Ep.5 OTOSHIMAE
「ハルナは大丈夫か!」
玄関ドアを入るやいなや、奥にむかって怒鳴った。
出迎えたキャティがびっくりして脇に跳びのく。
スニーカーを脱ぐのももどかしく、アタイはまっすぐリビングに駆け込んだ。
ソファの端にちょこんと座っていたチクリンが、心細そうに顔を上げた。
「オ、オトシマエ……」
「ハルナがピストルで撃たれたんだって? 命に別状は? ケガはないのか?」
「なに血迷ってんの。事件があったのはコックリさんの病院ヨ。あんた、女房のくせに、あいつが医者だってこと忘れてない? 命がアブなきゃこんなとこまで連れて帰れるはずがないし、ケガしたならあいつがすぐ手当てしたにきまってるじゃない」
「そ、そうか。そうだったな……じゃ、ハルナは?」
「だいじょうぶ。ケガはすり傷くらいだから。今はキャティの寝室ヨ。こわい思いをして精神的なショックもあるだろうからと、コックリさんが精神安定剤の注射をして帰してくれたの。ぐっすり眠っているわ」
アタイは黙ってうなずいた。ずっと緊張して全身に入っていた力がいちどに抜けてしまい、チクリンのとなりに崩れるように座り込んだ。
コックリから電話があったのは夕方近くのことだった。湘南のあいつの実家で事件があり、ちょうど訪ねてきていたハルナが巻き込まれてしまった、と。
いつもどおり気の抜けたそっけない口調だったが、「事件て何だ?」と突っ込むと、しぶしぶながら拳銃を持った強盗が入ったというような話を手短にした。
あいつは心配ないとあっさり言ったが、どうもイヤな胸騒ぎがした。アタイは店を早じまいし、営業用の軽トラをすっ飛ばして、ハルナが三バカに送り届けられているはずのエルザタワーのキャティの部屋へ駆けつけたのだ。
(何でコックリのとこなんかに行ったんだろう……)
ハルナの無事がわかってみると、その疑問がどうしても頭をもたげてくる。
「ハルナはやっぱり、本当の母親がだれかを知りたがっているようなのヨ」
アタイの胸のうちを見すかしたように、チクリンがポツンと言った。
「推薦入試で聖エルザに来た日も、あたしに黙ってうちのダンナに会ってた。ダンナは無口だから、あたしが無理に聞かなきゃ詳しいことは話してくれないけど、こっちもずっと秘密にしてることだしネ」
「そりゃそうだよな……」
そうか。
推薦入試に行った日以来、家に帰る時刻もまちまちだから何か変だとは思っていた。今朝だって、いつもの部活の練習に行くはずなのに妙にそわそわしていた。
それは、とてもオヤジとはいえそうもないほど疎遠なコックリのところへ、こっそり母親のことを聞きに行こうとしていたからなのだ。
「アタイのせいかもしれない……」
「エエッ、何で?」
「アタイは、ミホのように優しくもないし、おまえみたいに仲よくじゃれ合うこともできねえ無骨な女だ。真剣に空手を仕込んでやろうとしたが、それを中途半端にしたまんま、ハルナは中学になると勝手に縁もゆかりもない陸上部なんかに入りやがった」
「そんなことないアルね。ミズ・オトシマエはオトシマエなりに愛情持って育ててあげたし、ハルナちゃんはちゃんとそれを感じてるアルよ!」
紅茶をいれてきてくれたキャティが、彼女らしいきっぱりとした口調で断言した。
「だけど、うちは母子家庭みたいなもんだからな。コックリはほとんど家にいねえし、無愛想なアタイとじゃロクに会話もねえ。テレビ観てておんなじところで笑うと、やっとおたがいがいたんだって顔を見合わせるくらいだ。塾にもやってねえのに意外と成績いいのは、自分の部屋に閉じこもっちまうと勉強のほかにやることがなかったからなのさ。だんだんさみしくなってきて、本当の母親がだれかなんてことを考えはじめたんだ。アタイは母親失格だ」
アタイはガックリと肩を落としてつぶやくように言った。
「イーヤ、悪いのはコックリさんヨ。湘南の地主の家系に生まれて、父親はお医者さん。生まれついてのボンボン体質で甘ったれ。しかも、若くしてグラマーでやりくり上手な奥さんまでちゃっかりゲットしちゃったもんだから、あとは堕落する一方だったのヨ。あいつがちゃんと父親らしくしてたら、ハルナがさみしがるなんてありえないわ!」
