Ep.3 HARUNA 4

 翌日はうって変わって冷たい雨になった。


 放課後、雨ガッパをはおって中学の校門を駆け出した。走るときは身体にまとわりつく感じがイヤでなるべく着ないのだが、人に会うのに頭からずぶ濡れじゃ具合が悪いだろうとその格好にしたのだ。

 フードのせいで視界が狭くなると、煙るようなモノクロームの風景はしだいに消えていき、思いは自然ときのうのことに向かった。



「そうか。君はあの乙島恵利と宇奈月京平の娘だったのか……」


 オオスギとマツオカが壊した玄関ドアを直している間、あたしはレオポルド教授とヤスダにはさまれて庭のベンチに腰かけ、教授がいれてくれたホットミルクを飲みながら話した。


「あんまり私の趣味ではないが、ギリシャ彫刻のような素晴らしい肉体美をしていたなあ……」

 おふくろのあられもない姿を想像しているらしい教授の独り言をさえぎるように、あたしは尋ねた。

「スケッチブックをオヤジが盗んだって、どうしてわかったんだ?」

「本人が直接返しに来たからさ。『ちょっと無断で拝借しました。いやあ、教授は天才でいらっしゃいますねえ』って言ってね。あの生徒はなかなか見る眼があったよ」

 芸術家はほめられればやっぱり嬉しいのだろう。オヤジにも悪い印象はないようだった。


「オヤジはどうしてそれを見つけたんだろう……」

「そうか、思い出したぞ。あれは滝沢礼子が私のところに現れてモデルになってくれた直後のことだ。あの子だけはローレンスのことを口にせず、自分から描いてほしいと言って来たんだ。ところがそれは口実で、美術部室のカギを盗むのが本当の目的だったらしいが……」

「カギだって?」


「ああ、そのことなら知ってるよ」

 横から、当時のことをクルセイダーズから聞いているヤスダが口をはさんだ。


 それは聖エルザで起きた最初の事件だった。

 ミホ母さんを姫たちと出会わせないために、滝沢は美術部室に監禁しようとたくらんだ。それを見抜いたオヤジは、逆に滝沢をそこに閉じ込めた。

 そんなこととは知らない母さんとチクリンママは、滝沢を救うためにレオポルド教授の教官室に部室のカギを求めて忍び込み、教授に見つかってあやうくヌードモデルにされるところだったという。

 オヤジはその現場に駆けつけて二人を助けたのだった。


「だから、おれたちはあんたのことをなかなか信用できなかったんだ」

 ヤスダがギョロリと教授をにらみつけた。

「そ、そんなこともあったかな……ああ、懐かしい」

「ごまかすんじゃねえ!」

 ドアの修理を終えて合流してきたオオスギとマツオカが教授を締め上げた。


「三人とも、もうやめようよ。三〇年も前のことだろ。それより、あたしが知りたいのは恋文屋ローレンスのことだ。もしかしたらオヤジは――」

 あたしが言いかけると、教授が大きくうなずいた。

「そうか、ローレンスからスケッチブックのことを聞いていたか……いや、さもなければ、盗んでくるようにそそのかされたのかもしれんぞ!」


 その前に、一瞬のことだったが、オヤジが恋文屋ローレンスだったんじゃないかという途方もない考えが浮かんだ。それはやっぱりありえないだろうが、レオポルド教授の思いつきにもしっくりこなかった。

 もちろん、オヤジがその場で偶然見つけたという可能性はある。まだクルセイダーズの仲間とは認識されていないオヤジとすれば、滝沢を監禁するのとミホ母さんたちを助けるのでせいいっぱいで、とてもヌードスケッチを探すどころではなかっただろうから。


 すると、美術部室を監禁場所に利用するというようなアイデアを、入学したての滝沢が思いつけたことのほうがむしろ疑わしくなってくる。ヌードモデルになって教授を油断させてカギを盗むなんていう大胆不敵な行動は、いかにも滝沢礼子らしいが、彼女にそんな手段をとるヒントをあたえた者がほかにいると考えるほうが自然なのではないだろうか……。


 学園内の事情を知りつくしていて、しかもレオポルド教授に接近する方法をいちばんよく心得ている者――それこそまさに恋文屋ローレンスじゃないか!

 そして、オヤジは滝沢の行動を怪しみ、ずっと見張っていたから監禁を阻止できたし、母さんたちを救うこともできた。ということは、その途中のどこかでローレンスが滝沢礼子と接触する場面を目撃していたかもしれないのだ。


(やっぱりオヤジに会いに行くしかないのか……)



「あっ」

 いきなり視界がぐるりと回転したと思うと、あたしは濡れた路面にぶざまにはいつくばっていた。坂道のコンクリートにへばりついていた落ち葉を踏んですべり、脚が雨ガッパのすそにからまってこけてしまったのだ。

 ぼんやり考えごとをしていたせいだ。だけど、長距離ランナーの習性で、ちょっとこけたくらいじゃへこたれない。立ち上がってしまえばすぐにまた失った勢いを取りもどそうとする。あたしは無心で坂を駆け上がった。


 目的の場所は、木立ちに囲まれた小ぎれいなマンションだった。チャイムに指を伸ばしかけてからためらった。会う相手は学園時代に恐ろしい事件に遭遇している被害者だ。きっと思い出したくない記憶にちがいないし、こっちは何者ともわからない小娘ときている。

(何て言い出せばいいんだろう……?)

 だけど、迷ったときにはまず行動してみるのがあたしの信条だ。当たって砕けろでボタンを押した。


 ところが――


「キャアアアッ」

 ドア口に出て来た女性は、あたしの姿を見たとたん、いきなり大きな悲鳴を上げた!

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