焼け跡に注ぐモノ

置田良

前編


 黒い粒子が、月光の下で踊る。

 それを巻き起こすのは一つの足音。焼け落ちた館を歩く、一人の少女。

 ランタンを手に持つ少女がその一歩を進めれば、淡い光がまた一つその悲惨な焼け跡を明らかにし、闇もまた一つ無情な黒炭を覆い隠す。

 しかし、彼女が通り過ぎランタンの光も届かなくなった場所に、月の光に微かに煌めくものがあった。それは、彼女の涙の跡だった。



(一体私が何をしたというのよ……!)

 少女はずっと、心の内で叫び続ける。この館には、彼女の思い出がたくさん詰まっていた。


 しかし、この館は焼け落ちた。異国から攻めてきた人々の手によって、この辺り一帯には残虐の限りが尽くされたのだ。彼女は、この国の王女であった。もっとも、簡単に攻め滅ぼされる程度には小さな国ではあるのだけれども。


 とある家の地下に匿われ、奇跡的に生き延びた彼女がこの場所をさ迷うのは、死地を求めてのことである。

 親しい者を数多く亡くした彼女は、せめて何か思い出の詰まった品を抱いて眠りたいと思っていた。けれど、この焼け跡にはもはや、そのようなものは一つも残っていなかった。少しでも貴重そうなものは既に盗られた後であったのだ。


 しかし、彼女が過去の記憶を頼りに、己が自室としていた部屋にたどり着くと、一つランタンが照らし出すものがあった。

 照らされた先に在ったのは、大柄な男の姿だった。



     *  *  *



 男は非常に困っていた。突然現れた少女が、自分の姿を認めると、途端、大きな声を上げて泣き出してしまったのである。


「お、おいガキ。人のこと見てその態度は、随分と失礼なんじゃねぇか?」

 二人に面識はない。それもそのはずである、彼はつい先日まで、ある地獄に捕らえられていたのだから。彼は腰に剣を携え、その体には幾つもの刀傷がある。またその体躯は大きく、そこな少女の身長では彼の腹までしか届かないほどであった。


「あれか、お前も宝石の一つでも落ちてねえか探しに来たくちか。だったら残念だったな。もうここには割れた食器の一つもねえよ」

「ふざけないで! ここは私の家よ、ドロボー!」

「はあ、何言ってんだ小娘。この国の王族は皆死んだって言われて――」

「生きてるわよ、ここに! 私が、国王の一人娘、王女のシィラよ!」

 男は一つため息を漏らす。この男にかかれば、ため息一つとっても、辺りの灰が舞い上がるほどの大きなものとなる。


「はいはい。寝言は寝て言いな。もし本物の王女様だっつうんなら、もし生きてたとしても、こんなとこに居ねえで、とっくにどっか逃げてるだろ」

「逃げる場所なんかないわよ!」

「はあ? 知らねえよ。仮にそうだとしても、敵兵が近くに居るかもしれないこの辺りには来ねえだろ。命が惜しいんだったらな」

 彼がそう言うと、少女は唇を噛んで、小さく呟いた。


「命なんか惜しくないわよ……」

「ァア?」

 男はそこで初めて、その少女のことをまともに見た。すすにまみれてはいるものの、派手な装飾こそないが上質な布でできた服、柔らかそうな肌に艶やかな長髪。確かに、随分と良い身分で育ってきたらしいと思われた。


「じゃあ、オメエは何でこんなとこ来たんだよ?」

「子供が自分の家に帰っちゃダメなのかしら?」

「家って言われてもよお……」

 彼は、屋根も焼け落ちた、見るも無残な部屋を見渡す。


「わかってる。おねがい、言わないで……。でもいいでしょ別に、自分の家で……眠るくらい……」

「……お前、死ぬ気なのか?」

 男の神妙な問いかけに、彼女は涙ながらに頷いてみせた。


「どうやって死ぬ気だ?」

「自決用に、ナイフを渡されているわ」

 彼女が取り出したそれを見て、男は鼻で笑う。


「なんだそれ。精々料理用じゃねえか。それで死ぬのは結構骨だぞ? 仕方ねえ、コイツを貸してやるよ」

 そう言うと男は、腰の鞘から剣を引き抜くと、彼女の足元へそれを転がした。甲高い金属音を上げながら、剣が止まる。


「そいつは俺をここまで生かした剣だ。その鈍らよりも楽に確実に死ねるだろうよ」

「ちょっと、こんな物、持てないわよ。重くて」

「何を言ってやがる。死ぬ気になりゃそれぐらい楽勝だろうよ。それともなんだ? 本当は死ぬ勇気なんてないんじゃねえのか?」

 男はそう言うと、大きな声で笑い始めた。


「ふざけないで……私は、本当に死ぬつもりで……」

「ああ、わかってる」

 男はもう数回「わかってるわかってる」と繰り返すと真顔になって「介錯はしてやらねえからな」と呟くと、一度部屋を後にする。

 ミシミシと響く足音は確かに遠ざかり、部屋にはシィラが居るばかりとなった。


 彼女は、涙ながらに唾を飲み込んで、残された剣の柄へと、震える手を伸ばした。



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