Ep.3 HARUNA 3

 あたしは急いでパーテーションを回り込んでいった。


 そこは窓のない薄暗くて細長い空間だった。左右に無数のキャンバスが立てかけてあり、壁には自作の絵の額縁が隙間もなく掛かっている。収蔵庫のような場所らしい。

 狭い通路の途中に長身のマツオカが立っていて、動揺している証拠に肩で大きく息をしている。彼が手にした懐中電灯の揺れる光の中に、そのむこうの暗闇にしゃがんでこちらをにらみつけている女性の姿が浮かび上がった。


(この人が滝沢礼子――!)

 あたしは驚いて立ちすくんだ。

 こんなところに潜んでいたこともそうだが、鋭いネコのような眼つきでこちらを見すえる敵意に満ちた視線にドキリとしたのだ。しかも、なんと彼女は全裸で、片腕を前にかかげて胸を隠すようにしている。


「なんだと、滝沢がいたって!」

 声を聞きつけて、オオスギとヤスダもあわてて駆けつけてきた。

「ああ。たしかに滝沢にはちがいなかったが……こいつは絵だ」

 マツオカが言いながら懐中電灯で周囲を照らすと、キャンバスの輪郭が影をつくった。

「なあんだ、おどかすなよ」

 ヤスダは拍子抜けして息をついたが、あたしの胸のドキドキはなかなかおさまらなかった。


「だけど、一瞬本物かと思ったぜ。この顔はまさにあの頃の滝沢そのものだ」

 マツオカが奥へツカツカと歩いていき、そのキャンバスに手をかけようとした。

 と、そのとき――

 通路の途中に掛かっていた毛布がパッとね上がったと思うと、その下から人影が跳び出し、マツオカの足にすがりついた。

「さ、触るんじゃない。私の一世一代の傑作なんだっ!」

 長い白髪を振り乱した外国人が、必死の形相で訴えた。それがレオポルド教授だった。



「さあ、ハルナちゃんの質問にちゃんと答えてもらおう。さもないと大事な絵がどうなっても知らねえぞ」

 マツオカが、椅子に立てかけた滝沢礼子の肖像画の上に、キャップをはずした絵の具のチューブをかかげて恫喝した。

「い、言う。なんでも言うから、それだけはカンベンしてくれ!」

 窓際の椅子に座らされて両側からオオスギとヤスダに肩を押さえつけられたレオポルド教授は、まるで娘が人質に取られてでもいるかのように哀れっぽく懇願した。


 明るいところに持ち出されても、滝沢の肖像画は神秘的な妖艶さをまったく失わず、かえって実在の人物と見まがうほどの存在感を増したようにさえ感じられる。教授が一世一代の傑作と言うのも十分うなずけた。


 レオポルド教授は、大切そうに胸に抱えていたスケッチブックをおずおずとあたしに見せた。どのページも少女たちがエンピツのていねいなタッチで描かれたクロッキー画だ。

「それのせいで私は免職になったんだ」

 とレオポルド教授は告白した。


 裸体をさらす恥ずかしさを隠すように顔をわずかにそむけている子もいれば、後悔するように唇をかみ、小さな乳房を見下ろしてうつむく子もいる。おびえた眼をしてこちらをうかがう表情があるかと思えば、それなりの自己顕示欲を示して幼い媚態を宿した眼差しもあった。


 芸術なんてあたしにはよくわからないけど、レオポルド教授の本領が、未成熟な少女たちがその年頃だからこそ見せる一瞬のきらめきのようなものを一枚の絵に精緻に写し取るところにあることは、なんとなく理解できた。

 あたしは、まるで自分自身もそこに封じ込められてしまいそうなリアリティを感じて、思わずゾクリとした。


「ウヒョー、すげえ……」

 横からのぞき込もうとするマツオカからそっとスケッチブックを遠ざけ、さらにページをめくっていく。

 と、あたしの手が一枚の絵のところでピタリと止まった。

 滝沢礼子の肖像画の元になったスケッチだ。


 ほかの少女たちとは明らかに違う。挑戦的な強い視線は、見る者を見下しているかのような余裕さえただよわせている。拡大して彩色されたキャンバスの絵よりもむしろ、ラフなスケッチのほうが生々しさを感じさせた。ほかの少女の絵が一瞬のきらめきを写したものだとすれば、滝沢の肖像は、永遠の時を経ても色あせることのない宝石の輝きを宿していた。


