Ep.7 HARUNA 6

 ローレンスが、心なしか心配そうな表情であたしの顔を見ている。よっぽどポカンとしていたんだろう。

 でも、これはきっとまだ序の口にすぎない。あたしは気を取り直して質問した。


「じゃあ、その後、滝沢礼子はどこに行ったんだ?」

「それは最後だ。きみがこの物語を聞く最大の動機の一つがそれのはずだからね。それよりも先に、言っておかなければならないことがある。きみはこれまでの話を聞いて、謎の解明が進めば進むほどよけいにわからなくなっていく部分があることを感じているだろう」

 あたしは大きくうなずいた。


「きみは、広岡兄弟から不思議な話を聞いていないかい? おたがいが記憶したものを相手に転写することができるという能力のことだ」

 憶えている。シンイチローとヤスジローは、その能力を使って東大の入試を突破したのだ。

「じゃあ、それを教えた生物教師って、やっぱりローレンスだったんだね!」


「そうだよ。彼らはみごとなほど瓜二つの一卵性双生児で、もともと脳をシンクロさせる素質を持っていた。ローレンスはそこにちょこっと刺激を加えてやればよかったのさ」

「それって、催眠術みたいなものか?」

「催眠術というのは、脳を一時的に幻惑させるだけのものだ。能力を発揮させるためには、眠っている脳のその部分を目醒めさせないといけない。私が使ったのは、そういう力だ」


「え、〝私〟? 二人が東大に入ったのは三〇年近く前のことだろ。まさか、一〇代にしか見えないおまえがそんな……」

「うっかり口をすべらせてしまったね」

 ローレンスは苦笑したが、あせって否定するような素ぶりもない。


「私が言おうとしているのは、まさにそのことなのさ。彼らに使った力は、私が長い間に自分を実験台にすることで体験的に会得してきた、脳を活性化する技術の一つにすぎない」

「自分を実験台に……脳を活性化する……いったい何のことだ?」


「だから、複雑怪奇で荒唐無稽な話だと言ったはずだ。きみにわかりやすいようにと便宜的に先代だとか先々代だとか表現してきたが、〝私〟は一人だ。ローレンスという人格は一つしかないんだ」

「てことはつまり、その、何て言うんだ……人格……人格……」

「そう。人格転移だよ。〝私〟という存在に実体はない。転移した先の人間の脳に住むことになる。だが、脳は人間のすべての活動を統御するから、いわば憑依された人物が新しいローレンスとなる……どうだい、理解できるかな?」

「ま、まあ……」

 理屈はなんとかわからなくもないが、それと実感できるのとでは大ちがいだ。


「人物像とは、容貌や体格、年齢、身分などがからみ合って作り上げるその人間固有のイメージのことだ。だから、脳を占拠されたというだけで別人になるわけじゃない。しかし、人間というものは、とる行動や言動はもちろんのこと、その表情や仕草や口調によっても印象が大きく変わる。やはり脳がつかさどる部分が人物像を決めてしまうのだよ。だから、私は可能なかぎり親近感の持てる人間に転移してきたけどね」

 そういえば、予備校講師の男と眼の前のローレンスでは、年齢差を無視すれば長身のところや細おもての顔つきにいくつも共通点があった。


「私はつまり、三〇年前のローレンスとして姉小路征司郎に学園乗っ取り計画を授け、先々代のローレンスとしてストーカー事件を解決したし、先代のローレンスとして学生カップルや白河兄妹とも関わった。宇奈月京平と会ったのなら、ローレンスと何度か関わりがあったことを聞いただろう。それらはみんな私自身だったんだよ」

「だけど……じゃあ、おまえ、いったいいくつなんだ?」

「私には年齢という概念はないよ。しかし、精神が経験してきた時間は何百年にもおよぶ」

「何百年! そんなに生きてきたなんて……」


「だが、つねにその時代に生きる一人の生身の人間としてさ。死すべき運命から逃れつづけてきただけで、不死身でもなければスーパーマンでもない。できることには限界がある。もちろん、強い興味を惹かれれば……たとえば、一将校にすぎなかったナポレオンという人物に注目して、一時は全ヨーロッパを席巻するほどの王者に仕立てたこともある」

「おまえがナポレオンになったっていうのか!」

「いや、残念ながら私にはあんなカリスマ性はない。だが、長年にわたって権謀術数がうず巻くヨーロッパ各国の宮廷に出入りした経験や、歴史を決める戦いをいくつも見てきた経験は、彼をあやつって難局を切り抜けていくのに十分役立ったよ」

 なんだかすごい話になってきた。


「私には、時間をふつうの人間がとらえているよりずっと長いレンジで見通すことができる。未来を予知することはできないが、時間のうねりがどんな具合に進んでいきそうなのかは感じ取れる。新時代を拓く可能性を秘めた若者をサポートして、彼がどれくらい遠くまで行けるか試してみたかったのだ」

「歴史を裏で動かしてきた黒幕だったってこと?」

「まあ、そんなものかもしれないね」

 ローレンスはこともなげに笑った。


 そんな怪物が今、あたしの眼の前にいるんだ――!

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