後編
その部屋、あるいは焼け落ちた部屋の名残には、しゃくり上げる声が響いていた。
部屋の隅で、あの少女シィラが膝を抱えて涙を流していた。結局、死ねなかったのであろう。
その横では例の大男が彼女の頭に手を乗せていた。どうやら、頭を撫でているつもりらしい。実際には、まるで鍋にこびりついた汚れを落とすかのような、乱暴な手つきではあったのだが。
「…………痛い」
しばらく時間が経ったあとで、シィラは口を開いた。
「仕方ねぇだろ。この腕や手をこんなことに使ったのは初めてなんだよ!」
「なにそれ……、妹とか、居ないの?」
「俺は、生涯孤独だよ。物心ついた時にゃ貴族様の奴隷だったし、がたいがよくなって反逆してやったら、剣闘士奴隷なんかにさせられてた」
男はカラカラと笑って言っていたが、少女は涙を止めると青ざめた顔で「剣闘士奴隷……」と呟いた。
「知ってるだろ? 隣の国の悪趣味な闘技場のこと。俺はあそこで、猛獣や人間を殺しまくってたわけだ。見世物として、命がけでな」
「……あなたは辛くなかったの?」
「そうだなぁ……今ならあのときの感情が辛かったんだとわかるけど、ずっとその日その日を生き残ることに必死だったな。ま、徴兵とやらのおかげで監視が手薄になって、ようやく逃げだせたんだけどよ」
未だに笑ったまま語る彼に対し、シィラは信じられないものを見たといった表情を浮かべる。
彼女は知っていたのだ、あの闘技場で行われているものがどれだけおぞましいものであるのかを。なにせ他ならぬ彼女自身が、あの観客席で弁当を片手に、笑いながらそれを眺めていた一人であったから。
時に屈強な男が獰猛な獣を縊り殺すことに熱狂し、時に涙ながらに猛獣から逃げようとした男が結局食べられてしまうことに腹を抱え、時に人間同士が殺し合うときに立ち上る血の匂いに陶酔する。そんな人間の輪の中に、かつて彼女は居た。
全てを失った今、それがどれだけ歪な行いなのか、彼女はようやく理解したのだ。
またシィラは泣き始めてしまい、男は困った表情を浮かべた。
「お、おい、どうしたよ。泣き止んだじゃねえのかよ」
「そ、そうじゃなくて。ご、ごめんなさい……」
「はあ? 何でオメエみたいなガキに理由もなく謝られなくちゃいけねえんだよ? ぶっ殺すぞ、こら」
「違う……違うの……!」
シィラはやっとのことで、彼女自身もあの見世物を楽しんでしまった一人であることを謝るのであった。
けれどその男は「なんだ、そんなことか」とあっさり答えるのみだった。
「そんなこと、なんかじゃ、ないでしょ。それで死んだ人だってたくさん居るのに……! 貴方だって、死にそうになったことぐらいあるでしょ……!?」
「そりゃあ、今生きてるのが奇跡みたいなもんだけどよ」と前置きをした上で彼は続けた。
「それは少なくともお前が――シィラだっけか?――が悪いわけじゃない。強いて言うなら、ただそれを良しとする文化が悪かった、俺の生まれた時代がついてなかった。それだけに過ぎん。だから、オメエみたいな小娘が、抱えられもしねえ責任を感じてピイピイ泣いてんじゃねえ」
そう言ったあとで、彼は思い出したように周りを見渡し「家がこんなことになっちまった奴に言う説教じゃねえな」と呟いた。
その口調が、あまりに優しさに満ちていて、シィラは小さく笑みをこぼした。
「抱えられない責任、か……。ねえ貴方、名前はなんていうの?」
「そんなん聞いてどうすんだ」
「いいから!」と彼女が叱りつけると、男は小さく「アルヴァだ」と呟いた。
「そう。アルヴァ、ね。うんカッコいい名前じゃない。ねえ、アルヴァ――」
「ちょっと黙れ!」
いきなり怒鳴られて顔を歪めてしまったシィラに対して、アルヴァは慌てて付け足した。
「ああ、違う! うるさいと思ったんじゃなくて――いや思ったんだけどよ――怒鳴ったのは、獣の気配がするからだ!」
ちょうどそのとき、まるでその言葉を待っていたかのように、部屋に数匹の狼が現れた。
