Ep.2 HARUNA 3
パパは眉の端をピクッと上げたが、驚きも動揺も見せなかった。
「おまえも高校に入る年齢になった。三人も母親がいて幸せだと無邪気にしていられるのも、そろそろ限界だということはわかる。だが、おれはその質問には答えられない」
「なぜ?」
「理由の第一は、母親たち自身が、まだおまえに真実を話す気にはなっていないだろうと思うからだ。すくなくともチクリンはそうだ。たとえおれが知っていたとしても、彼女の頭越しに教えるわけにはいかない」
「知っていたとしても、って?」
「それが理由の第二。おれにも、おまえを産んだのがだれなのかがわからないのだ」
あたしは驚いた。
「ほんと?」
「ああ。ママとの間にほかに秘密はない……おれはそう信じている。だが、チクリンが本当におまえを産んだのか、それともほかのだれかが母親なのかについては、おれにはまったく打ち明けてくれない。三人の約束――というか、クルセイダーズの間の誓いはそれほど堅固なものなのだろう」
そうだったのか……。
ミホ母さんの旦那さんの若松さんと水谷パパが父親ではないらしいことは、なんとなく想像がついていた。二人とも結婚したのがあたしが生まれた後だし、それ以前に付き合っていた様子がないのも聞いている。
残る〝父親〟は、クルセイダーズの仲間同士で結婚した唯一のカップルの片割れである「コックリさん」こと、あたしの今のオヤジだ。
おふくろのオトシマエとは医大生だった時代にもう学生結婚している。だから、本当の親はだれなんだろうとあたしが初めて疑問に感じはじめた頃、二人のことをまっ先に考えた。
あたしが生まれたのがほかならぬオヤジの実家の湘南の宇奈月医院だったし、戸籍上もいちおう「父・宇奈月京平、母・恵利」となっている。真相を問いただすなら、いちばん確実なのがオヤジだってことはわかっていた。
だが、いちばん難しい相手がオヤジだというのも事実だ。
あたしが深川にいたこの五年間でも、家にいたのは合計半年にも満たないだろう。ふらりと長い旅行に出たり、新婚時代から借りたままのアバートや大学病院の宿舎に泊まったり、このところは湘南の実家に閉じこもりっぱなしで別居状態がつづいている。たとえ会いに行ったとしても、まともに話をしてくれるとは思えない。
「滝沢礼子って、姫の義理の妹っていうか、母親の違う姉妹なんだよね。あの人が本当のあたしの母親だってことはない?」
ずっと疑っていたことだとはさとられないように、できるだけ可能性の一つという感じで聞いてみた。
パパは難しい顔をして腕組みした。
「ありえない……とは、たしかに言えないな。滝沢は聖エルザを卒業するまでは姫と暮らしていたが、その後は一人暮らしをして大学も中退してしまった。アルバイトを転々と変えながらなんとか生活していたようだが、姫に援助してもらってたこともあるらしい。行方がわからなくなったのも、今回が初めてではないしな」
そうか、その間にあたしを宿してしまったとも考えられる。
彼女に生まれてくる子どもを育てる意志や生活力がなかったとしたら、ママたちクルセイダーズのみんなが結束して出産の手はずを整えてやり、赤ん坊を引き取り、養育することにしたっておかしくはない。
『あなたは、私たちクルセイダーズみんなの子よ』
そう言ったのは姫だ。彼女のその言葉は、クルセイダーズ全員の気持ちを代弁するものだったにちがいない。
「滝沢礼子は行方不明のままなんだね……ねえ、パパ。お願い、その人のことをもっと教えて」
水谷パパは、聖エルザに対して孤独な戦いを挑もうとした滝沢の唯一の味方だったことのある人だ。パパはうなずき、ゆっくりと語りはじめた。
滝沢礼子は、本来ならクルセイダーズの六番めのメンバーになるはずの生まれだった。彼女の母は隠れキリシタンの指導者・天草四郎の血を引く六家の一つの娘だったが、学生運動に身を投じて官憲に捕らえられ、聖エルザの財宝のことをもらして学園を窮地におとしいれてしまった。精神を病んだ母は、姫の父にいざなわれて東京郊外の山荘に隠棲する。そこで二人の間にできた子が滝沢だったのだ。
