Ep.7 HARUNA 1

 ドアを開けると、寝乱れた上掛けの下から大きなお尻がはみ出しているのが見えた。

「キャティ、あたしはもう行くよ。サニーサイドアップ(目玉焼き)は自分で焼いてね!」


 こんなときだから、よけいあたしは甘えずちゃんとしなくちゃと心に決め、早めに起きてご飯とお味噌汁を作り、アジのひらきを焼いた。おふくろ自慢の極上佃煮も添えておいた。


 白河邸の火事で焼けこげてしまったのの代わりにおふくろが買ってきてくれた真新しいバッグをひっかつぐと、廊下に飛び出してエレベーターホールへ急ぐ。あたしを学校に送る役のヤスダが、もう下の車寄せにベンツを横づけしている時刻だ。

 ところが、エントランスの前で待っていたのは、なんとパパ! しかも、しっかりスウェットスーツの上下に身を固めている。


「今日から、おれが代わりにおまえを送ることにした。このところ走ってないから身体がなまってるだろう。最低限のトレーニングは欠かさないようにしないとな」

 パパはあたしのバッグを肩にかつぐと、いっしょに並んで走り出した。

 たいがいの人はあたしのペースに合わせるのは無理だけど、さすがにパパはちがった。大きなストライドと着実な足取りで、ピッタリ横について離れない。すくなくとも、これで登校時の安全はいちばん嬉しい形で保障された。


「ほら、新しいケータイだ。こんどはなくすんじゃないぞ」

 学校の前に着くと、パパがウエストポーチから前と同じスマホを取り出して渡してくれた。

「やっぱりパパは優しいね!」

「何を言ってる。おまえを送っていけって命令したのはママだ。感謝する相手はあっちだ」

 あたしは、こみ上げてくる涙をこらえて何度もうなずいた。


 そんな風にして、あたしの日常はまた前のようにもどった。でも、肌に感じる世界の様相が、以前とはまるでちがっている。眼の前に見える世界が、ハラリと裏返されてしまったとも、色合いがすっかり変わってしまったとも言える。


『聖エルザ防衛軍』なんてものの大掛かりな基地を見せられたことが、最初の大きな驚きだった。そこにヤスジローの監視センターがあったことでわかったのは、あたしのたびたびの危機が察知されたのがけっして偶然ではなく、行動がずっと見守られていたってことだ。

 オヤジの病院に三バカがすぐに駆けつけてくれたのも、白河邸に空手部がつぎつぎ登場して華麗な連携プレーを展開したのも、防衛軍としての日々の訓練の成果だったのだ。


 彼らの存在は、学園がそれだけ危険な状態に置かれているという証拠だった。彼らがたまたま存在したことがあたしを救ってくれたのではなく、敵が『若』の手先のミス・ランドルフだったように、まさに今のこの事態に備えて結成されていたということだ。


 そして、パパがいみじくも『送っていけって命令したのはママだ』と言った言葉――

 そもそも、キャティがこっそり秘密文書を閲覧させてくれたり、三バカがレオポルド教授のアトリエや湘南のオヤジのところに連れてってくれたことだって、チクリンママが彼らを統率するパパに『ハルナの手助けをしてやって』と頼んでくれたのだろう。


 あたしがローレンスから解放された日、おふくろは店を臨時休業してすぐにあたしの無事を確かめにきてくれたけど、ママは夜になってからようやくキャティのマンションに現れた。小さな身体をよけい小さく縮め、あらたまった表情でペコンと頭を下げた。

『ゴメンね、ハルナ。あんたを危ない目に遭わせてしまって』

 やっぱり、ママは最初からすべてを承知のうえであたしを送り出していたのだ。


『謝るのはあたしのほうだよ。あたしが勝手に危険なことを始めちゃったんだ』

『でも、そう仕向けたのはあたしだもの』

 ママは言うと、すがりつくようにあたしを力いっぱい抱きしめた。

『ママ!』


『……姫の遺言をかなえるために、あたしはもちろん図書館にあるローレンス関連の秘密文書をすべて読みあさったわヨ。どれほどとんでもないやつかも推測がついた。結論は、やっぱりローレンスと接触するしかない……。オトシマエは一と月くらい店を閉めたって自分が探すって言ってくれたし、パパに密かに動いてもらおうかとも考えたわ。だけど、あたしたちのそういう動きをちょっとでも察知したとたん、ローレンスは巧妙に身を隠し、逃げおおせてしまうんじゃないか、と――』


『うん、わかるよ。あいつは、自分の興味でしか動かないと断言してた』

 仮に滝沢礼子を見つけ出せていたとしても、姫に黙ったまま渡そうとしなかったというのなら、ローレンスにはそうするつもりがないということだろう。

『そこであたしは考えたのヨ。あの男が関心を持つだろう聖エルザの最大の謎とは……と』

『そうか。クルセイダーズを三人の母親に持つ娘……まさにあたしのことだね』


『エエ。あんたに賭けてみることにしたの。あんたが動き出せば、きっとむこうから接触してくるにちがいない、と。その予想は当たったし、あんたはあたしの期待に応えて本当によくガンバってくれたわ。でも残念ながら……』

 ママは無念そうに眼をそらした。

 その気持ちはあたしも同じだ。肝心の滝沢礼子の行方を聞き出せないままでは、今までの苦労がすべて水の泡になってしまう。


『それより、やっぱりローレンスは悪魔のような男だったわね。『若』の手先までこの一件に引きずり込んでしまったのヨ。あいつはあたしたちと『若』を戦わせて、薄笑いしながら見物するつもりなんだわ……』

 ママの懸念は、当然ながら学園全体が危機にさらされることになる姉小路征司郎の動向のほうへと、いやおうなしに移っていかざるをえないようだった――。

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