2話「水曜日からの出来事」⑦



       7



 唐突に、幽霊が現れた。

 その夜ケイは部屋の明かりを消し、ベッドに寝転がり目を閉じて、今日の出来事を思い返していた。みつかった猫のこと、村瀬陽香のこと、その他のいくつかのこと。

 それらひとつひとつの意味について考えていたとき、ふいに名前を呼ばれた。

 女の子の声だった。――まず疑ったのは智樹の能力だ。彼がまた騒々しいメッセージをあのやっかいな能力で送りつけているのかと思った。でも、智樹の声は聞こえなかった。

 仕方なく目を開くと、幽霊がいた。幽霊は薄暗い部屋に、ぼんやりと浮かんでいた。半透明で、皆実未来の形をしていた。

 ケイは深呼吸をする。さて、一体どうしたものだろう。幽霊に出会うのは初めてだ。正直なところ言葉に詰まる。これが物静かな夜道なら悲鳴を上げることもできるけれど、なんの盛り上がりもなく気がつけば目の前に幽霊がいた場合、驚くべきタイミングもわからない。

 そもそも幽霊の態度がよくないのだ。彼女はなんだか、照れたように頭を掻いてほほ笑んでいる。


「えっと、こんばんは」


 と彼女は言った。

 これでは驚きようもない。ケイも仕方なく答えた。


「こんばんは」


 それからしばらく、ふたりとも、口を開かなかった。ケイは体を起こして、ベッドの上であぐらをかいた。――さて、どうしたものか。混乱していたけれど、このまま幽霊とみつめあっていても仕方がない。


「皆実さん?」


 尋ねると、幽霊は頷いた。やはり皆実未来らしい。なんてこった。

 ケイはまだまともに働かない頭で、無理やりに言葉を探した。


「それで?」


 たった三文字。あまりに漠然とした質問だったけれど、それでもこちらが聞きたいことは正確に伝わったようだ。


「気がついたら、こうなってたの。どうしてだと思う?」


「さぁ――」


 幽霊といえば、どうしても死を連想するけれど。ここが咲良田である以上、幽霊になるのに死ぬ必要もない。他の場所であれば、死んでも幽霊にはならないだろう。

 ケイは軽く首を振る。


「わからないけど、幽体離脱ってやつかな?」


 そういう能力があったとしても、不思議はない。

 皆実はなんの能力も持っていなかったはずだ。つまりは、いつ能力に目覚めてもおかしくない。能力に目覚める時期は個人差がある。大人になると確率は下がるけれど、高校生で能力を手に入れるのは、飛びぬけて遅いわけではない。


「幽体離脱? 凄い、超常現象だ」


 皆実は興奮した様子で飛び跳ねた。宙に浮かんだままで飛び跳ねるというのもおかしな話だったけれど、ほかに表現のしようもない。


「ただの能力だと思うけど」


 咲良田に存在する能力すべてが超常現象だといえば、その通りだ。


「これが、私の能力なの?」


「その可能性が高いんじゃないかな。ちょっと考えてみよう」


 能力者は自身の能力を、いつの間にか理解している。とはいえ、説明書のようなものがあるわけではない。漠然と、こういったことができるのではないか、と思っているだけだ。

 たとえば、空を飛べる能力者がいたとする。その人物は実際に空を飛ぶ前から、なんとなく飛べそうだぞという意識は持っている。でも、どれくらいの高さを、どれくらいの速度で、どれくらいの時間飛べるのかわからない。飛び立つ方法もわからなくて、そのまんま日常を過ごして、あるときふと空を飛ぶ。実際に宙に浮かぶまでは、本当に能力を持っているのか、ただの思い込みなのかも判断できない。

 ケイは尋ねた。


「これまで、幽霊になれると思ったことは?」


「なりたいと思ったことはあるよ」


「なるほど。ほかに、なりたいと思ったものはある?」


「吸血鬼、魔法使い、変身ヒーロー、なんでもいいから能力者」


「その中で、いちばんなりたかったのは?」


「どれでもいいかな。どれも面白そう」


 微妙なところだ。ケイは質問を変える。


「幽霊になって、いちばんしたいことは?」


「噂になることかな。口裂け女みたいな。小学生が盛り上がる噂がいいな」


「じゃあこれから、実際にそうしてみる?」


「んー。まずは一度、人間に戻りたいけど」


「戻れそう?」


「まったく。わけわかんない」


 なにかわかった? と皆実は首を傾げた。

 なにもわからない、とケイは答えた。それから、ベッドの上で幽霊の女の子と話していることに違和感を覚えて、立ち上がって部屋の明かりをつけた。

 学習机の前の椅子に座りなおす。皆実は空中を、くるくると回っていた。


「どうしたの?」


「逆さまになってもスカートがめくれないよ。便利」


「それはよかった」


 新しい能力が発生したなら、管理局に報告する義務がある。あとは向こうがマニュアルに従って、どうにでもしてくれるだろう。津島先生に報告しておこう。そう考えていると、皆実がするりと顔をこちらに近づけてきた。ちょっと怖い。


「浅井くん、もっと考えてよ。私、どうなったんだと思う?」


「じゃあ、そういう姿になった直前のことを教えてもらえるかな?」


「覚えてない。気がついたら、こうなってた」


 へぇ、とケイはつぶやく。彼女が幽霊になる能力を持っていたとして、記憶を失うというのは違和感があった。能力には様々な制限があるから、そのひとつなのかもしれないけれど、外的な要因がある可能性もゼロじゃない。


