第7話 作戦を立てましょう!

 地下室には、複数の出入り口があった。その内の一つは、もちろん、私が逃げ込んだ家。そして、もう一つは――。


「え? ……ここって……」


 思いもしない場所に出て、私は目を見開く。

 それは、まるっきり知らない場所だったゆえの驚きではなく、むしろ逆。


「私の……家?」


 アリッサさんに紹介してもらった物件。私がしばらくの間、寝泊まりしていた場所だった。


「……どうして?」


 私は、地下から続く梯子を悠々と昇ってきたライナーさんを振り返る。その視線は、些か厳しいものになっていたが、仕方のない事だろう。

 ライナーさんは「あぁ」と、したり顔で頷くと、


「俺がこの家をシアンに貸した家主だけど、それがどうかしたか?」


 平然と、そう言ってのけた。

 私はクラリとよろけるも、なんとか踏ん張って耐える。


「い、一体……どこからがライナーさんの計画通りなんですか?」


 ライナーさんと一緒にいると、まるで自分が操り人形にでもなったかのような錯覚を受ける。彼に目をつけられたその瞬間から、私の末路は決まっていたのかもしれない。


「も、もしかして、ア、アリッサさんも?」


 もしここで、アリッサさんもライナーさんの仲間だと言われれば、私は今度こそ本気で失神していただろう。だけど、幸いな事に、


「いや、彼女とは見知った仲だが、俺の仲間という訳じゃない。むしろ、俺の裏の顔を知ったら、彼女は激怒するだろうな」


「はぁ……」


 ほっと一息。

 どうりで二重に設置してあったはずの鍵が役に立たないはずだ。

 私は改めて、警戒心も露わに、ライナーさんに問いかけた。


「本当に、ライナーさんは一体何者なんですか?」

「ん?」


 ライナーさんは、微笑みを浮かべ、振り返った。本性を知っているのに、一瞬その美しい微笑みに私は心奪われそうになる。


「さっきも言っただろう。俺は子供の味方で義賊だよ」

「……義賊って、ものすごく都合のいい言葉ですよね」


 これからは、自らを義賊と名乗る人物を決して信じないようにしよう……。私はライナーさんを胡散臭そうに眺めながら、心の奥でそう強く誓った。











「で、これから私はどうすればいいんですか?」


「あぁ……ちょっと待て。話はお茶を飲んでからだ」


 紅茶のおかわりを注ぎ、カップをライナーさんの前に滑らす。ライナーさんは湯気の立つカップを口の前に持って行くと、まず香りを堪能するように目を瞑った。気の済むまで彼はそうして、ようやく優雅にお茶を啜る。


