Episode 3 Obscure Shadows of Lawrence ―― 怪人物の影

Ep.3 HARUNA 1

 正門を出たところで、あたしは立ちつくしてしまった。

(これからどうしよう……)


〝本当の母親〟を探そうとひそかに意気込んでやって来たが、ママたちが大切に守りつづけてきた秘密がそんなにあっさりと解けるはずがなかったのだ。

 いや、それくらいは自分でも予想していたことだ。何人もの人に誠実に気持ちを打ち明けて話をしてもらわなければならないだろうし、いくら拒否されてもくじけず、ねばり強く説得をつづけて聞き出していくつもりでいた。


 だけど、今やそんなことではすまないとわかった。

『恋文屋ローレンス』――

 どこか心を浮き立たせるような、魅惑的な響きのある名前。でも同時に、ひと筋ナワではいきそうもない、妖しくて底知れない悪意をひそませているようにも感じられる名前。


 それが具体的な人物の名前であり、七〇年近くにわたって聖エルザに関わりつづけてきたことも判明した。しかし、ファイルの中に出てくる証言者の言葉や行動の記録から推察される人物像は、どう見ても単純なものではなかった。


 自分がローレンスであるとはっきり名乗った数人でさえ、高齢の老人だったり、貧乏な大学生だったり、長年聖エルザに実直に勤務してきて怪しげなところのまったくなかった教師だったりした。まだ女子校だった時代にクラスメートを誘惑したという女子生徒までいた。

 この複雑怪奇な謎を解かないかぎり、〝本当の母親〟にたどり着くことはできないのだ。


(だけど、あたしには姫みたいな抜群の推理力があるわけじゃない。やっぱり、証言してくれそうな人を一人一人見つけていくしかないじゃないか……)

 あたしはそう考えることにした。


 現在でもなんとか会えそうな事件関係者をピックアップし、そのうちの何人かはキャティの協力で元教員や同窓会の名簿などを当たって所在の見当もついていた。

 まだ午後の早い時刻だから時間はたっぷりある。今日は推薦入試で学校は公欠だし、おふくろにもパパからもらったスマホで合格を報告した。「赤飯たいて待ってるからな」とおふくろは嬉しそうに言った。店を閉めてから作るんだろうから、それまでに帰ればいい。


 あたしが最初にどこへ行こうかとメモをのぞき込んでいるときだった。

「おーい、ハルナじゃないかあ!」

 呼びかける声にふり返ると、うす汚れた大型のバンが正門から出てくるところだった。窓から手を振っているのは、中年の作業着姿の男たちだ。

「大杉のおじさん? それに、松岡さんと安田さんも?」

 オオスギたちは、キャティと同じ空手部のメンバーだ。おふくろがさんざんしごきまくってなんとか戦闘要員に仕立て上げたんだと言っていた。通称〝三バカ〟と呼ばれている連中だ。


「聖エルザに合格したんだってな。おめでとう!」

 あたしの横に車を止めると、マツオカが運転席から首を出して言った。

「おれたちの頃とはぜんぜん価値が違うぜ。今や都内でも屈指のエリート校だからなあ」

 助手席のオオスギは、細い眼をさらに細めて微笑みかけた。

「いや、ていうか、おれたちの学年だけがひど過ぎるんだ。〝聖エルザの黒歴史〟とか言われてるらしいぞ」

 マツオカが混ぜっ返すように皮肉っぽく言う。


 彼らが入学したのはあの事件があった三〇年前の混乱の年だ。敵は学園の理事会に圧力をかけ、強引に共学化を実施した。息のかかった荒くれ者を大量に引き入れるためだ。ミホ母さんたち新入生の合格点は公正に統一されていたが、二、三年の編入者には男女数のバランスをとるという口実で別々の基準が設けられていたらしい。


 しかも、急な募集だったから、男子の編入希望者は他校を退学になったようなはぐれ者が多くを占めた。医大に現役合格したオヤジは、かなり例外の部類だったらしい。

 まったくひどい話だが、オオスギ、マツオカ、ヤスダの三人組はまさにそういう落ちこぼれで、受かったことが奇跡に近い連中だった。そのおかげで今も聖エルザと関わりつづけているわけだから、人の運命なんてほんとにわからない。


「どうしてあたしが合格したことを知ってるの?」

「水谷から聞いたのさ。あいつ、ガラにもなく嬉しそうにしてたぜ。あれでもパパなんだな。おれたちは水道の修理を頼まれて来てたんだよ。ちょうど終わって帰るところさ」

 なるほど、三人が共同で建設会社をやっているのは知っている。たまたま用務員のパパが依頼した仕事でやって来ていたらしい。


「乗ってかないか? どこでも好きなところまで送ってやるからさ」

 お調子者のマツオカが、まるで女子高生をナンパするみたいに無責任に言う。

「どうしよう……」

 あたしは迷った。手始めに電車ですぐに行けそうなところに住む証言者を回ろうと思っていたのだが、車があるとなれば話がちがってくる。恐る恐る場所の一つを言ってみた。


「埼玉の奥だって? そりゃあいい。紅葉見物にもってこいのドライブ日和だぜ。今日の仕事はもう終わったんだし……おい、いいよな、社長!」

 マツオカが、バックミラー越しに後部座席にいるヤスダに怒鳴った。


 そういえば、ヤスダだけがパリッとしたスーツを着込んでいる。マヌケヅラとは口が裂けても言えないが、彼が社長だというのはいつも不思議に思っていた。

 ヤスダはのんびりとうなずいた。

「いいよ。腹も減ったしな。ついでにサービスエリアでラーメンでも食っていこうか。ハルナちゃんはソフトクリームがいいか? 遠慮するなよ、会社の経費で落とすから」

 それなりに社長らしいことを言う。


 あたしは喜んで彼らの好意に甘えることにした。

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