Ep.4 HARUNA 6
そんなことは初めて聞いた。
中学生のあたしにはリアルすぎるほどに生々しい話だけど、おふくろとオヤジの二人ならいかにもありそうないきさつに思えた。
性格や趣味が合うとか、デートを重ねてだんだん身近な存在に感じはじめるとか、そんなのは似合わない。お互いがお互いのまんま、二つの運命の星が交錯し、一瞬で燃え上がるようにして結ばれたにちがいない。
「でも、よかったじゃないか。前からおふくろのことを好きだったんだろ?」
あたしが尋ねると、オヤジはためらいもなく大きくうなずいた。
「もちろんさ。あの大きなオッパイに……いやいや、クルセイダーズの中で実はいちばん女らしい優しさを持ってるのがオトシマエなんだって、ボクにはちゃんとわかってたよ。それからの毎日がどれほど充実していたことか。ボクは俄然やる気になって勉強に打ち込んだし、オトシマエは学費と生活費を稼ぐんだって、バイトを三つもかけ持ちしてがんばった。作ってくれる家庭料理は、さすがは佃煮屋の娘だけあって最高だったよ。聖エルザの日々の充実感がもどってきた――たしかにそう思えたものさ」
オヤジは眼をキラキラ輝かせ、誇らしそうに回想した。
「みんなにはどう報告したんだ?」
「それが照れくさくてさ、なかなか知らせられなかったんだ。夏休みが終わる頃、大学で英文学を専攻しているミホちゃんが、イギリスに留学することになった。それで送別会をやるからと、チクリンが連絡してきたんだ。たまたまオトシマエがその電話に出ちゃったのさ。オトシマエはごまかすのが下手だし、チクリンの直感は恐ろしいほど鋭い。たちまちバレて、送別会はボクらの結婚祝賀会もかねることになってしまったんだ」
なんかその電話の場面が眼に浮かぶようだ。チクリンママに追及されて、おふくろはタジタジだったにちがいない。
「ところが……」
「何かあったのか? そのパーティで」
「みんなに盛大に祝福されて、得意の絶頂、天にも昇る心地だったさ。だけど……」
「どうした?」
「ミホちゃんが何気なく言ったんだ。『もう何年か後だったら、わたしがコックリさんのお嫁さんになってあげられたかもしれないのに』って」
「当然じゃないか。母さんだって、きっとオヤジのことを好きだったんだと思うよ」
「そ、そうなんだ。そのときボクは、頭をハンマーでぶん殴られたみたいに愕然としたんだ。クルセイダーズにはほかに三人も女の子がいるし、空手部にはキャティもいるというのに、ボクは彼女たちを永遠に失ってしまったことに気づいた!」
「大げさだなあ。その分おふくろと幸せになれたんだからいいじゃないか」
「そういうことじゃない……いや、ちがうんだ……ああ、そうじゃなくって……」
オヤジはたった今その大変なあやまちを犯してしまったばかりだとでもいうように、両手で抱えた頭を激しく振った。
なるほど、チクリンママが言ってたとおりだ。ママや母さんの結婚式を台なしにしかけたオヤジは、まさにこういう気持ちだったのだ。
ハーレムとかそういうんじゃないと思う。オヤジの聖エルザの黄金の日々は、まちがいなく母さんたち全員に取り巻かれていた。ママにいびられたり、おふくろに張り倒されたりしても、その中にいる自分が愛おしくてしかたなかったにちがいない。
『三〇年前からひとつも進歩していない……』
オヤジが言ったのはそういうことだ。進歩していないというより、あの時点に囚われてしまって、どうあがいても脱け出せずにいるのだ。
あきれもするけど、やっぱり同情もしてしまう。あたし自身、この集合写真を見て、写っている人物たちがまぎれもない親の愛情を未来のあたしに注いでくれると確信できる。それは、オヤジが三〇年前のおふくろや姫たちに対して感じていたまったく分けへだてのない愛情の、ちょうど裏返しのものなのだ。
「でも、どうしてこの写真がこんな地下室にあるんだい?」
「ここが……おまえが生まれた本当の場所だからさ。きっとだれかがそのとき持ち込んだんだ」
「こ、こんな暗くて寒々しいところで?」
あたしは思わず、コンクリート打ちっぱなしの無愛想な部屋をぐるりと見回した。
はっきり言って、狂人か異常犯罪者でも収容するための牢獄にしか見えない。なのに、ここが自分の誕生のために用意された場所だったなんて!
「ボクだって思ったよ。おまえの誕生、そしてだれがおまえを産むのかを、それほどまでに隠し通すことが必要なのか、とね。一五年前、ここは出産に必要な計器や器具であふれていた。病院のスタッフにはまったく関わらせず、ボクがすべてを取りしきった。ちょうど春休みの期間だったから、だれが母親なのかわからないように、おまえの母親たちは全員がここに泊まり込み、用があれば人目の絶えた真夜中に出入りした。その姿を見つかってもバレないよう、腹にサラシを巻いて妊婦らしくカムフラージュしてね」
「そんなにしてまで……」
あたしの誕生が、聖エルザにそれほどの危機をもたらすようなものだったのだろうか?
「ああ、そのおかげさ。一五年もの間、秘密はカンペキに守り通された。……いや、そのはずだったが……」
オヤジは言うと、ふたたび険しい眼をして天井を見上げた。
そういえば、上からはコトリとも音が聞こえなくなっている。あたしとオヤジが会っているところを狙って侵入したのだとすれば、とうとうその秘密を探りに来た者にちがいない。
フォトスタンドを元のように大切にテーブルの中にしまい、オヤジとあたしは足音を忍ばせて地下室を出ると、無音と化した不気味な階上へと向かった――。
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