「学園にはときどき、この子の一糸まとわぬ姿をどうしても描きたいと思わせるような、眼を見張らせる美少女が現れるものだ。モデルになってほしいと頼むことくらいはできるが、ヌードになってくれとはとても言い出せない。ところが、あるとき、夢にまで見たその女生徒が私のところに来て、『わたしを描いてください』と言ったんだ」


「ホントか? いい加減な言い逃れじゃねえだろうな」

 オオスギが肩に置いた手を乱暴に揺する。

「嘘なものか! しかもこっちが何も言わないのに、スルスルと制服を脱ぎだした。私は天にも昇る心地で夢中でエンピツを走らせたよ。そして、あれは奇跡にちがいないと思っていたら、またつぎの年にも同じようなことが起こった。二度めまでは幸運とも思えるが、三人めの生徒が来たときにはさすがに私も疑いはじめた」


「それが恋文屋ローレンスの仕業だったってわけか?」

 あたしが思わず尋ねると、レオポルド教授は驚いて顔を上げた。


「どうしてその名前を知ってる? まさにそのとおりだ。私が不審に思って『なぜ?』と聞くと、『あなたがローレンスじゃないんですか』と当惑しながら一通の手紙を見せたのだ。差出人の名は〝恋文屋ローレンス〟とあった。今の若い娘はどうか知らんが、当時ラブレターをもらった清純な女の子なら、さぞ胸をときめかせただろうと思わせるような魅惑的な言葉がせつせつとつづられていた。『あなたの美しさを永遠にとどめておきたい。それにはこうするしかないのです……』と」


 そうか、その言葉にあやつられるようにして、少女たちは教授の元をつぎつぎと訪れたのだ。

「ローレンスという男の目的は何だったんだ?」

「私には見当もつかないよ。魔術のような言葉にあやつられて裸身をさらそうと私の部屋を訪れる女の子たちを遠く眺めて、ひそかにほくそ笑んでいたのかもしれんな。その奇妙な名前の男が直接立ち会うわけではないから、せっかく来たのに決断がつかずにグズグズしている娘もいたよ」


「てめえ、まさか、強引に脱がせたりしたんじゃねえだろうな!」

 オオスギが、大きな鼻を怒りに膨らませてどやしつけた。

 教授は白髪を振り乱して必死に否定した。

「自分が立てられている噂を利用して少々脅しをかけたりはしたが、誓って、彼女たちに乱暴なことをしたことはないし、肌に指一本触れたこともない。とにかく、私にとってそんな夢のような出来事が一〇年以上にわたってつづいたのだ。よからぬ噂は立ったが、自分からすすんでモデルになった子たちが私を訴えるはずもなかった」

 真剣な顔で告白するレオポルド教授の様子を見て、あたしはすべてが事実だったのかもしれないと思いはじめた。


「じゃあ、なんで捕まっちまったんだ?」

 マツオカもチューブを机の上にもどして尋ねた。

「一人の女の子が、記念にしたいからとスケッチを写真に撮ったのだ。それを運悪く親が見つけて騒ぎだし、事件になってしまった。絵は返したし、懲戒免職になったことでその子を恨む気ももうないよ」


「それ以前にスケッチブックを見せてくれと言ってきた人はいなかったの?」

 いたとしたら、その人物が恋文屋ローレンスである可能性が高いってことだ。

「一人もいないね。……いや、待てよ。そういえば一度だけ、そのスケッチブックが盗まれたことがあったぞ」

「なんだって。盗まれたァ?」

 三人組のだれかが大声で聞き返した。


「そうだ。男子生徒の名前なんてろくに憶えてないのだが……ウナ……ウナギ……」

「ウナヅキか!?」

 ヤスダがすっとんきょうな声を上げた。

「そ、それだ。宇奈月……たしか、宇奈月京平だ!」


 あたしはクラリと視界が揺らめくのを感じた。

 謎の人物『恋文屋ローレンス』は、オヤジだったっていうのか!

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