Ep.3 HARUNA 2
聖エルザに運よく合格した――
偶然と必然の決定的な違いはあるけれど、三バカとあたしはその点でよく似ている。彼らも入学したての頃はひどく戸惑ったらしい。
夏休み前までは男子用トイレはなく、わざわざ管理棟の教師用に行かないといけなかったとか、女子寮のエルザハイツには見えるところまで近づくことさえ禁じられていたとか、「じゃあ、なんでおれたちを入れたんだよ」状態だったという。もちろん、授業のレベルや進度は情け容赦なく、どれだけ勉強しても追いつけそうにないくらいだった。
敵の私兵軍団のやつらからは最初から無視されるし、お高くとまった女子たちにはまったく相手にされなかった。空手部に入らなかったら、みじめなただの落ちこぼれで終わってたにちがいないと、三人は車の中でしみじみと回想した。
ミホ母さんの旦那さんの若松さんは〝父さん〟だし、キャティはチクリンママと住んでいた頃のエルザタワーのお隣さんだった。ほかの空手部のメンバーとはたまの飲み会とかパーティで顔を合わせるくらいだったが、幼いあたしにとって、気のいい三人組は聖エルザの関係者たちの中ではなんのこだわりもなく気楽につき合ってくれる貴重な人たちだった。
オヤジにそそのかされて女子更衣室に忍び込んだなんていうエピソードも初めて聞かされ、あたしはおかしいやらあきれるやら、腹を抱えて大笑いし、このドライブに出た大事な目的を忘れてしまいそうになったくらいだ。
「そういや、どうして安田さんが社長なの? あ……いや、たいした意味はないけど」
ヤスダは「?」って顔をして横に座ったあたしを見た。
口が軽くて調子のいいマツオカが代わりに答えた。
「だろ。どう見ても安田は社長ってツラじゃない。いちばん頭が切れて才覚がありそうなのはまちがいなくオレだよな」
「フン。そのいいかげんなシャベクリで会社をつぶしかけたのは、自分じゃねえか」
太い声でマツオカに反論したのは、岩みたいな顔をした助手席のオオスギだった。
「いいか、ハルナ。最初はこの松岡が社長だったんだ。ところが、こいつが見つけてくるのは、うちじゃとてもやれそうにない面倒な仕事だったり、おおざっぱな見積もりの契約だったりの連続だ。たちまち倒産の危機さ」
「よく言うぜ、大杉。オレの代わりに社長になったはいいが、接待だ、宴会だ、社長らしい格好しないとって、やたら派手に金を使いまくったのはだれだ? おまえの乱脈経営のせいで会社はまたもや破産寸前に追い込まれたんじゃねえか」
「なーるほど。それでとうとう安田さんがやることになったわけ?」
オオスギが細い眼を精いっぱい見開いてうなずいた。
「借金取りがつぎつぎ押しかけて来やがったんだ。しかたなく安田を急きょ社長に仕立てて、やつらの前に突き出したってわけさ。するってえと――」
マツオカがすばやくその後を引き取る。
「安田のやつ、みごとに全員を手ぶらのまま退散させちまったんだ!」
「どうやったの?」
「こいつは『払えません。待ってください』って、ひたすら土下座したのさ」
「そんなことでよくすんだね」
「何時間経ってもテコでも動こうとしなかったんだ。相手はどうすることもできないし、だんだん不気味になってきて、とうとうネを上げたってわけさ」
「そうそう。だれもいなくなったのに社長室からもどってこないから、ボコボコにされちまってんじゃねえかと心配になっておそるおそるのぞいてみた。すると安田は、なんと土下座した格好のまんまスヤスヤ寝てやがったんだ!」
そのときのことを思い出してオオスギとマツオカは大爆笑になり、あたしもつられて涙が出るほど笑ってしまった。
「ま、おいらにはその手しかねえからな。それでずっとやってきたんだ」
ヤスダは言い返すでもなく、のんびり間のびした声で言った。
「ずっとって、どのくらい?」
「さあて……もう二〇年になるかなあ」
二〇年! 会社がどうにかそれだけつづいたんなら、ヤスダにはやっぱり社長の才能があったってことだろう。
漫才トリオみたいな三人組のおかしな友情関係は学園時代とぜんぜん変わらないらしいから、これもやっぱり三〇年前に聖エルザに起こった出来事の副産物と言えるのかもしれないなと、あたしは妙に納得した。
三バカとそんな冗談ともつかない会話をかわしているうちに、高速道路をスイスイ走ったバンは郊外の丘陵地帯へ入っていた。スマホのマップを見ても最寄駅の見当さえつかない。彼らと偶然出くわさなかったら、とてもあたしが一人で来られるような場所ではなかった。
落葉した疎林の間を抜けていくと、ゴルフ場の背後の山陰に山荘風のその一軒家は建っていた。前の空き地にバンを止め、雨風にさらされて色のさめたドアの前に立った。
「こんな人里離れたボロ家に住んでるなんて、よっぽど変人か犯罪者にきまってるぜ。聖エルザに昔勤めてた教師なんだろ。何て名前なんだ?」
老朽化した家を見上げて、オオスギがいぶかしそうに尋ねた。
「美術教師のレオポルド教授っていう人だよ」
「レ、レオポルド教授だってェ!」
三人がいっせいにすっとんきょうな声を上げた。
「ハルナちゃん。そいつはなァ、女生徒の弱みを握ってはヌードモデルになるように強要したっていう超ヤバい変態だぞ! それを知ってて会いに来たのか?」
大きく眼をむくマツオカに、あたしはコクンとうなずいた。
当然だ。しっかりメモってある。教授は、三〇年前の大騒動の数年後、『恋文屋ローレンスだとだまされてヌードモデルにされた』と女生徒の一人に訴えられ、懲戒免職になっていた。
だが、三バカが言うように、レオポルド教授には長年にわたって怪しげな噂があったにもかかわらず、それまで一度も問題として浮上したことがなかった。姫は、その点にローレンスの関与があったのではないかと推論していた。
チャイムをいくら鳴らしても返事がない。家の裏に駐められていた車は廃車みたいなオンボロだったけど、タイヤにこびりついた泥は新しかった。中にいるのは確実だ。
「あの野郎め、居留守をつかって追い返そうって魂胆だな。そうはいかねえ――」
オオスギは、暖炉の薪にするらしい軒先にあった丸太を怪力で持ち上げ、いきなり戸口にむかって投げつけた。大音響がしてドアのちょうつがいが吹っ飛んだ。
「な、なんてことするんだ!」
あたしはビックリして跳びのいたが、ヤスダが平然として言う。
「なあに、帰りに直しておけばいいさ」
三人組は、籠城している犯人を引きずり出そうとする警官隊みたいにズカズカと乗り込んでいく。あたしは彼らの後ろについて恐る恐る中へ足を踏み入れた。
居間にはたった今まで人がいたのは確実で、ストーブにはチョロチョロ火が燃え、ヤカンからは湯気が上がっている。描きかけの風景画を乗せたイーゼルが立っていたり、絵の具で汚れた机の上に絵筆が散乱してたりして、たしかに画家のアトリエ風に見える。
三人はどこかに隠れているにちがいないレオポルド教授を探して、さらにキッチンや寝室に遠慮なく入り込んでいく。あたしはハラハラしながらそれを見守った。
すると――
「こっ、こりゃ……」
あたしが立ってる居間の一部をパーテーションで区切った続き部屋に入っていったマツオカが、いきなり裏声で叫んだ。
「た、たきざわ――!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます