3話「日曜日の結末」②
2 七月一五日(土曜日)――三度目のスタート地点
土曜日の朝は智樹の声で起こされる。三度目ともなると、さすがにもう慣れてきた。世界は晴れ渡っている。前の夜にどんな夢をみたとしても、天気が変わることはない。
ケイが待ち合わせの喫茶店に到着したとき、まだ津島の姿はなかった。代わりに二人の女の子がいた。
一方は春埼美空だ。それは不思議ではない。問題は、もう一方だった。彼女の斜め向かいに村瀬陽香が座り、不機嫌そうな表情でアイスコーヒーを飲んでいた。どうして? 津島が呼んだのだとすれば、事前に伝えておいて欲しいものだ。
春埼はいつも通りにケイを見上げる。
「おはようございます」
仕方ない。逃げ出すわけにもいかない。
ケイも「おはよう」と返して春埼の隣に座る。そこはつまり、村瀬の正面の席だ。彼女は口を開かなかった。殺す殺すと繰り返された相手と喫茶店で向かい合っているのは、正直気まずい。
「おはようございます、村瀬さん」
と言ってみた。返事はない。
続けて尋ねる。
「どうして、ここに?」
彼女はいつもの、
「津島に呼ばれた。あんた、どれだけ知ってるの?」
知ってる?
「なにをですか?」
「私のことよ。能力の説明は、津島から受けた?」
そんなもの、話を聞くまでもない。目の前で彼女が実演してみせたのだから。なんだか、違和感があった。少し悩んだが、ケイは言ってみる。
「いまさら、わざわざ説明してもらうまでもありませんよ」
彼女はわずかに眉を寄せる。
「いまさらって、どういうことよ?」
「リセットする前に、僕たちは顔を合わせています」
「ええ。それが?」
「どこで会ったか、覚えていますか?」
「この喫茶店よ。なんなの、一体?」
「いえ――」
ずれている。話がかみ合わない。彼女の表情に、嘘をついている様子はなかった。こんな嘘をつく理由にも思い当たらない。だとすれば。
「村瀬さん。僕を殺したいですか?」
彼女は
「どうしてあんたを殺さないといけないのよ」
それはこちらが訊きたい。
「冗談です」
とケイは言った。
「悪趣味ね」
と村瀬は答えた。不機嫌そうな顔だった。
おそらく間違いないだろう。彼女には、リセットの前の記憶がない。いや、最初の土曜日の記憶は持っている。彼女とは確かにこの喫茶店で顔を合わせた。そして、事故に遭った猫を助ける依頼を受けた。でも、二回目の土曜日。あの河原でケイを襲った土曜日の記憶はもっていない。一度目のリセットでは彼女から記憶を奪えず、二度目のリセットでは彼女の記憶も奪った。どうして?
ケイは尋ねる。
「猫は、もういいんですか?」
「どうせそれも、津島から聞いているんでしょう?」
いや。彼は村瀬のことを、なにも教えてくれなかった。
「あの猫を、
「なにを言いたいの?」
「この話は嘘です。雑種でオスというのは本当。でも、貴女の飼い猫ではなかった」
「よく調べたわね。それが?」
「だとすると、依頼の理由がわかりません」
飼っていた猫のためにリセットを使えというのは、わかる。もちろん人によって違うだろうが、肉親と同じようにペットを可愛がる人もいる。でも無関係な野良猫のためにリセットを使わせるのは、一般的に考えて過剰だ。
村瀬は答えた。
「試してみたかったのよ。あんたたちの能力を、私の能力で打ち消せるのか」
悩みながら、ケイは踏み込む。
「貴女に会ってから、僕たちは二度、リセットを使っています」
「そうらしいわね」
「津島先生に聞いたんですか?」
「あんたの
「それはすみません。一度目のリセットは、確かに貴女から記憶を奪えなかったのだと思います。でも二度目は、貴女にも効果があった。どうしてですか?」
「実験は一度でいいでしょ。一度成功すれば、それでいい。もうあんたたちに興味はない」
「なるほど」
その言葉は、嘘だ。
彼女は一度、リセットを打ち消したあとも、警戒し続けていた。五分しか効果が持続しない能力を使い続けていたはずだ。「全身、能力」と繰り返していたから、村瀬が猫を撫でるたびに、野ノ尾の能力が解除されていた。
村瀬が記憶を失っている時間――ひとつ前の、木曜日から土曜日、彼女はなにをしていた? 彼女に、なにが起こった? 唐突にケイたちの前に現れて、殺すと宣言した理由がそこにあるはずだ。
会話が止まるのを見計らっていたのだろうか、店員が注文を取りにくる。メニュー表から、ケイはコーヒーフロートを選ぶ。
不機嫌そうな表情のまま、村瀬は言った。
「どうしてそんなの頼むのよ?」
「嫌いなんですか? コーヒーフロート」
美味しいのに、もったいない。
「だって、氷にアイスが
確かに。それは構造上の大きな問題点だ。優雅にコーヒーフロートを楽しむには、多少のアイスクリームを犠牲にする精神が必要になる。
「アイスコーヒーとアイスクリームが欲しいなら、別々に注文すればいいじゃない。わざわざ上に載せて出すのって、なんだか品がないわ」
「でも、別々に頼むと高くつきますよ?」
「どうせ支払うのは津島でしょ」
「あ、そうか。注文の前に教えてくれればいいのに」
「知らないわよ、そんなこと」