滝沢は姫の父が自分の父親でもあることを知らず、聖エルザの理事長・祖父の白雪高太郎によって母が山荘に監禁されたものと信じた。彼女は学園と白雪家に強い恨みを抱きながら成長し、聖エルザへ入学する。
おりから、聖エルザの財宝をねらう『若』こと姉小路征司郎が学園を共学化し、配下を引き連れて乗り込んできたところだった。滝沢はクルセイダーズと『若』との間を暗躍し、事件に大きな影響をおよぼすことになった。
「財宝が隠された地下洞窟にまっ先にたどり着いた滝沢は、爆薬を仕掛けて財宝もろとも自分を埋もれさせてしまおうとした。しかし、最後の最後で姫が真実をすべて解き明かし、自分が滝沢の姉であることを告げた。姫はおれやミホを先に逃がし、死を覚悟して妹の滝沢と地底に残った。爆破をのがれて二人が抱き合って無事に生還したとき、過去のすべてのいきさつとわだかまりはきれいに水に流されたと思ったのだが……」
予想はしていたが、彼女はかなりエキセントリックな女性だったらしい。
「パパは、なぜ滝沢礼子を助けて戦おうとしたの?」
「おれは、理想のためだろうと、復讐のためだろうと、むこうみずに困難に挑んでいくやつが好きなんだ。たぶん、それを支えるのがおれの生きがいなんだろうさ。そう……見かけも性格も正反対というくらいちがっているが、あのときの滝沢と今のチクリンは、どこか似てるかもしれないな……」
言ってしまってからハッと気がついて、パパは照れくさそうに小さく苦笑した。
「だが、ハルナ。本当の母親を知ることは、おまえ自身の幸福を壊すことになるかもしれないとは思わないのか? すくなくとも、おまえをずっと娘として育ててくれた親たちのうちの何人かの愛情と好意を断ち切ることになる。おまえを育てることは、ママたちにとってもまちがいなく喜びであり生きがいだったのだ」
あたしはパパの言葉をかみしめ、それからゆっくりとうなずいた。
「ケーキの味が変わってしまうぞ。早く食べてしまいなさい」
パパは、話はここまでだというように、そう言って立ち上がった。
ケーキ皿のココアパウダーが点々とにじんでいる。あたしの眼からあふれ出た涙の跡だった。
「おまえの入学祝いにと思って用意しておいたプレゼントだ」
棚から取ってきた箱をテーブルの上に置いた。
開けてみると、ずっと欲しかったスマートフォンだった。頭の固いおふくろは『中学生にケータイなんて』とまったく取り合ってくれなかったのだ。スイッチを入れると、あたし用にすっかりセットアップしてあることがわかった。あたしの涙は温かい嬉し涙に変わった。
「これはおまけだ」
パパが取り出したのは金属製の棒のようなものだった。
「何? それ」
「そのトレーニングウェアを見れば、今日もおまえが街中を走ってきたことがわかる。どんなときも練習を欠かさないのはいいスポーツマンの条件だ。だが、不特定多数の眼にさらされながら若い女の子が走るんだ。危険がせまったときには自分で切り抜ける覚悟が必要になる」
言いながら、パパは手首を使ってすばやく左右に振るような動作をした。たちまち鋭利な刃が飛び出してギラリと鈍い光を発した。
「バタフライナイフだ。この動作を自由自在にできるように練習するんだ」
クルリと手首を返すようにすると、一瞬でまた元の棒にもどった。
あたしは息をのんでその魔法のような妙技を見守った。
「だけど、そんな物騒なもの、もし学校で見つかったら停学モノだよ! それに、重いし、じゃまで走りづらいし」
いくらなんでも大げさすぎると思った。
「そうか? 危険とはつねに未知のものの向こう側に待ちかまえているものだぞ。おまえが好奇心のない娘だとは思えないがな」
あたしはハッとした。自分がこれからやろうとしていることは、まさに未知の世界に踏み込んでいくことなのだ。
「父親なんてそんなロクでもないことばかり考えるものさ。もうしばらくはパパとして心配させてくれ」
手のひらに乗せられたズッシリくる鉄の塊を、あたしは愛情の重さだと感じた。
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