Ep.2 HARUNA 4
「制服があるならそれに着替えたほうがいい。聖エルザはほかの学校とはちがう。他校生を見かけたってだれも怪しみはしないさ。笑顔でどこにでも案内してくれる」
パパに言われ、あたしは自分のために用意された二階の部屋へ上った。
パパとママの手作りのベッドにはちゃんと上掛けや枕もセットされて、すぐにもここで生活できるように準備されていた。花柄や派手な配色はいかにもママ好みで、あたしにはちょっと幼すぎる感じではあったけど。
着替えを終えてベッドに腰かけ、もらったばかりのスマホをのぞいてみた。電話番号やメールのリストには、あたしに関係のある人の名前がもうズラリと並んでいる。これは便利だ。あらためて水谷パパに感謝の気持ちがジワリとわいた。
仕事にもどるパパと中央の通りまで行き、学園内を見学していくからと言って別れた。
パパには『幸福を壊すことになるかもしれない』と警告されたけど、本当の母親がだれなのかを知りたいと思いはじめて以来、それはずっと悩みつづけてきたことだ。知ったからといって、今以上の何が得られるというのか――失うもののほうが大きいかもしれないとも思う。
だけど、ようやくわかった気がする。
たいがいの人にとって人生の大きな関門になるはずの高校受験が、あたしにとってはあまりにもアッサリと、何の困難もなくクリアされてしまった。それというのも、あたしが学園の創立に関わった一族の直系の子孫で、親たちも学園の関係者であるという特権的な立場にいるからだ。そのおかげで、多くの受験生があこがれる名門校であるばかりか、今や屈指の難関校となった聖エルザにいとも簡単に合格できたのだ。
(こんなことでいいのだろうか……)
青ざめた顔で受験勉強に取り組む同級生たちを横眼に、そういうモヤモヤした気持ちがどうしてもぬぐえなかった。
でも、聖エルザに入ることの意味合いが、あたしとほかの受験生とでは大きく違っているのだ。あたしは、自分が望もうが望むまいが、それこそ生まれたときから聖エルザに入ることになっていたのだから、やましさや後ろめたさを感じる必要などどこにもありはしない。中等部から入学させなかったのは、あまりにも聖エルザべったりになって、世間を広く見られなくなってはいけないという配慮からだった。
だから、これは他人と比較してどうこうという問題じゃない。あたしが希望に胸をふくらませながら晴れて新入生たちの列に加わるには、彼らとは何かぜんぜん別の次元の難題をクリアしなければいけないんじゃないか、ということなのだ。
(入学というこの機会に、あたしがだれの子なのか――いえ、あたしがいったい何者であるのかを自分自身の手ではっきりさせてこそ、心の故郷ともいうべき聖エルザ学園に入学する本当の資格を手に入れることになるんじゃないか――)
あたしはそう考えながら聖エルザにやって来た。
そして、チクリンママから姫が残した遺言を聞いたとき、あたしは眼が覚めるようなヒントが示された思いがした。
姫は、あたしが本当の母親ではないかと疑う、まさにその滝沢礼子を探してくれと言い遺していた。姉として妹の行方がいちばんの気がかりだったのはたしかだろう。
だけど、本当にそれだけだろうか? 滝沢を探す手がかりは〝恋文屋ローレンス〟という不思議に心にからみついてくるような謎めいた言葉だ。言いかえれば、滝沢にたどり着くにはその謎を解き明かさなければならないということでもある。
学園一の明晰な頭脳を持ち、三〇年前の事件でも聖エルザに秘められた大きな謎を解き、クルセイダーズの先頭に立って敵との戦いに臨んだという姫。その彼女が遺した言葉は、もしかしたらあたしに向けられた課題なんじゃないのだろうか? そして、その難問を解決したとき、あたしはきっと同時に自分が知るべき真実の全体をまざまざと眼にするにちがいない――そういう予感も生まれた。
だから、パパに『本当の母親はわからない』と言われたとき、あたしは落胆するよりむしろ、やっぱりそうなのかと納得する気持ちのほうが強かったくらいだ。
(なんていうんだっけ……人生の節目には人がかならず乗り越えなければならない関門が待ちかまえていて、それをクリアすることでようやく一人前の人間として認められるっていう……そう、〝通過儀礼〟だ。ほかの人が受験という関門に挑戦しなければならないなら、あたしは姫の遺言をかなえるという難題を突破しなきゃいけないんだ!)
あたしは新たな思いを胸に、散り敷いた枯葉を踏みしだいて道を急いだ。
これから向かう先にはもらったスマホをさっそく使って連絡してあった。説明された建物はすぐ見つかった。都内の高校の中で最大規模の蔵書数を誇るという立派な図書館である。
そびえ立つ書架を見上げながら進むと、突き当たりに貸し出しカウンターが見えてきた。
「オー、ハルナちゃん! 合格のこと、さっそくチクリン校長から聞いたアルよ」
金髪の女性が大げさなくらい嬉しそうな笑顔で迎えてくれた。ママが言ってたとおり、姫の一周忌に合わせた黒のパンツスーツがよく似合う。司書のキャティだ。
「もうすぐお昼だからいっしょに食べよう。購買のパンくらいしかないけど、その代わりオッカサンが香港から送ってくれた美味しいダージリンティーいれたげるからネ」
「ありがとう。でも、その前にちょっと調べたいことがあるんだ」
「ホー、合格したと思ったらもう調べモノ? ハルナちゃん勉強家アルね」
キャティはカンフーの達人で、クルセイダーズを助けて戦った空手部のメンバーだった。日本の歴史と文化への興味が昂じて大学で古典文学を専攻した。
今でも日本語のイントネーションとか言葉づかいが独特だが、国語教師の免許も持っているというから、〝ちんぷんかんぷん〟の代わりに〝チクリン漢文〟と言われたというママなんかより、聖エルザの図書館司書を務めるのにずっとふさわしい人物だろう。水谷パパと並んで、キャティはクルセイダーズのつぎにあたしには身近な人だ。
閲覧用のテーブルでは、大学受験を控えた高等部の生徒たちが、空き時間を利用して静かに勉強している。あたしは声をひそめ、検索してほしい言葉をささやくように言った。
「〝恋文屋ローレンス〟? ラノベか何かのタイトルかな」
キャティは言いながら眼の前のパソコンをあざやかな手つきで操作した。
「ええと……フェルメールの画集に『恋文』って作品があるわね。D・H・ローレンスの小説『チャタレー夫人の恋人』もヒットしてるアル。そのままのタイトルの文書はないわね。けど、ちょっと待つアル。ここに収蔵されてる書籍や文書には、内容の見当をつけやすいように、いろいろな人がキーワードを設定してるのよ。もしかしてそっちなら――」
すると、にこやかな表情で画面をスクロールしていくキャティの顔つきが、スーッとハケではいたようにみるみる厳しいものに変わっていった。
「こ、これって……!」
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