Ep.8 HARUNA 7

「私の〝頭脳〟という、いわばソフトディスクにも容量の限界はある。生まれも最初の転移ももう憶えてないし、不要な記憶は意識的に消去してきた。だが、確実に言えることは、人を心から愛したのは白雪和子が初めてだということさ。恋愛とは、その時空の中にたまたま同時に存在する者たちに起こる奇跡のような化学反応なのだ。同じ空気、同じ運命を共有するから等価な愛が育まれる。不死者にはそれがない。たまさか恋することがあるとしても、それが愛という形に結晶することは自分にはけっしてありえない……と思いつづけていたのだがね」


「それが起こっちゃったんだね……」

 ローレンスは姫のことを思い出すのか、窓の下をのぞき込みながら悲しそうにうなずいたが、ふたたび顔を上げる気配にはあふれるほどの喜びがこもっていた。

「そして、奇跡のように子どもが生まれたのだ。それが、ハルナ、きみなんだよ」


 父親は、ローレンス。

 そして、母親は、姫……

 考えてもみなかった取り合わせだった。

『あなたはクルセイダーズみんなの子よ』

 と姫は言っていた。それは完全な真実だったのだ。本当に一人の例外もなく、クルセイダーズは四人の〝母親〟と一人の〝父親〟だったことになる。


 でも、あたしが物心ついてからは、姫に抱かれた記憶がいっさいない。きっとそれ以前にもなかったことだろう思う。なぜなら、それが〝母親〟であることを放棄した姫の厳しい覚悟だったにちがいないからだ。恋文屋ローレンスの秘密の恋人でいることを受け入れたように、宇奈月春菜の母親だと名乗るのをあきらめようと決心したのだ。


 信じがたい取り合わせの、だけど、このうえなくファンタスティックで、あらゆるものを超越したカップル。それが……

(あたしの、本当の母親……そして本当の父親!)


 それを知ることは、実を言うとかなり怖かった。愕然として二度と立ち上がれなくなるような衝撃を受けるかもしれないという予感さえあった。

 だけどあたしは、たった今知ったばかりの事実に感動すら覚えていた。

 あたしが密かに胸に抱いて始めた探索行だったけど、今やすべてが納得できる……すべてがやってきてよかったと思える。


「もうわかったね。きみの母さんやママやおふくろが母親になったのは、姫が聖エルザの生徒である男子との間に子どもをつくってしまったという衝撃的な事実を隠すためだったのだ。伝統ある学園の理事長の不適切な行為が露見すれば、おそらく世の中を騒然とさせ、学園にとって致命的なスキャンダルになったことだろう。それを回避するために、姫は意を決してクルセイダーズの仲間たちに秘密を打ち明け、協力を求めることにした」


「それで、オヤジの病院の地下室で、人眼を忍んであたしを産むことになったんだね」

「ああ。しかし、姫が彼らに告げたのは、学園の男子生徒との間にできた子どもだということだけ。かたくなにその生徒の名を明かそうとせず、もちろんその正体が〝恋文屋ローレンス〟などという想像を絶する存在であることも口にしなかった」


(そうか……。ある意味では、最後まで残っていたその秘密を究極の〝謎〟として共有することが、母さんたち三人の〝母親〟を結束させていたのかもしれない)


「しかし、きみのオヤジ――宇奈月京平は、どうしてもきみの父親の正体を知りたがっていたよ。それも無理はない。あれほど愛していた姫の子を、その相手がだれかも知らされないままに自分の手で出産させなければならなかったのだからね。彼をあんな風にしてしまったのは、私の罪なのだよ……」


〝運命〟なんていう言葉を軽々しく使ってはいけないと思うけど、あたしが姫の身体に宿り、生まれ、育っていくためには、なんて多くの人たちの運命を巻き込む必要があったことだろう。なんて数奇な運命をたどらなければならなかったのだろう……!


