Ep.8 HARUNA 8

「だったら、拳銃はやめてもらいたいな。大事な娘を無残な姿にはしたくない」

〈ローレンス!〉

 あたしは悲鳴を上げるように叫んだつもりだったが、声にはならなかった。あたしに口出しさせまいと、ローレンスが遮断したにちがいない。

〈そ、そんなにアッサリあきらめてしまうっていうのか! な、何考えてるんだよ!〉


「ほう。なら、絞め殺されるほうがましだというんだな。よかろう。おまえの望みどおりにしてやる」

『若』が拳銃をズボンの後ろへ差し込み、両手をパタパタと握ったり閉じたりしながら凶悪な表情で迫ってくる。相手は、双極拳のペアだとかいう小男と同じく、たかが非力な小娘と見てまったくなめきっている。


 ローレンスは完全に力を抜き、抵抗する意思をまったく見せようとしない。あたしの動きもまたローレンスに封じられてしまい、指ひとつ動かせなくなっている。

『若』は無造作にあたしの首に手をかけると、その感触を確かめるようにゆっくりと締め上げはじめた。


(ローレンスは『若』を徹底的に油断させ、最後の最後の瞬間にあたしに力を解放してくれるつもりなんだ。増幅されたあの力をもってすれば、いくら手強い『若』だってひとたまりもない。きっとそうにちがいない……)

 あたしはそう信じた。

 なのに、その瞬間はいっこうにやって来ない。苦しさは増す一方で、自分では気力をふり絞らなきゃいけないと思うのに、意識はその苦痛から逃げようとするようにどんどん混濁していくばかり……。


 と、そのときだ――

 あたしの手が勝手に持ち上がった。

『若』の拳銃を奪うつもりなのか、とあたしは一瞬思い、『若』もそれに気づいてとっさに腰を後ろに引いた。

 だけど、手はすこしのためらいもなくスッとさらに上のほうへさし伸ばされ、眼の前の『若』の額にやわらかく触れた。

 そのとたん、『若』の身体が感電したようにビクンッとそり返った。


「ウウ……何だこれは……何をしているんだ……?」

 苦しげに歯を強く食いしばりながら、『若』はうわ言のように言う。

 その顔からたちまち血の気が引いていき、全身がワナワナと震えだした。その間も、あたしの手のひらは貼りついたように『若』の額から離れない。

 首にかかる力がフッと弱まる。

 とっさにあたしは、締め上げている『若』の手を振りはらった。

 すると『若』は、ヨロヨロとみっともなくよろけて後ろに尻モチをつく。


 あたしは弾かれたように立ち上がると、パッと跳びすさって距離をとり、すばやく戦いの構えに入った。本能的な、完全にあたしの動きだった。

 あたしはたちまち悟った――いつのまにか、あたしの中にいたローレンスの気配がすっかり消えている。


 ローレンスは『若』の身体に乗り移ったのだ。


『若』は驚きの表情を顔に張りつけたまま、眼に見えない何かの力に引きずられるようにズルズルと窓辺に寄っていく。

「よ……よせ。やめる……んだ」

 尊大だった『若』の声が、哀れっぽくうわずる。


 だが、彼の身体は自分の意思に逆らってはい上がるように窓枠に身を乗り出すと、なすすべもなく虚空にむかって身を投げた。

 温室の屋根を突き破る音、枝がバキバキと折れる音、ドサッと地面に激突する衝撃音がそれにつづく。


「キャーッ――」

 キャティが上げたらしいかん高い悲鳴が、庭の周囲の壁に反響しながらあたしがいる部屋の窓まで届いた。


「ローレンスっ!」

 叫ぶが早いか、あたしは猛然と部屋を飛び出し、地下の隠れ家へと駆け下りていった――。



 キッチンの勝手口は開け放たれていて、パパたちが先に庭に駆けつけていた。

 戦闘服姿のキャティやシンイチローの顔も見える。黒服たちは気を失ったり縛られたりして庭の隅に転がされている。戦闘はほぼ終結したにちがいない。パパたちは、数メートルの距離をとって何かを取り囲んで立ちつくしていた。

「おお、ハルナ。無事だったか」

 急いで庭に出ると、パパが真っ先にあたしに気づいた。大げさに抱きしめようとしたりしないのは、今はとってもありがたかった。


 あたしはうなずき返すと、すぐに彼らの輪の中心に倒れている『若』の横にひざまずいた。

「ローレンス! ローレンス!」

 あたしがその名で呼びかけると、その場の全員がたちまちギョッとしたり不審そうな顔をするのがわかった。でも、今は彼らに複雑きわまるいきさつを説明しているひまはない。


「ハ……ルナ」

 ローレンスが反応した。顔つきや身体は『若』以外の何ものでもないけど、うっすらと開いたまぶたからのぞく眼差しは、まちがいなくローレンスのものだった。

「しっかりして!」

「私はもう……」

 とやっとのことで言うと、ゲボゲホとせき込んだ。口からドッと血があふれ出す。


「早くあたしの中にもどって。そうすれば助かるよ。そうだろ?」

「いや。もうその力はない……転移するには、意外と体力も必要なのさ」

「そ、そんな……やっと本当の父親だってわかったのに」

「ああ、そのことを伝えられてよかった。もう私に悔いはないよ。長い、長い人生にも……な」

「お父さん! お父さん!」

 あたしは『若』の中にいるローレンスにすがりつき、せいいっぱい呼びかけた。


 その言葉を聞いたパパたちが、今度こそいっせいに息をのむのがわかった。どれほど信じがたいことが起こっているのかにようやく気づき、彼らは沈黙してあたしとローレンスの会話に聞き耳を立てている。


「最後の謎を解かないと……」

 弱まっていく声をしぼり出すようにして、ローレンスがあたしの耳元にささやいた。

「え?」

「おまえが探していた滝沢礼子の行方だ……彼女は、姫の母親の中にいる」

「な、なんだって?」


「私は姫に隠して彼女と姫の母の三人で同居し、彼女はどうにか心の平穏を得ていた。ところが、老女が一度危篤状態におちいったことがあった。そのとき、滝沢は、自分が転移すれば彼女の命を永らえることができるんじゃないかと私に申し出たのだ」

「そ、そんなことが……!」


「ああ、成功の可能性はなくはないし、滝沢の気持ちは痛いほどわかった。だけど、かなり難しい作業だったよ。まず私が滝沢に転移し、彼女の人格をまるごと抱えるようにして老女に乗り移った。そして、衰弱した老女の体力を滝沢の意思の力でおぎなうことで、やっとのことで私は自分の中にもどることができたのだ。滝沢礼子にわずかでも迷いやためらいがあったなら、私の人格はどこかに宙ぶらりんになったまま消え失せていたことだろう……」


「それじゃ……」

「いや。老女の痴呆は脳の収縮――つまり、衰えによるものだ。彼女の中にひっそりとひそんでいるはずの滝沢にも、もう自分が滝沢礼子だったという意識はほとんどなく、老女と一体化しているにちがいない。だが、クルセイダーズのみんなと写った昔の写真をときどき取り出しては、じっと見入っていることがあったな。ほのかに微笑みながらね……」

 オヤジの病院の地下にあったのと同じ写真にちがいない。あの映像を思い浮かべると、あたしの眼から涙がとめどなくあふれた。


『若』の身体から最後の力が抜けていくのがわかった。

 眼は閉じられ、ふたたび開くことはなかったけど、その安らかな表情は『若』とは似ても似つかない、皮肉っぽい笑みをうっすらと浮かべたような、完全にローレンスのものへと変わっていた……。

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