チクリンが憤然として言ったが、アタイは首を振った。
「そうじゃねえんだ……」
「あいつのせいじゃないって言うの?」
「今まで黙ってたが、なれそめは、アタイがコックリんとこへ強引に押しかけたんだ」
「な、なんですって!」
チクリンとキャティが同時に声を上げた。
ちょっと間を置いて、アタイはボソボソと語りはじめた。
「あの頃、アタイは聖エルザや離れ離れになったクルセイダーズがむしょうに恋しかったんだ。でも、大学生活をエンジョイしたり勉強に励んでるおまえたちと会えば、かえってみじめな気持ちになる気がした。コックリは落ち込んでるアタイを優しく抱きしめてくれたよ。『聖エルザの仲間ともう一度いっしょになれる』って思ったら、胸がいっぱいになった。アタイが立ち直れたのは、コックリのおかげなんだ……」
「なんて素敵なラブストーリー! コックリさんとキャプテンの結婚には、そんなシークレットが隠されてたアルね」
キャティが眼を輝かせて言うと、チクリンは激しく首を振った。
「で、でもサ、結婚祝賀会を兼ねたミホちゃんの送別会ではもう、ミホちゃんに『あたしがお嫁さんになってあげられたかもしれないのに』なんて言われて、あいつはものすごいショックを受けてたわヨ。キャティやあたしの結婚式も台無しにしかけたし……。あいつはおかしいのヨ。今でも仲間の女の子は全部自分のものだと思ってるんだワ!」
「だからさ。あいつが独身のまんまだったら、おまえや姫とも付き合えただろう。離れたりくっついたり、自然に大学生や大人としての恋愛を経験して、聖エルザの思い出をだんだんと過去のものにしていけたにちがいねえ。だけど、アタイがコックリの気持ちも考えずに強引に結婚させたせいで、あいつの時間まで止めちまったんだ……」
アタイは言いながら、これがまちがいなく真実で、アタイの本当の気持ちなんだと思った。
チクリンとキャティも、しんみりとして声もない。
が、そのとき――
「あたしのオヤジは、おふくろのことをそんな風に思ってないよ」
眠そうに眼をこすりながら、いつのまにかハルナが寝室から出てきていた。
「ハルナ……!」
チクリンが反射的にそっちをふり返った。
「憶えてるよ。あたしが名前を書きまちがえられてベソかいてたら、オヤジが、おふくろがなんで『オトシマエ』って呼ばれてるのかって話をしてくれたんだ」
そうだった――
あれはまだ、ハルナが幼稚園児だった頃のことだ。二人は、深川の家の狭い庭に面した縁側で話していた。
『小学校入学のとき、オトシマエは根がおおらかだから、あいうえおを最後までちゃんと憶えていかなかったんだ。それで、名札に〝おとしまえり〟の〝り〟が書けなかったってわけさ。やられたらやり返すぞってすごむような、怖い女の子じゃなかったんだよ。それどころか、だれより優しい母親で、素晴らしい奥さんなんだ』
コックリの言葉が、アタイの脳裏に昨日のことのようにありありとよみがえってきた。
「そして、オヤジはあたしに言ったんだよ。『いいか、おまえの名前を考えたのはこのオヤジだ。ボクは、湘南の海辺に咲く黄色い菜の花が大好きだったんだ。だから、春に生まれたおまえにそれを付けた。こんどおまえの大切な名前をまちがえて書くやつがいたら、はっきり言ってやるんだぞ』って」
「何て言えって?」
キャティが小首をかしげて興味深そうに尋ねた。
「はるなのなはなっぱのな――ハルナの〝ナ〟は〝菜っぱ〟の〝菜〟!」
ハルナが大声で叫ぶようにくり返すと、チクリンとキャティは思わず微笑み、アタイは涙がこみ上げるのを感じながら笑った。
「こんなにいい名前をつけてくれたオヤジが、ヘンタイだったり役立たずだったりするわけない。オヤジと話して、あたしにはわかった気がする。あの人はみんなを愛しすぎるほどに愛してるんだ。常識はずれなんじゃない。常識をはるかに超えてるんだ。そして娘のあたしを助けようとして、眼の醒めるような実力を発揮してくれた。あれこそ本当のオヤジの姿だよ。実の親かどうかなんていう問題じゃない。まちがいなくあたしのホンモノの父親なんだ!」
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