Ep.7 HARUNA 4
やっぱり、パパにもママにも話せないことができてしまった。
ローレンスにキスされたせいだとは考えたくないけど、もちろんそんなことがあったなんて口が裂けても言えない。結局、彼がまだひどく若い、少年といってもいいくらいの風貌で、しかも聖エルザの在校生らしいということさえ告げられなかった。
あいつにとっては、自分を追跡している〝三人の母親を持つ娘〟というのがどんな人間なのかを知りたいだけだったのかもしれない。今の状況からすれば、あたしをめぐる争奪戦を仕掛けることで、聖エルザと『若』の間にふたたび戦いを誘発しようというのが、ローレンスの最初からの意図だったとも考えられる。
実際、あたしの役目はもう終わってしまったか、いったん棚上げになったとでもいうように、あたしは片隅に追いやられている感じだ。
こうなるとむしろ、あたしは足手まといだし、人質にされたりしたらいちばんやっかいな弱点となる。それでなかばエルザタワーに軟禁されたような状態になっているのだ。
あたしがまだパパたちや『若』よりローレンスに近いと思えるのは、だから、顔を知っていて、直接話したことがあるという点にすぎない。顔写真やクラス、氏名まで判明した今では、それももうあたし一人の秘密ではなくなろうとしている。
だけど……
あたしはどうしてももう一回、それも一対一で会って、まだまだ残っている疑問をちゃんと問いただしたい――そう思った。
(あいつは、ただ一四歳の中三生にすぎないあたしなんかをからかって喜んでるわけじゃない。クルセイダーズやパパたち、そして武装戦闘集団を抱える『若』なんていう大人たちまで翻弄して、銃撃戦さえ予想されるような物騒な戦いを起こさせようとしてる。それくらい恐ろしくてしたたかなやつなんだ……)
たしかに、そう考えると足がすくんでしまう。
(でも、どう言えばいいんだろう……そんな大騒ぎを起こすことと、あたしと顔をつき合わせて話すことが、あいつにとって、なぜか同じくらい重要なことだったんじゃないかって気もする。あたしを適当にごまかしていたというより、むしろ自分を誤解されたくなくて、ためらったり、慎重な言い回しをしていたような……)
それはあたしの思い上がりだろうか?
だけど、あたしがまたもう一度隠れ家に行くのをどこか歓迎するようだったし、ヒントをくれたとも思える……。
〈なにボーッとして歩いてんの? ボクはきみが通過するのに合わせて、通路のモニター画像を無人のときのとつぎつぎ差し替えてるんだ。グズグスしてると、監視している守衛にカンづかれちゃうよ〉
耳の中にヤスジローの声が響き、あわててエレベーターホールへ足を急がせた。
エルザタワーの鉄壁のセキュリティシステムも、ヤスジローにかかれば自由自在に操作できるのだ。『だって、もともとシステム設計したのはボクだもの』とは本人の弁だ。
ヤスジローは、キャティが午後に買い物に出かけたタイミングを見計らってこっそり部屋へやって来た。ローレンスの隠れ家への潜入に備えてあたしが頼んでおいたいくつかのものを届けてくれ、いっしょに耳センみたいな超小型通信機も手渡した。ケータイは取り上げられる恐れがあるし、見つからないように操作するのも難しいからだ。
高感度マイクも仕込まれてるスグレモノだけど、ローレンスとの会話の内容は聞かれたくなかった。いざってときには触れるだけで監視センターに警報を轟かせることができるというので、無事にたどり着けたらこちらの音声をオフにすることを伝えた。
『ああ、それでかまわないよ。こっちも『若』のグループの動向から一刻も眼を離せない状況だしね。それとね、やっぱり一人で行かせるのは心配だよ。だから、ボクが自作した武器を持ってって。相手に突きつけて呪文を唱えれば何かが起こる、〝魔法の杖〟さ』
バタフライナイフはもう必要ないだろうからとパパには返してもらえなかったから、あたしはお守りにするつもりでありがたくそれを受け取っておいた。
キャティの部屋を出がけにのぞいたとき、もうぐっすり眠りこんでいるのを見て、ちょっと拍子抜け感があった。雑誌かなんか読んでて「まだ起きてるの?」とか言われたら、トイレに行ったふりしてスゴスゴ部屋にもどれたかもしれないのに……。
(でも、もう決めてしまったことだ――)
ローレンスがどこまで本気で話してくれるかわからないし、こんどはもっとイヤらしいことなんか仕掛けてこないともかぎらない。
でも、あたしは今夜、どんな犠牲をはらってでも真実を聞き出すつもりだった。
フードつきのパーカーをはおり、あたしにとっていちばん身体にしっくりきて活動にも適したジョギングウェアに身を固めている。いったん走り出したコースは、かならず最後まで走り切らなくちゃならない。
今夜こそその夜だ――。
あたしは守衛室を避け、ヤスジローに裏口のロックを解錠してもらって外に出た。深夜になって寒さが増し、都心でも閑静な住宅街の通りには人影もない。
目印にしていた低層マンションは細い私道の奥にあった。
あたしのカンはまちがっていなかった。そこの半地下のガレージに、クリーム色のルノーが見つかったのだ。
オートロックのない古いタイプのマンションだったから、玄関ホールにも難なく入り込めた。〝部外者立入禁止〟と書かれたドアを開けてみると、その外にあったのはやっぱり例の温室。この経路以外にここに通じる出入り口はないようだ。
ホコリがこびりついた透明プラスチックのパネルを手でぬぐい、そっと中をのぞいてみる。
周囲の建物の常夜灯のほのかな明かりのおかげで、温室は差し渡し一〇メートル四方ほどの広さの正方形だと見当がついた。高さは、人がふつうに立って歩けるほどしかない。
しかし、おかしなことに、ケヤキの樹のてっぺんがちょうど眼の高さくらいにある。
(やっぱり、こうなってたんだ――!)
つまり、温室の内部がそっくり大きな縦穴になっているのだ。老女が大雨に気づかなかったのも当然だ。庭には屋根がついてたんだから!
穴の深さはずいぶんあって、内壁から半円形にせり出した『絵画の間』の窓の上の端が闇の底のほうにやっとかすかに見分けられるくらいだ。
あたしはハッとして、温室のパネル壁から眼を離し、頭上をふり仰いだ。
「あれは……」
温室のすぐむこうは聖エルザの裏手にあたり、ツタのからまるレンガ造りの高い塀になっている。その上にコロニアル風の瀟洒な白ペンキ塗りの木造建築がそびえているのが見えた。
なんと、聖エルザの女子寮として名高かったエルザハイツだったのだ!
(てことは……あたしが目撃した『絵画の間』があんなに朽ち果てるくらい昔から、ローレンスの隠れ家はエルザハイツの真下に存在してたってことなんだ!)
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