殺されそうになった相手との無駄話という貴重な時間を過ごしていると、ようやく津島がやってきた。五分ほど遅刻している。
村瀬の隣に座る彼を、彼女が睨みつける。
「どうして、このふたりまで呼んだの?」
津島は軽く答えた。
「マクガフィンが盗まれた。お前たちには、それを取り返してもらう」
唐突な話だ。頭の中で整理できつつあった状況が、また散らかった。息を吐き出すケイの隣で、春埼はモーニングセットのホットケーキを運んできた店員に「私です」と告げた。いつも通り、こちらの話にはあまり関心がないようだ。津島がその店員にブレンドコーヒーを注文する。
店員が立ち去ってから、村瀬が口を開く。
「ここにくれば、マクガフィンをもらえるって話だったと思うけど?」
なるほど。だから村瀬は、素直に呼び出しに応じたのか。
津島はテーブルに
「盗られたものは仕方ないだろ。取り戻せば、お前のもんだ」
「なら私ひとりでいいでしょ。こいつらはなんなの?」
「このふたりは、お前の先輩だ」
「どこが? 年下でしょ?」
彼は村瀬の方を向いたまま、ケイを指さした。ケイはその指先を避けることもできず眺めていた。
「こいつは過去二年間で、もっとも管理局を苦しめた」
村瀬の瞳が、わずかな時間大きくなり、すぐに細められる。感情が顔に出るタイプらしい。素直なのはいいことだ。
「どういうこと?」
「二年前。中学二年生だった浅井ケイは管理局のルールに逆らい、ほとんど成功した。盤上は綺麗に詰んでいた。こっちにはポーンがいくつかあるだけで、向こうにはクイーンがふたつ並んでいた。子供相手に、管理局は大混乱だ」
「それで、どうなったの?」
「こいつはそこで席を立った。管理局は慌てて、駒を初期配置に戻した。なにもかもが元に戻り、二年たった」
村瀬がこちらを睨む。
「本当なの?」
ケイは首を傾げてみせる。
「僕の記憶とはずいぶん違いますね」
笑って、津島が言った。
「お前の記憶じゃ、どうなってるんだ?」
「初めから、盤上にキングがいなかった」
頑張ってみたけど目標のキングはいなかった。どうしたところで勝ちようがない。
「意味がわからない」
と、村瀬がぼやく。でも、そう難しい話ではない。ケイは管理局に対して、
コーヒーフロートが運ばれてきて、ケイはそれを受け取る。コーヒーがこぼれないように注意を払いながら、上に載ったアイスクリームをすくった。
津島は言う。ケイを指差したまま、村瀬の方を向いて。
「だから、こいつはお前の先輩なんだよ」
村瀬はまた顔をしかめて、ぼやく。
「そんなのが、どうして管理局の手先をやってるのよ?」
「俺も疑問だよ。どうしてだ?」
わざわざ口に出して答えたいことでもなかった。それよりも氷の上に載ったアイスクリームの処理に集中したかったけれど、仕方なく答える。
「無理に逆らっても仕方ないですよ。元々、管理局が嫌いなわけでもないし」
二年前、ケイはできる限りの準備をしたつもりでいた。でもそんなものでは、まったく足りないのだと気づかされた。初めから、考え方を間違えていた。あのころは強引に我儘を通すのが
「それより今はマクガフィンのことです。誰が、なんのために盗んだんですか?」
津島が、ああ、とつぶやく。
「昨日の放課後、マクガフィンは職員室の引き出しにあった。だがほんの二、三分、職員室からすべての教師がいなくなった時間ができた。そのあいだになくなっていた」
「津島先生がうっかり失くしたわけではなく?」
「違う。盗まれたことは事実だ」
ケイは津島の顔をじっとみつめる。彼の表情のサンプルは、記憶の中に多数ある。おそらく嘘はついていない。
「犯人の姿は、誰もみていないんですね?」
「みていない。だが、そこにマクガフィンがあったと知っている人物は限られる。職員室を無人にできる人物も。犯人はおそらく、好井良治だ」
非通知くん。管理局でさえ利用する情報屋。たしかに彼なら、その時間、職員室にいるはずの教師すべての情報を操るくらいのことはやるだろう。だが根拠としては、やはり弱い。ケイだってマクガフィンの在り処は知っていた。正直、同じことをやろうとすればできる自信がある。
違和感があったが、ケイはなにも尋ねなかった。おそらく津島は別の情報も持っているのだろう。犯人が非通知くんだとほぼ確信できるだけの情報を。それについて、ケイも心当たりがないわけではなかった。
「動機なんかはどうでもいい。さらっと取り返してくれ」
気軽に津島は言う。
「取り返すんじゃない。私がもらう」
と、村瀬は答えた。
ふたりの会話に口を挟む理由はない。春埼は黙々とホットケーキを口に運んでいる。彼女の方が正しいのだろうな、と思いながら、ケイは口を開いた。
「ひとつだけ」
コーヒーフロートのアイスクリームをすくいとる。アイスはすでに表面が溶けて、コーヒーを濁らせつつある。
「皆実さんは、非通知くんと連絡を取りましたか?」
津島はしばらく沈黙してから、ゆっくりと首を振った。
「どうでもいいことだ」
その通りだと思ったので、ケイは
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