Ep.4 HARUNA 4

「オヤジ、早く逃げよう。ここは危険だってさ!」

「え……何で?」

「電話があったんだよ。武器を持った侵入者が中に入り込んでいるらしい」

「し、侵入者だぁ!」

 オヤジはあわてて立ち上がろうとして、回転椅子からぶざまに転げ落ちた。


 あたしはかまわず、観音開きの窓を押し開けようとした。

「ちょっと、ま、待ってくれ。待つんだ、ハルナ」

「どうした、腰が抜けて立てないのか?」

「ちがうよ。うかつに外へ出ちゃダメだ。待ち伏せされてるかもしれないだろ」


 そうか――

 あたしがハッとして手を止めると、その後ろをオヤジがスルリとすり抜けた。

「今の音は二階からだ。まだ間に合う。ついて来い」

 声を低めて早口に言うと、足音を忍ばせて通路に出た。何が〝間に合う〟のかわからないが、オヤジに従うしかなかった。


 医局とかいう部屋、処置室、調剤室、消毒室とかリネン室とか、病院てのはえらく複雑な構造だ。オヤジはそこをわざとのようにあちこち曲がりながら進んでいく。


 突き当たりに達して「霊安室」という表示にあたしがギョッとして立ち止まると、オヤジはその横の壁をドンと拳で叩いた。すると、クルッと思いがけない形に壁板が回転し、そのむこうに漆黒の暗闇が見えた。


「先に入りな」

 驚いたことにそこから狭い階段が下に伸びていて、中に入って壁板を元にもどすと自分の足の先さえ見えなくなった。

 肩に添えられたオヤジの手を握りながらそろそろと下りていくと、分厚い扉に突き当たった。錆びてイヤな音を立ててきしむ鋼鉄製の扉を、二人で懸命に押し開く。


 高い天井の端っこにある小さな明かりとりからのにじんだ光で、ぼんやりと明るんだ空間が浮かび上がった。むき出しのコンクリート壁に囲まれた、まったく飾り気のないガランとして寒々しい部屋だった。

「ここは?」

 あたしは、扉を固く施錠しているオヤジに小声で問いかけた。


 こんな場合だというのに、オヤジはニヤニヤしながら答えた。

「ボクのオヤジが趣味で作った部屋さ。宇奈月家にムコ入りしてここで医院を開業することになったとき、まず核シェルター並みに堅固なこの地下室を造ってから、上に建物を建てたんだ。オヤジは終戦直後からの探偵小説、忍者小説なんかの大ファンでね、秘密の隠れ家ってやつにずっとあこがれてたんだってさ。あきれるだろ?」

「そ、そういう意味じゃなくて、侵入者は防げるのか?」

「もちろんさ。たった今、このスイッチを入れたところだ。全館緊急警戒モードになった。もう声をひそめる必要もない。そのうち勝手にカタがつく」

 オヤジは、鋼鉄製のドアの横のレバーを指さして言った。


「どういうことだい?」

「上の建物も小ぎれいな洋館に見えるけど、実は、忍者屋敷や怪奇小説のカラクリ館みたいにさまざまな仕掛けをほどこした物騒な家なんだ。オヤジは『入院患者や家族、従業員を守るためだ』なんて偉そうに言ってたけど、なんのことはない、趣味でいろいろやってみたかっただけなんだ。侵入者の一人や二人くらい、簡単に撃退できるだろう」

 あたしはポカンと口を開けて聞いてたと思う。カラクリ仕掛けの病院なんて聞いたこともない。何でも自分のやりたいようにやらないと気がすまない性格なのは、父親も息子もいい勝負だってことだろう。


 その間にも、頭上の厚い天井板を通してドスン、バタンと低い音が響くのが聞こえてきた。仕掛けが作動する音なのか、それに引っかかった侵入者が暴れる音なのか、堅牢な壁でくぐもっていてさっぱりわからない。

「どういうことなんだろう? 侵入者って……」

「そんなヤツの心当たりはないよ。ボクは役立たずだけど人畜無害だから」

 否定できないのが悲しいが、たしかにそのとおりだ。


 どこかに通報したり助けを求めようにも、地下の密室では電波の入りが悪くてケータイは〝圏外〟になってしまってる。上の騒ぎが収まるまでは動きようがない。オヤジも仕掛けがうまく作動しているかどうかを探るように、黙って天井を見上げるばかりだ。


 うす暗さに眼が慣れてくるにつれ、この空間の細部がようやく見えてきた。こんな場所があったおかげで一安心できたけど、冷蔵庫の中みたいな寒さはどうにも耐えがたかった。オヤジは備えつけの調子の悪いオイルヒーターをあちこち調節している。


 ここが以前にどんな風に使われていたのかを推測させるようなものはほとんど残されていない。かろうじて患者用らしいパイプベッドがポツンと置かれていた。きっとじゃまになって運び降ろされたのだろう。

 あたしはそこにはい上がり、畳んで置いてあった毛布を引き寄せてくるまろうとすると、ベッドの脇にきちんと小さなサイドテーブルが備えつけられているのに気づいた。


(ここに収容された人がいたってこと……?)

 だけど、いくらなんでも、こんな場所にこもりたがる患者がいるとは思えない。本人が望んだのでなければ、隔離患者――伝染病や、もしかしたら精神に異常をきたした患者なんかがいたのだろうか? ちょっとゾッとするような想像をしてしまう。


(ん……)

 テーブルトップの下側に薄い引き出しがあり、裏返しにされたフォトスタンドが忍ばせるように入っていた。取り上げようとすると、横から伸びてきた手がそれをサッと奪った。


「オヤジ――」

 見上げると、震える両手でフォトスタンドを支えているオヤジの端正な顔がみるみるゆがんでいき、せきを切ったように両眼から涙があふれた。

「どうしたんだ? その写真は何だい?」

 オヤジは視線を無理やり引きはがすように顔をそむけると、無言であたしにフォトスタンドを手渡した。


 ちょっと色のさめた古い写真だった。抜けるような青空と白波の立つ海岸線を背景にして、数人の若者たちが並んで写っている。


 手前で得意そうにVサインを作っているのは、水玉のスカート姿が可愛いチクリンママだ。勝手に飛び出しそうなママを後ろから押さえつけて笑っているのが、ポニーテールを海風になびかせたジーンズに黒Tシャツのおふくろ。ミホ母さんは白地にオレンジのピンストライプが入った清楚なワンピース姿で、しゃがんだおふくろの肩に手を添えている。その横に立つ姫もワンピースだが、藍染めの涼しげな麻の生地が肌の白さとみごとな対称をなしている。


 反対側には、聖エルザの制服の白シャツにリボンタイをしてまぶしそうに眼を細めた滝沢礼子が立ち、背後に寄り添うようにひときわ大きい水谷パパの姿がある。後方の中央でひょうきんに手を振っているのが、いかにも人のよさそうな満面の笑顔をしたオヤジだった。


「ここに写っている瞬間が、まさに黄金時代だったのさ。ボクらクルセイダーズの――」

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