱いと思い込んできた。
だけど……。
「あれ? 私って、もしかしたら強いのでしょうか?」
どうも、鍛錬の相手があまりにも強かったせいで、自分の強さを勘違いしていたらしい。天才の中に入れば凡才だけど、そうでなければこれくらいの事はできた……らしい。
「まぁ、何にせよ、助かったよ。ありがとな、シアン」
ライナーさんは言いながら、伸びてピクリとも動かないリーダー格の男に歩み寄る。リーダー格の男は、女に投げ飛ばされた挙げ句、間抜けな顔で失神していた。
その表情を見て、ライナーさんが笑う。
「は……ははっ……まったく、酷ぇ間抜け顔だな。……こんな奴、殺す価値もない。そうだよな? それでいいんだよな、シアン?」
「……はい」
私は、深く頷いた。
私がどうしてここへ来たのか、聡明なライナーさんには見抜かれていた。
「正直、こいつへの恨みは消えない。もしかしたら一生な……。だけど、俺はシアンに命を救われた。シアンがいなかったら、惨めに死んでただろう。……だから、シアンの判断に従うよ」
「ライナーさん……」
ライナーさんは、私が見たこともない程、気の抜けたような表情を浮かべていた。大きな肩の荷物を、ようやく下ろした時のような、安らかな顔。
私と初めて出会った時に、彼が浮かべていた顔。
きっと、これが本当のライナーさんなんだ。
「……もう一度言う。シアン、ありがとな」
「……こちらこそ、ありがとうございます。そして、ごめんなさい……。ライナーさんの大事な方達のお金に勝手に手を付けたりして……」
「……いいんだ。もう、いいんだ……」
確かに、ライナーさんは安らかな顔を浮かべていた。
だけど、同時に、今にでも消えてしまいそうな程、儚げだった。
私はライナーさんの手を握る。
そして、ライナーさんに伝えたかった一言を告げた。
「ライナーさんは、一人じゃないですよ」
「っ!?」
私は一人は嫌だった。
誰かに触れたかった。
温もりが欲しかった。
そんな私に、ライナーさんはどれも与えてくれた。
だから、今度与えるのは、私の番。私にそんな価値があるのか分からないけれど、できる限りのことはしたい。もう、諦めないって決めたんだ。
「……暖かいな……シアンは……」
肩を震わせながら、ライナーさんは言った。
その顔を私は見ない。
だから、彼がどんな表情を浮かべているのか、まったく分からない。
「当たり前じゃないですか。だって、私は女の子なんですから」
「……女は暖かいのかよ?」
「そうですよ? 知らなかったんですか?」
一瞬の間。それから、ライナーさんはしみじみと呟く。
「いや……そういえば、そうだったな。……ああ、暖かいもんだったなぁ……」
私達は、これまでにない気恥ずかしさを覚えつつ、憲兵の到着を待った。
憲兵が到着し、不良改め犯罪組織の主犯格を拘束して、私とライナーさんの一年がかりの、長い長い修羅場は終わったのだ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます