Ep.4 HARUNA 7

 病院の中は想像以上にひどいありさまになっていた。

 高価そうな計器が横倒しになっているかと思えば、引きちぎられたカーテンが無残に垂れ下がっていたり、ガラスの器具が割れてあちこちに散乱している。


 ギョッとしたのは、窓という窓に鉄格子が降ろされていて、外に通じるドアは壁から突き出した鉄棒で完全にロックされていたことだ。まるで要塞か監獄みたいだ。ところどころに忍者のマキビシまでまかれていた。


 オヤジが調剤室の壁を指さした。なんと、そこから人の手足が生えている!

 いや……ちがう。バネ仕掛けの床板がはね上がって、壁との間に人間をサンドイッチしているのだ。


 オヤジは唇に指をあてて声を出すなと指示し、あたしの耳にささやいた。

「侵入者は武器を持ってるらしいし、何人なのかもわからない。全館調べ終えるまで安心するんじゃない」

 あたしはうなずき、オヤジの陰に隠れるようにして進んだ。


 廊下の中央がパックリと割れているところがあった。端からそっとのぞき込むと、数メートル下の暗い穴の底にうつ伏せになって倒れている人影が見えた。

 気絶しているらしいと見当をつけ、そのまま診察室へと入ると、天井にハンモックのように吊るされた網の中でもがいている者がいた。


 あたしとオヤジがあわてて廊下のほうにもどりかけると、男があわれっぽい声を上げた。

「セ、センパイ……助けて」

 網に捕らえられていたのは、三バカの一人、マツオカだった。きっとあたしと同じ通報を受けて駆けつけてきたにちがいない。ところが、オヤジのオヤジが作った仕掛けに反対に引っかかってしまったのだ。


「待ってて。今すぐ降ろすよ」

 あわててその下に駆け寄ろうとすると、後ろからいきなりオヤジがあたしに飛びついてきた。

 床を二人でゴロゴロ転がると、その後をバシッ、バシッと衝撃音が追っかけ、床張りのリノリウムが弾け飛ぶのが眼の端に見えた。


 オヤジはあたしを抱えて倒れたまま、聴診器とかが乗ったキャスター付きのカートを思い切り蹴飛ばした。床の上をすべるように飛んだカートは棚にぶつかって派手な音を立てた。

 すると、その陰に隠れていた怪しげな黒サングラスに黒スーツの人影が、とっさに横に身を投げた。先端に長い筒のついた拳銃を手にしている。サイレンサーってやつだろう。


 だが、黒光りする凶暴そうな拳銃は、すぐさま飛び出していったオヤジが男の手首を踏みつけ、たまらず放したところを遠くへ蹴飛ばした。


 男は、しかし、その動作につけ込んですばやくオヤジに足ばらいをかける。

 ぶざまに尻もちをつく――

 と思いきや、オヤジはその勢いを利用してクルリと後方に回転し、驚くような機敏な身のこなしで何事もなかったかのようにスタッと立ち上がった。なんだか、オヤジの様子がさっきまでの印象とはまるで別人みたいだ。


 黒服の男のほうも、これは手強いと直感したのか、拳銃をあきらめ、サッと飛び起きて身がまえた。すぐさま両方の拳を固めてオヤジに向かってくる。先制攻撃こそ必勝の秘訣と心得た動きだ。


 ビシッ、ビシッ、ビシッ、バシッ――

 男の鉄拳が、なんとかガードしようとするオヤジの腕やヒジにつぎつぎ炸裂する。容赦なく襲いくる猛攻に、オヤジはなすすべもなくジリジリ後退する。

(オ、オヤジ……!)

 火花を散らすような殺気に満ちた戦いは、空手の試合なんかのレベルをはるかに超えている。相手の骨を砕き、肉の繊維をぐずぐずに断ち切るまでやめる気などないのだ。


 オヤジは、とうとうパソコンが置かれた壁際の診療机のところに追いつめられた。引いたかかとが回転椅子の足に当たり、衝撃で倒れかかった椅子の背もたれがオヤジのヒザの後ろを強打する。たまらずオヤジの体勢がガクッと崩れた。


 これを好機と見た男は腕を大きく振りかぶり、反対側の足を一歩引いて必殺の連続攻撃の構えに入る。

 ところが、男の渾身のパンチはあっさり払いのけられ、回し蹴りは紙一重の差で空を切った。

 それを境に戦いの様相は一変した。

 一方的に攻撃しているはずなのに、後退しているのはこんどは敵のほうだった。

 オヤジは表情ひとつ変えず、頭の位置や体勢は微動もしていない。相手のくり出す攻撃をそのつど直前で見切り、最小限の動きで的確に対応しているのだ。

 手数は敵のほうが圧倒的に多いのに、わずかな隙をついてくり出されるオヤジの反撃は確実に相手の急所をとらえている。


(これこそ本物のオヤジだ――)

 あたしはそう思った。さっきまでのオヤジは、ちょっと湿っぽい愚痴まじりの口調ながら、あたしにはちゃんと心を開いていろいろ語ったり教えたりしてくれた。でも、動作はいかにものろくさくてだるそうだし、視線もぼんやりして一点に定まっていなかった。それがもう顔つきまですっかりちがっている。


『本気さえ出せばなァ……』

 と、おふくろはよくため息混じりに嘆いていた。まさにオヤジの本質を突いた言葉だと思う。何でも〝適当〟でこなせるものだから、本気になることをついつい忘れてしまうのだ。


 そう。今やオヤジは本気になっていた。

 敵は、マツオカが引っかかったようなトラップをかいくぐり、あたしとオヤジが現れるのを辛抱強く身をひそめて待ちかまえていた。落とし穴の人影は、そういえば作業服のオオスギだった気がする。てことは、壁にはさまれてたのはヤスダにちがいない。三人を相手にして戦いながら、仕掛けを逆に利用して彼らを撃退したことになる。

 そんなしたたかな敵を相手に回すことで、ついにオヤジが覚醒したのだ。


 いや、それだけじゃない。

 あの銃弾はあきらかにあたしを狙って発射された。

(あたしを守るために――!)


 チクリンママにはいびられっぱなしだし、おふくろにはどうやっても太刀打ちできなかったオヤジだけど、いちばん手強い敵の首領の『若』を必殺技で倒したのは、ほかならぬオヤジだったはずだ。あの水谷パパだってオヤジには負けたことがあると言っていた。

 そのまぎれもない実力が、娘のあたしがあわやの危機にさらされるのを眼にした瞬間、とうとう完全に復活したのだ!


 オヤジが放った掌底の一撃が男の顔面を直撃し、サングラスが砕けて飛び散った。まちがいなく戦闘のプロであるはずの男の表情が、恐怖でひるむのがかいま見えた。

 つぎの瞬間、男は廊下にむかってためらいもなくダイブした。負傷した足を引きずるより、逃げるにはそのほうが速いと判断したのだろう。

 散乱したマキビシが背中にブスブス突き刺さるのもかまわず、身体を丸めてぐるぐる回転しながら玄関ホールへと突進する。玄関ドアは三バカが建物に突入するときに破ったにちがいない。男はそこに開いた穴に必死に身体をねじ込み、たちまち建物の外へと姿を消した。


 そのとき、あたしのケータイがまたけたたましい呼び出し音を鳴らした。

「ああ、無事だったんだね!」

 子どもみたいな明るい声が、まるで子どもみたいな口調で言った。

「で、でも……」

 オヤジはまだ警戒を解いていない厳しい表情をして、侵入者が点々と残した血の跡をたどって玄関ホールのほうへ向かった。


「もう大丈夫さ。侵入者は建物の裏手に駐めてあった車で逃走したよ。それより、トラップにかかってるヤスダさんたちを早く助けてあげて」

「あ、あなたは?」

「緊急事態だったから言い忘れてたネ。キミとはもう何回も会ってるのに、まだ兄貴とぼくの見分けがついてないだろ?」


 あたしはやっとその声に思い当たった。

「てことは、空手部の――」

「そう、東大出身の無敵の双子、広岡兄弟の弟のほうさ。兄貴のシンイチローは聖エルザの顧問弁護士。そしてぼくは、何を隠そう、聖エルザの安全を日夜監視している正義の味方、天才ハッカーのヤスジローだよ。ヨロシクね~!」

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