「良い腕だ。……お前はこれで喰っていけるんじゃないか?」

「紅茶を入れるだけで、それは言い過ぎですよ」

「そうでもない。どんな些細な事でも、とことん極めれば、そこに価値を見いだす存在は必ず現れる。……俺のようにな」

「……考えておきます」

「そうしろ」


 紅茶を入れるだけで生きていけるとは私には到底思えない。貴族の世界では、お茶なんて入れられて当然の事だ。まぁ、私はその中でも上手な方だと自負しているけれど……。

 ライナーさんは、紅茶をもう一口啜る。その瞬間、彼の表情が明らかに和らいだ。


「っ!?」


 初めて見るその表情。それがあまりに新鮮で、心を掴まれたような気分になる。

 さらに――。


「うむ。旨い」


 納得するように、ライナーさんは何度も深く頷いた。


「あ、ありがとうございます……」


 彼に褒められることは、予想以上に嬉しかった。家族やスタンリー様に褒められた経験はもちろんある。だけど、私の周囲にいた人々は、皆一様に舌が肥えていた。

 だから、その……心からの素直な賞賛が、どこかむず痒い。


「……ふぅ」


 十分ほどで、ライナーさんが紅茶を飲み終わる。

 それと同時に、ライナーさんは口火を切った。


「現状をまとめよう」

「はい」

「今、問題となっているのは、例の不良軍団――――いや、こういった名称は相応しくないな……そう、犯罪組織だ。奴らに俺たちは狙われている。原因は、この鞄」


 ライナーさんが鞄を掲げる。側面の傷に、色合い。間違いなく、例の鞄だ。


「奴らは放火及び殺人の疑いが濃厚で、見つかればどんな手段を使って俺たちに襲いかかるか分からない。ゆえに、そうならないために、何らかの策を講じなければならない」

「…………」


 私は無言で頷く。


「で、だ」


 ライナーさんの目が細められる。


「やるべき事はシンプルだ。ここで奴らを叩く!」

「……え?」


 予想外の発言に、私は数秒硬直した。


「で、でも、あの人達の視界から逃れることができたんですから、あとは逃げればいいんじゃないんですか?」

「おいおい。鞄の中身をお前も当然見ているだろう? あれだけの大金を奴らがみすみす見逃す訳がない。逃げた所で、死に物狂いで探すに決まっている。奴らの影にビクビク怯えて過ごすなんて、俺の趣味じゃないな」

「しゅ、趣味じゃないって……」


 そもそも、誰のせいでこんなに面倒な事態になっていると思っているのか……。

 現時点で一番安全なのは逃げることだ。もちろん、逃げた場合には、焦げ痕という特徴のある金貨銀貨を使用することはできなくなる。だけど、私自身、もうこのお金に手を付ける気は失せていた。最初から、私の身には余る代物だったのだ。


「お前、お金をもう使いたくないとか思ってるな?」


 考えを悟られたのか、ライナーさんは正確に突いてくる。


「お前はそれでよくても、俺が嫌なんだ。元の持ち主はどうせあの世だ。だったら俺が有意義に使ってやる」

「……私の事を守ってくれるんじゃなかったんですか?」


 ライナーさんは澄まし顔で言う。


「それはそれ。これはこれだ」

「……最低です」

「お前に言われたくはないな」

「うぐっ!」


 まったくその通り。少なくとも、私の言えた義理じゃない。


「シアン……お前は失言が多いな。もう少し考えてから言葉を口にすることをおすすめするよ」

「ライナーさんこそ、もう少し相手の気持ちを考えてから発言することをおすすめしますよ」

「はっ。口の減らない小娘だ。……ま、それも子供の特権か」


 訳知り顔で呟くライナーさん。私は彼の繰り返す『子供』という単語に反応してしまう。


「……子供扱いしないでください!」


 それこそ子供の戯れ言だ。今の私が子供でなくてなんなのか。

 それを分かっているにも関わらず、私は何故か自分を制御できずに、過剰反応してしまう。


「寝言は寝てからいいな。お嬢ちゃん」


 返ってきたのは、失笑混じりの言葉。

 さらに言い募りそうになる自分を、なんとか押さえ込んで、私は唾を飲み込んだ。


「……相手を叩くってライナーさんは仰りましたけど、具体的にはどうするんですか?」

「ああ、実はそれについては考えがある」

「考え?」


 ライナーさんは、またしても口端を歪め、邪悪な笑みを浮かべる。


「ここに、とある資料がある」


 私の部屋の床――――正確には、ライナーさんに私が借りている部屋の床。そこの一部をライナーさんが外す。すると、そこには小さなスペースながら、空洞が広がっており、中には紙の束が収められていた。


「これは俺がこの一年で集めた奴らの放火事件に対する調査資料だ。これを俺が所属している憲兵の部署に持ち込んで、奴らをしょっぴく」

「……そんな事が可能なんですか?」


 印象でしかないが、一憲兵が持ち込んだ資料を元にして、組織が直ぐさま動いてくれるだろうか? もちろん、決定的な証拠があるなら別だろう。だけど、一年もの間公にしなかった所を見ると、そうである可能性は低いように思えた。


「普通の憲兵には無理だろうな」

「普通の?」

「その通り。だけど、俺はいわゆる普通の憲兵じゃない。考えても見ろ、普通の憲兵が持ち家を複数所持できると思うか?」

「そ、それは……」


 無理だろう。ただでさえ、この国で家を所持することは極めて難しいのだから。


「俺が憲兵なんかをしているのは、入街申請の際に、シアンのような獲物を選別するためだ。そして、家を所持しているのは、貴族を家に泊めて、盗聴なんかで悪どい商売なんかを事前に察知して、潰したり、強請ったりするためだ」