アルヴァは立ち上ると、後ずさりをしたシィラを庇うように、一歩前にでる。先ほどシィラが、結局膝の高さまですら持ち上げることのかなわなかった大剣を、軽々と持ち上げながら。
狼たちは警戒の色を濃くして、唸り声を上げる。
「どうするよガキ。あいつらならお前のことをちゃんと無慈悲に殺してくれると思うぞ?」
「……冗談。私、やりたいこと――いえ、やらなくちゃいけないことができたから、こんなところじゃ死ねないわ」
「やらなくちゃいけねえこと?」
「ここを生き残れたら教えてあげる。だから助けなさい」
アルヴァは下手くそな口笛を吹く。そして小さく笑って「楽勝だな」と呟くと、狼たちに声を張り上げた。
「残念だったな犬っころ! ま、安心しろよ。ちょうど腹減ってたんだ。見世物としてじゃなくて、きちんと生存競争の一環として殺してやるよ」
そして彼は剣を振るった。力強く正確な剣舞は、数の不利をものともせずに、一振り一振りで確実に一つの命を絶っていく。
「すごい……」と呟くシィラだったが、彼女のもとに一匹の狼が飛びついて来た。
思わず閉じた目を、数秒の後に開けると、返り血を多分に浴びたアルヴァが狼の尻尾を掴み、軽々とぶら下げていた。必死に吠える狼をアルヴァはうるさそうに一瞥すると、そのまま振り回して壁にぶつけて首をへし折る。
どうやらその狼が最後だった様子。
「あ、ありがとう……」
「おい、命のやり取りをしてる場所で目を閉じるんじゃねえ。死にてえのか。次は助けないぞ」
「ご、ごめんなさい」
アルヴァは舌打ちをし、その後もシィラのことを見下ろし続けた。
「ご、ごめんって言ってるでしょ!?」
「そうじゃねえよ。……お前が言ったんだろ。ここを生き残れたら、そのやらなきゃいけないこととやらを教えるってよ」
「え? ああ、それ? 大したことじゃないわ。私は国を取り返して、貴方みたいな人の居ない、平等な国を創るってだけよ」
なんでもないことのようにそう言われ、アルヴァはその細い目を零れんばかりに見開いた。
「おい。自分が何を言ってるのか、わかってんのか……? 元王女とはいえ、後ろ盾も何もかも失った小娘一人で何ができるっていうんだよ?」
仮にこの国が、この館が、こんなことになっていなかったとしても荒唐無稽な夢物語。そんなものを口にした彼女は、なおも微笑みを絶やさない。
「私一人じゃないわ。だって、貴方がいるでしょう?」
シィラは、アルヴァを指さしながらそう言った。
アルヴァは呆気にとられ、もはやこれ以上開きようのなくなった目だけではなく、口をもポカンと開く。そして突然、大きな声で笑い始めたのだ。
「ビッ――クリしたぁ……。アンタね、急に笑わないでよっ! ていうか、手伝ってくれるわよね? 歴史に名を残す偉大な女王の、一番の家臣になれるのよ。貴方には身に余る光栄でしょう?」
「おう、いいぜ」
「そうよね、貴方みたいな馬鹿はそう言うと思ったけどよく考えなさ――え?」
「馬鹿はオメエだろ。よく聞け。俺はお前の手伝いをしてやろうって言ってんだ」
間抜けな表情を浮かべるのは、今度はシィラの番だった。
「嘘? 本当に? 夢じゃなくて?」
「俺が嘘を言う柄に見えるか? どうせ山賊として生きるしかねぇかと思ってた命だ。なら、そういう馬鹿げたことに使うのも悪くない」
「ありがとう……! 本当にありがとうっ!!」
そう言うと、シィラはアルヴァの巨体に飛びついた。よく見れば彼女は泣いているようだった。
アルヴァは小さくため息をついて、できるだけ繊細にシィラの頭を撫でるのだったが「だから痛いってば!」と言われていた。
こうして二人は旅に出て、後に宣言通りに、歴史に名を残すこととなるのだが、それはまた別の物語である。
焼け跡に注ぐモノ 置田良 @wasshii
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます