Ep.2 HARUNA 5

「どうかしたの?」

「こっちへいらっしゃい」

 キャティは自分専用の司書室のドアへとあたしを招き入れた。


 机の上のラップトップに同じ検索画面を立ち上げる。〝恋〟や〝ラブレター〟の項目は何ページにもわたっていて、人名の〝ローレンス〟もだいぶある。

 ところが、かなり進んだところからいきなり文字が真っ赤に変わり、書籍名や分類番号もいっさい表示されなくなった。


「見て。とくに〝恋文屋ローレンス〟は全部赤文字よ。この意味、わかる?」

 見当もつかない。あたしは首を横に振るしかなかった。


「この図書館には、正式に発行された書籍だけじゃなく、聖エルザにまつわるさまざまな古文書から現在の秘密あつかいの文書まで、膨大な書類が収蔵されているアルよ。赤文字になっているものは、持ち出し禁止どころか、一般の生徒や教師には閲覧も禁止。見られるのは学園長など特別なアクセス権のあるほんの一部の人に限られているのよ。それに、こんなにたくさんの赤文字が並ぶのは異例だわ。何か学園の大きな秘密に関係してるにちがいないアルね」


 キャティの様子では、どうやら姫の遺言の内容は聞いていないようだし、パパだってあたしが滝沢礼子のことをしつこく聞いてもさほど怪しんだ風はなかった。つまり、姫の遺言はクルセイダーズだけの秘密になっているということだろう。

 ママに見せてって頼めば「何のためなの?」って聞かれるにきまってる。でも、理由はぜったい明かせないのだ。


(まいったなァ……)

 滝沢礼子の探索に取りかかったばかりだというのに、あたしはいきなり大きな壁に突き当たってしまった。


「ガッカリすることないアルよ。アクセス権なくても見る方法、アタシ知ってるから」

 キャティはいたずらっぽくウインクした。

「ほんと?」

「だって、この二〇年以上にわたって収蔵書類の整理や分類してきたの、このアタシよ。いちいち他人にアクセスしてもらってたら仕事にならないネ。だから、操作見られないようにこの部屋に入ったアル」

 何重にも仕掛けられたアクセス権の確認画面を、複雑なコードをすばやいキータッチで入力することでつぎつぎクリアしていく。


「やったね!」

 赤い文字が緑色に変化し、空欄だった横に整理番号が流れるように表示された。

「喜ぶの早いアルよ、ハルナ。保管庫に入って番号の棚からいちいち書類を探し出してチェックしなきゃならない。これだけの項目を全部調べるにはずいぶん時間かかるよ。チクリン校長の許可があれば、もちろんOKだけどサ」

「それは……」


 あたしのためらいを見て、キャティはこくんとうなずいた。

「何かママには言えない事情があるアルね。わかった。ハルナちゃん、司書のアタシの権限で二時間だけ保管庫に入らせたげる。あなたの用件は……そうネ、聖エルザの歴史について、姫のお父さんが書き残したメモ類や姫が現代語訳した古文書とかも保存されてるから、それを閲覧するってことにしまショ」

「そ、それって、とっても大切な書類なんじゃないの?」

「もちろん。でも、聖エルザに入学するクルセイダーズの娘なら、当然読んどくべきモノだし、その権利もあるわ。グッドアイディアよ!」


 しかし、たった二時間では調べられる数は限られている。あたしは「恋文屋ローレンス」でヒットしたもののリストだけプリントアウトしてもらい、掌紋と音声の厳重な二重ロックをキャティが解除するやいなや保管庫に飛び込んだ。


 番号の書類を探し当てるだけでも大変だったし、うんざりするほど分厚いファイルもあった。おまけにコピー禁止だからいちいちメモを取っていくしかなさそうだ。


 いちばん驚いたのは、もっとも古い書類の日付が何十年も昔、それこそ太平洋戦争直後にまでさかのぼるものだったことだ。当時の人間から証言を得るのはたぶんもう無理だろう。それが例外というわけではなく、書類はそこから数年おきにえんえんと連なっている。


 都市伝説のようなものなのか? それとも、聖エルザのような古い学校にはよくある七不思議のたぐいなのだろうか? 〝恋文屋ローレンス〟という名前は、学園の歴史の中にときおり思い出したように現れるのだった。一人の人間がすべてに関わってきたとは、とても思えない。そんな雲をつかむような話の連続に、あたしは呆然となった。


 何十ページも読まされたあげく、最後に『恋文屋ローレンスのふりをして女生徒を誘惑しただけだ』という変態教師の自白であっけなく終わっているファイルもあった。あたしはとうとう頭にきて、書類の束をバタンと閉じ、絶望的な気分で頭を抱えた。


 すると、ヒラヒラと視界の端を舞うものが見えた。ファイルの最後にはさんであった紙片が、乱暴に閉じた勢いで飛び出したらしい。


《無関係だと主張しつづけていた犯人が急に告白するに至ったのは、恋文屋ローレンス自身からの脅迫があったからではないか。そう考えられる根拠は、つまり……》


 ウグイス色の紙には、女性らしいきれいなペン書きの文字でみごとな推理が展開されていた。しかも、あたしがたった今眼を通したばかりの漠然とした書類だけを手がかりにして、その水ももらさぬ論理が構築されたことは明白だった。

(そうか。これは姫が恋文屋ローレンスのことを調べた痕跡なんだ……!)


 あたしは急いでリストにあるファイルを集めてきて中央のテーブルに積み上げると、同じ紙が入っているものがほかにもないかどうか、片っ端から調べはじめた。

「やっぱり」

 三〇以上もあったリストのうち、五分の一ほどにウグイス色の紙が見つかった。ローレンスと深く関連すると思われるファイルが、たちまちそれだけの数に絞られたことになる。しかも、姫のメモ書きを読んでいくだけでも、それぞれの出来事の概要がかなり把握できた。


(姫はちゃんと手がかりを残しておいてくれたんだ。ファイルに『恋文屋ローレンス』のキーワードを設定したのも姫自身にちがいない。もちろん、赤文字に指定してあるってことは、遺言をかなえようとする者がしかるべき資格の持ち主であることを想定していたのだろう。あたしがその数に入ってないことは確実だけれど……)


 でも、あたしにためらいはなかった。そうとなれば、あとはローレンスという人物を突き止める手がかりになりそうな書類を探すだけでいい……。

 あたしはカーッと熱くなる頭を振りながら、一心不乱に大量の書類と格闘した。


 二時間はアッという間に過ぎ、あたしは保管庫を出た。まるでフルマラソンを完走したような疲労感だった。

 司書室では、キャティが空腹にしみるいい香りのする紅茶をいれて待っていてくれた。あたしは山のように積み上げられたクッキーやサンドウィッチをむさぼるようにかじり、熱い紅茶をゴクゴクと何杯もおかわりした。

「どう、成果はあった?」

「わからない。調べれば調べるほど、どんどんわかんなくなっていくみたい」

「いったい何を探しているの?」


 探しているのが〝本当の母親〟だとは言えない。だけど、その手がかりとなるはずの人物が、今やあたしの前に巨大な亡霊のような姿をした謎となって立ちはだかっていた。

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