 と、そのとき――

「とてつもないホラ話だな」

 カチャッと撃鉄を起こす音につづいて、背後で声がした。

「しかも、薄気味悪いことに、やせっぽちの小娘が一人で交互にしゃべくっている。多重人格? 解離性なんとか障害とかいうんだっけ? 最初は、どう考えてもそんな風にしか見えなかったぞ」

 ずけずけと無遠慮な口調でしゃべりながら、白スーツの人影がドアの陰から現れた。銃口はまっすぐあたしたちに向けられている。


「『若』……おまえだったのか」

「今はどっちがしゃべってるんだ? まあ、どっちだろうとかまいやしないが……。しかし、驚いたぞ。ローレンスが、〝人格転移者〟なんていう幽霊みたいな奇怪な存在だったとはな。そしてランドルフに殺されたはずが、娘に乗り移って生き延びていたってわけか」

 さすがに姫と互角に論戦をくり広げただけあって、こいつはバカじゃない。あたしとローレンスの会話を盗み聴きしただけで、人格転移からあたしたちが話していた記憶の旅のことまで、あっさり理解してしまったらしい。


 だけど、エキセントリックで権力者然としているのも事実。こういうやつはいちばん油断ならない。下手に口を挟んだりしたら、激昂して何をやらかすか知れたものじゃない。さすがのローレンスも、じっと沈黙を守っている。


「たしかに、おまえが教えてくれた人間コントロールの方法論は、ヨーロッパの征服や闘争の歴史を眼の当たりにしてきた者ならではの、悪魔的な発想にもとづいていた。あのやり方を徹底してやれたなら、学園の支配は完全なものになったことだろう。それは評価しよう。いや、ぼくはこの三〇年それにのっとって会社を経営し、部下どもの上に君臨してきたとも言える。その意味では感謝さえしていると言っておこう」

「私のほうも、身に余る光栄だと言っておくよ。きみの部下でなくてよかった、ともね」


 ローレンスの皮肉をフンと鼻を鳴らして聞き流すと、『若』はつづけた。

「だが、敗北を喫した直後には、強い疑念しか残らなかった。おまえが最初から、白雪たちのためにすべてを仕組んでいたのではないか……本気でぼくを勝たせるつもりがあったのかどうか、と――」


 ローレンスは慎重に口を開いた。

「答えよう。一つめの疑問にはノー、二つめにはイエスだ。信じるかどうかはきみの勝手だが、私はいっさい手を抜いていない。きみが負けたのは、むこうが私たちよりほんのわずかに上手だったのと、運が味方してくれなかったってことだ」


「本当に白雪とは通じていなかったんだろうな? ぼくは三〇年の間ずっとそのことを疑い、悔やみつづけてきた。おまえなんかと手を組むのではなかった、と……」

「悪人というのは、肥大した猜疑心が作るものだ。これも私が長い人格転移者としての人生の中で学んだことだ。他人をいっさい信用できない不幸な性格が、その人間を悪の道へとみちびく。私がきみに関わろうが関わるまいが、その疑念はきっとだれかに向けられたにちがいないよ。きみに安息の時が訪れることはけっしてないだろう」


「黙れ! おまえがこの世から消えていなくなれば、安息とまではいかなくても、ぼくの若かりし日々に刻印された真っ黒な汚点をぬぐい去ってケリをつけることができる。少しはせいせいした気分になれるだろうさ。しかも、おまえとあの恨み重なる白雪との娘をいっしょに片づけられるなら、一石二鳥の復讐ができるというものだ」


「待って。パパたちはどうなったんだ?」

 あたしはたまらず声を上げた。

「フン。ぼくが一人でここに逃げてきたことでわかるだろう。水谷たちを甘く見ていた。柴田ほどの手練れが、まさか小娘のおまえなんかに倒されようとも思わなかった。このうえ公安にまで踏み込まれてしまえば完全に終わりだ。ローレンスの脱けガラの小僧の死体も転がってるしな。なんとしてもぼくだけは脱出して、海外にでも逃亡してほとぼりを冷ますさ。そのためにも、証拠となるおまえには消えてもらうしかない――」


 やっぱり、どうあってもあたしを殺さずにはすまないってことだ。


『若』は、もてあそぶようにしていた拳銃をあらためてかまえ直し、あたしのほうへためらいもなく腕を差しのばした――。

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