Ep.7 HARUNA 5

(そうか、だから昼休みに学園を脱け出すなんてことができたのか……)


 隠れ家がエルザハイツの地下に位置しているなら、構内のほうにも秘密の出入り口が通じているにちがいない。生徒のローレンスが隠れ家に昼食をとりに来たり、授業にわずか数分遅れで出られたのは、そのためだったのだ。

 ローレンスの車が地下駐車場にあることからすれば、マンションのエレベーターはそのまま隠れ家につながっているはずだ。ちゃんと確認したけど、階数表示ボタンはガレージまでしかなかった。それより下に行くには何か特別な操作が必要なのだろう。


(そんくらいのことであきらめるもんか……)

 あたしは最初から予定していたとおり、ヤスジローに用意してもらったロープと懐中電灯を使い、おそるおそる縦穴を降りはじめた。

 縦穴の壁は一面ステンレス張りになっていた。温室から取り入れた光をそれに反射させることで地底まで届かせる仕組みらしい。降り注ぐやわらかい光がいかにもビルの谷間にある庭のような雰囲気をかもし出し、樹々が壁面にぼんやり映り込むことで庭にはもっと奥行きがあるようにも見せていたのだ。


 途中からはケヤキの太い枝に乗り移り、それを伝ってなんとか三階の『絵画の間』の窓辺までたどり着いた。

 鉄枠がさびついた窓はとっくにカギが壊れていて、ガラスを破る手間ははぶけたけど、ひどい音を立ててきしむ。あたしはできるだけ慎重に、ゆっくりと引き開けてから中へすべり込んだ。

 懐中電灯をつけようとすると、真っ暗闇のむこうからいきなりクスクス笑いが聞こえた。

 あたしは心臓が飛び出しそうになった。


「エレベーターの操作方法も教えておけばよかったね」

 落ち着きはらった声はローレンスのものだった。ここまでたどり着けたのは当然だと言わんばかりの口調だ。

 シュッとライターのものらしい音がして、床の上に置かれたロウソク立てに炎がともる。無造作な髪型とソファの前に組まれた長い脚が浮かび上がった。


 あたしは小型マイクの音声を切り、慎重にそちらへ歩を進めた。

「気づいていたのか?」

「ああ。マンションの裏口を開くと警報が鳴るよくある仕組みさ。もっとも、普段はしっかり施錠してあるんだけどね。きみがあぶなっかしくロープにぶら下がって降りてくるのを、ハラハラしながら見守っていたよ」

 あたしだって、底の見えない暗闇へむかって降りるのは死ぬほど怖かった。


「じゃあ、あたしが来るのを予想して開けといたってことか?」

「今夜あたりかな、と思ったのさ。きみの動機が、どうしても私に会いたくなって、というなら嬉しいんだけどね」

「なに言ってやがる。あたしのファーストキスを奪ったからって、いい気になるなよ!」

「ファーストキス? そうだったのか。それは光栄だな。でも、私は幽霊みたいな存在だから、たぶん、きみが気に病むような必要はないよ」

 ローレンスはまた、平然として訳のわからない理屈をこねた。


「さて、きみの勇敢さと実行力に免じて、ここからは一切の駆け引きはなしだ。私は真実しか語らないと誓うよ。と言っても、信じるかどうかはきみしだいだが」

「だけど、前はウソをつかれたぞ」

「ほう……何のことかな」

「おまえといっしょに住んでるおばあさんがペンダントをしていた。あれは、聖エルザの正統な継承者しか持っていないはずの五角形のペンダントだろう。それって、おまえが滝沢礼子の行方を知っていて、彼女から奪ったって証拠じゃないか!」


「いいところに気づいたね。たしかに、ここを再訪するだけの価値のある疑問だ。……まあ、でも、そのことはおいおい話そう」

 ローレンスはいかにも嬉しそうに、あたしをもう一つのソファに差し招いた。

「前回は、いわばプロローグだ。プロローグは、まず読者の興味を引きつけなきゃならない。わかりやすくストーリーに入り込めるようにするための入口でもある。それに、物語の伏線を張り、ときにはミスリードする機能もある。前回の話は、だいたいそのようなものだったと思ってくれればいい」


「何が言いたいんだか、ぜんぜんわからないよ」

「そうか。とにかく、きみはただ一人の読者だ。『恋文屋ローレンス』という長い長い物語のね。きみがそれにふさわしいかどうかも前回は試させてもらった」

「読者にふさわしいかどうか、だって?」

「ああ。長い話だし、複雑怪奇で荒唐無稽でもある。想像力を働かせる気のない人間にはついてこられない。前回は便宜的にはしょった部分が多いし、大きな謎にからむところはあいまいにしか語らなかった。きみにウソくさく思われたのはそういう部分なんだよ」


「あたしが読者にふさわしいっていうなら、もう前置きはいいよ」

「では、本題に入るよ。まず、今きみが言ったペンダントの件だ。あれは、滝沢から老女にプレゼントされたもので、すくなくとも、私は何も強制していない」

「プレゼントだって? どうしてそんなことを……」

「順を追って話そう。あの老女は、実は姫の母親なのさ」

 ローレンスはいきなりとんでもない事実を明かした。


「な、何だって!」

「彼女は、聖エルザの大騒動にからんで夫を殺されたが、その後もフランスに住みつづけた。夫は、聖エルザの理事長である父親の白雪高太郎と関係がうまくいってなかった。そのせいで彼女も白雪家や聖エルザとは疎遠になった。しかも、夫は姉小路の一味から滝沢礼子の母を保護するために一時高尾山の山荘に隠れ、姫とは腹違いの子どもを作ってしまった。きっと日本にはいい思い出もなく、帰国する気になれなかったのだろう」


「じゃあ、どうしてこんなところにいるんだ?」

「長らくフランスの老人ホームに入居していたんだが、痴呆が進んだこともあって、姫は彼女を日本に連れ帰ることにした。その役目をローレンスに依頼したんだ」

「そんなことまでローレンスに……」

「だが、帰国した母親は、久しぶりに会った娘を見分けられないほどになっていた。施設に入れてしまうよりはと、ローレンスが引き取ることになったってわけさ」


「それで、今もこの家に同居してるんだな」

「ああ、彼女には先代のローレンスと私の区別もつかないからね。滝沢のほうも精神的な落ち込みが激しくて、ローレンスに連れられてここにきた。しかし、滝沢にとって老女は憎い白雪家の人間だし、母親と自分を見捨てた男の妻でもある。どうしてもわだかまりがあったんだ。だけど、老女の記憶には、もうそんな過去の忌まわしいいきさつはまったく存在しない。天真らんまんというくらいにこだわりのなくなった老女に、滝沢はしだいに精神的ななぐさめを感じるようになった。そして、聖エルザの記憶がこもったペンダントを彼女に譲り渡してしまうことで、いっさいを忘れようとしたのだ」


 そんないきさつがあったなんて……。

 とんでもない話の連続で、あたしの頭は何度もクラクラした。それにしても、そんなにも姫とローレンスのつながりが深かったことに、あたしはあらためて驚かされた。


(ローレンスって、ほんとにいったい何者なんだ……)

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