Ep.4 HARUNA 5

「あの激動の夏休みが終わって数週間後の日曜日だったよ。負傷した滝沢礼子がここに入院していて、水谷がそれに付き添っていた。ようやく聖エルザの復興にメドの立ったボクらクルセイダーズは、全員そろって彼らを迎えに来たんだ」

「そうだったのか……」


「たしか、東京への帰りがけに、浜辺でボクのオヤジが撮ってくれたんだ。当時のボクはカメラ小僧で写真を撮るほうにばかり回ってたから、後で気がついてみたら、ボクが写ってるクルセイダーズ全員の集合写真はそれ以外に一枚もなかった。あの素晴らしい瞬間を永遠にとどめたい、そう願っていたはずだったのに……」


 滝沢だけははにかんだような表情だが、たしかに微笑んでいる。水谷パパも笑ってないけど、クルセイダーズを包み込む守護神であるかのように堂々としていて、そこに混じってもぜんぜん違和感がない。


 ただのスナップでないのがわかるのは、くわしい事情や経過は知らなくても、彼らの顔にはどこか共通した達成感のようなものが浮かんでいるからだ。だれもがここに全員がそろっているってことに無上の喜びを感じているように見え、それから三〇年もの月日が経つなんてことはまだだれ一人として想像すらしていない、充実しきった輝かしい表情をしている。

(黄金時代――)

 まさにその言葉にふさわしい瞬間を切り取った写真だった。


 そして、そこに並んだ全員が、なんと、あたしというたった一人の娘の父親や母親であり、あたしを生み育て、見守ってくれた人たちなのだ。彼らになら、そんな奇跡のようなことがほんとに成しとげられるのかもしれないと、たしかにこの写真は信じさせてくれるものだった。

 いつのまにか、とめどなく流れる涙があたしの頰も濡らしていた。


「三〇年前だ。そのときから、ボクはひとつも進歩してない……」

 オヤジは悔やむような涙声をしぼり出した。

「そんなことはないよ。立派に医者になって、おふくろとも結婚したじゃないか」

「べつに医者になんかなりたかったわけじゃない。やっと学園を取り返したというのに、理想郷のような聖エルザにいられるのは残り半年しかなかった。将来何をやりたいという展望もないまま、経済学部、法学部、文学部とか適当に受けていったら、最後に医大にも合格していた。それで、なんとなくそこに入ったんだ」


「なんとなくね……」

 そうか、最初からその調子だったんだ。〝医大にも〟ってことは、ほかのハイレベルな学部や大学も全部受かったにちがいない。ほかの者なら人生の過酷な通過儀礼や運命の分かれ目になるはずの入試が、オヤジにはただの通過点でしかなかったのだ。


「姫も大学に入ったけど、彼女は聖エルザの理事長でもあるから、学園に残るのは当然だった。ボク一人がポツンと押し出されたような格好さ。そうしているうちに、一学年下のチクリンやオトシマエも大学生になり、ミホちゃんまで卒業してしまったら、気がつけば空手部の連中もだれ一人残っていない。そうやってみんなバラバラになっちゃったんだ……」


 いくら聖エルザが特別な場所でも、学校はやっぱり学校だ。入学して新しい出会いという喜びがあるなら、卒業という悲しい別れがかならず待っている。わずか一年の濃密な時間をそこで過ごしたオヤジには、きっと不条理なほどつらい別れだったのだろう。


「ボクはふぬけたようになって大学生活を漫然と過ごしていた。夏休みも実家に帰らずにエアコンもないアパートでボンヤリ本を読んでいると、そこに突然オトシマエがスイカ一つをぶら下げて現れたんだ」

「スイカ?」

「ああ。久しぶりに会ったのに、挨拶どころかニコリともしない。オトシマエが『ぬるくならないうちに食おう』とだけ言って、二つに切り分けてくれたやつを二人で黙々と食べた。手も顔もテーブルも汁と汗でビショ濡れになって、ふと顔を上げてみるとオトシマエが泣いてるのに気がついた」


「あのおふくろが?」

「ボクだって驚いたさ。オトシマエが悲しそうに泣くところなんて、初めて見たんだ。すると、『大学の空手部をやめてきた』と言った。オトシマエはあちこちの体育系の大学からスカウトされ、学費も入学金も全額免除の特待生として楽々と入学してる。長距離ランナーのおまえならわかるだろ、それってきっと、金で雇われた傭兵みたいなものだよな」


 あたしはコクンとうなずいた。

 学校や運動部のために華々しい戦績を上げろと、学業なんかそっちのけでトレーニングにはげまされる。おふくろは、あたしを勧誘しに来た学校関係者がペコペコしながら手土産なんか差し出すと、かならず怒り狂って投げ返したものだ。


「オトシマエはそういう身分にイヤ気がさしていたようだし、セクハラされてとうとう頭にきたらしい」

「おふくろにセクハラだって!」

「もちろん、指一本触れさせずに全員叩きのめしたって言ってた。そのまま合宿所を飛び出して、まっすぐボクのアパートに来たんだ。そして、ボロボロ泣きながらポツリとボクに言ったんだよ。『聖エルザに帰りたい』って――」


 そうだったのか……

「ボクは一瞬にしてさとったよ。聖エルザの日々を焦がれるほどに思いつづけているのが自分だけじゃなかったんだって。その夜は、明け方まで一睡もせずに二人で抱き合っていた。気がつくともう陽は高くて、ボクは汗まみれになって一人きりで寝ていた。あれはボクの妄想が勝手に作り出した真夏の夜の夢だったんじゃないかと思った。台所でスイカの皮を発見して、初めて本当にあったんだとわかったくらいだ」


「おふくろは?」

「夕方になってもどって来たよ。こんどは大きなボストンバッグを下げてね。『アタイが聖エルザを取りもどすには、こうするしかねえと思う。純潔をささげた相手はおまえだ。よろしく頼む』――そう紋切り型のように言って、ボクに結婚届けの用紙を差し出したんだ」


「そうか。そうやってオヤジとおふくろは学生結婚したんだね……」

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