「……うわー」


 あくどい。……私の想像していたよりも、二三段飛ばしで、ライナーさんのやっている事はあくどかった。そして、やはり貴族は汚い。


「まぁ、それで得た金で、孤児院のみならず、俺はこの街に多額の融資もしている。だから、表向きは一憲兵だけど、それなりの発言力はあるのさ」

「……なるほど」


 なんか納得がいかないけれど、特に反論すべき点もなかった。残っているのは、やはり私の個人的な感情の問題なんだろう。

 ライナーさんの話を聞けば聞くほどに、彼を遠い存在だと思うなんて、今の私はどうかしている。知り合って、まだ一日すら経っていないのに。ライナーさんがいい人なのか、悪い人かすらも、判別できないというのに……。


「まぁ、捕らえることができれば、奴らを正式な司法機関へ送れるだろう。今となっては、決定的な証拠もあることだしな」

「決定的な証拠……ですか?」

「ああ」


 ライナーさんの手元で、キラリと何かが光った。ライナーさんが手に乗せたそれを、私に見せてくれる。


「……金貨? ……でも、それって」

「ご明察」


 その金貨には、焦げ痕がついていた。言われてみれば、その痕は明白だ。何故私はそれに気付かなかったのか、不思議で仕方がない。……私が気付いていたから、どうなる問題でもないのだけれど。


「これはシアンが入街申請の時に使った金貨。それ以外にも、お前は露天街で金貨を使っているな?」

「はい。確かに、使いましたけど……」

「露天街のおっさんには、すでに交渉済みで、前金を握らせてある。いずれ裁判ともなれば、金貨を使ったのは犯罪組織の奴らだと証言してもらえるようにな」


 そ、そこまでやりますか!? 普通!

 もし仮に、私を追ってきた彼らが無罪だとしたらどうするのだろうか。恐らくはそうではない確信がライナーさんにはあるのだろう。それでも、私には決してとれない手法だ。

 私は呆然と立ち尽くした。どんどんと進んでいく話に、半ば置いてきぼりになっていた。


「憲兵は消えたお金を捜索して手を尽くすも、肝心の金はどこかに消えているって寸法さ。その隙に乗じて、シアンは逃がす。奴らはお前の顔は見ていても、俺の顔は見ていない。そもそも、シアンの場合は鞄を実際に手にしていた俺と違っていくらでも言い訳がきくしな」 


「つまり、お金は――」

「そう」


 ライナーさんが私を見据える。


「お前が持って逃げるんだ」

「っ!?」


 大人ぶって偉そうな事を散々言っておいて、結局私を利用するんですか! と、正直言いたかった。だけど、ライナーさんとしては、私を利用しているとは思っていないのだろう。私はどのみち逃がさなければならない。だったら、ついでにお金も持って行かせよう……そんな軽い気持ち。

 ライナーさんは、酷い人だ。悪人から平気で搾取をして、陥れたりする。だけど、同時に、私にしているように、他人を助けたり、子供を大事に思っていたりする一面を持っている。

 そして確かな事は、ライナーさんは、私の味方だということ。敵に回すと、これほど怖い人もいないけど、味方にして、これほど頼もしい人も、きっといない。


「シアンの力が必要だ。できるか?」


 ライナーさんは問いかける。私ができないと首を振れば、彼は無理強いはしないだろう。でも、ライナーさんの性格は最悪だから、私がどう答えるのか、分かっているに違いなかった。


「……やります。やらせてください!」


 悔しい。とても悔しい。

 別に、ライナーさんに本気で恋愛感情を抱いた訳ではなかった。スタンリー様の呪縛は、想像以上に強い。もし、今この瞬間に彼が謝りに来て、やり直したいと言ってきたら、私に拒否できる自身はなかった。

 だけど――。


 それと同じくらい、私は彼の力になりたかった。

 愚かだと笑うがいい。

 所詮、私は男に追随するしか能のない女だと、嘲笑うと言い。

 それでも……それでも……それでも!


「……お前泣いてるのか?」


 ライナーさんの戸惑い声。

 どこか遠くから聞こえるような気がした。

 それはきっと、私が喜びを感じているから。

 笑顔を浮かべながら、泣いているからだろう。


「ライナーさんのお役に立てて……私、嬉しいです……」


 誰かに必要とされること。

 それが、こんなにも嬉しくて、幸せなことだと、初めて知った。

 ライナーさんは、色のない世界に色を与えてくれると言った。

 たとえ彼がどんな悪人だとしても、関係ない。

 私を必要としてくれる彼に、どこまでもついていこう。

 私はそう誓うのだった。

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