「覚えていることを、順番に話して。学校が終わったころのことはわかる?」


「わかる。浅井くんに見捨てられた」


「結局、ひとりで吸血鬼を探しに行ったの?」


「うん。あ、幽霊山に行ったから、幽霊になったのかな?」


「なにか関係があるのかもしれないけど。吸血鬼はみつかった?」


「覚えてない。山に入ろうとした辺りから、思い出せないみたい」


「それは何時ごろのこと?」


「午後五時を、ちょっと過ぎたころかな」


 もう六時間ほど前だ。


「その次の記憶は?」


「ついさっきだよ。二〇分くらい前」


「で、もう幽霊になっていた」


「うん」


 記憶を辿る。彼女自身が、吸血鬼について語った内容だ。


「何年か前に、吸血鬼に襲われて倒れてた人がいたんだよね。その人がどうなったのか知ってる?」


 その誰かが、本当に吸血鬼に出会ったのだとして、同じことが皆実の身に起こったのかもしれない。皆実に起こっているのが幽体離脱のような現象であれば、彼女の肉体は今、どこかに倒れているのではないだろうか。

 思い出しながら答えているのだろう、彼女はゆっくりとした口調で言った。


「U研にあった資料だと、すぐに意識を取り戻したらしいよ」


「それで? 吸血鬼のことは?」


 皆実が、あ、と小さな声を上げる。


「そうだ。その人も、記憶がなかったんだよ。だから吸血鬼の顔もわからなかった」


 矛盾がある。脇道のような気もしたが、一応は確認する。


「顔は覚えていなかったけれど、吸血鬼に会ったことは覚えてたの?」


「へんだよね。たぶん吸血鬼っていうのは、U研がでっちあげたんじゃないかな。そっか、だからうちの部長も調査に乗り気じゃなかったのかも」


 ま、そんなところだろう。

 彼女の話には、ポジティブな情報がひとつある。以前、吸血鬼に会った人物は意識を取り戻している。なら皆実もすぐに元に戻るかもしれない。あまり楽観的に判断するのはよくないけれど、極端に悲観視しても仕方がない。もし彼女の身になにかよくないことが起こっていたのだとしても、リセットすれば解決するだろう。

 でも、ネガティブな情報もあった。できればひとりで考えたくて、ケイは話題を切り替える。


「ところで、どうして皆実さんはうちに来たの?」


「だって浅井くん奉仕クラブだし。なんとかなるかなと思って」


「残念だけど、奉仕クラブへの依頼は管理局を通さないといけないんだ」


「え。クラスメイトなのに、ひどい」


「もちろん、個人的には協力はするよ。でも今夜は、一度家に帰った方がいい。もう遅い時間だ。家の人が心配しているよ」


「幽霊が帰ってきても、心配すると思うけど」


「津島先生を通して、管理局に連絡しておく。能力に関する問題であれば、すぐに動いてくれるはずだよ。心配ないって伝えといて」


 彼女は不機嫌そうに顔をしかめた。あまりみない表情だ。


「もし私の身体が山の中に倒れてるんだとしたら、放っておくのは気持ち悪いな」


 確かに、その通りだ。リセットするから大丈夫だよ、という話でもない。そもそもリセットのことは、クラスメイトには伝えていない。例外は智樹くらいだ。あまり気安く時間を巻き戻してほしいと頼まれても困る。

 どちらかというと彼女を慰めるために、ケイは提案する。


「じゃあ、今から幽霊山まで行ってみようか?」


 本当に、そうしてもよかった。でも、もし幽霊山に未知の脅威があるとして、ここでなにか大きな失敗をすれば――要するにケイ自身に問題が起これば、リセットも使えなくなる可能性がある。安全を保障できる手段を用意しておくべきかもしれない。

 皆実は顔の前で、両手をぶんぶんと振る。


「さすがに、もう寝ようとしてた人を連れ出すのは申し訳ないよ。じゃあ、明日の朝、一緒に幽霊山まで行ってくれる?」


「いいよ。問題ない」


「あ。でも、明日は奉仕クラブの仕事があるんだよね?」


 ケイは首を振る。それはリセット前に合わせた嘘だった。


「そっちはどうにかなる。気にしなくていいよ」


「ホントに?」


「うん。待ち合わせは、九時に花見崎かみさき神社の石段でいいかな?」


 彼女が頷いて、そういうことになった。

 互いにおやすみと言い合って、皆実は閉じたままの窓の向こうに消えていく。幽霊というのは便利なものだ。

 ケイはその後ろ姿を見送る。雨はもう上がっている。月明かりもない夜なのに、街の光に照らされて、ぼんやり輝く彼女は本物の幽霊みたいだった。その姿がみえなくなって、ケイはカーテンを閉じて、またベッドに寝転がる。

 ネガティブな情報。

 それは、幽霊になった皆実が現れたこと自体だ。リセットを使う前、彼女はこの部屋にやってこなかった。きっと幽霊にもならなかったはずだ。皆実に対しては、できるだけリセット前と同じ対応を心掛けていたはずなのに。なにが影響している? どこで、彼女の未来が変わった?

 くそ、と内心でつぶやく。リセットが原因だ。ケイが春埼に、リセットと指示を出したから、彼女は幽霊になった。幽霊は死を連想させる。二年前に死んだ少女のことを、意識しないわけにはいかない。

 ともかく、今できることをしよう。まずは津島への連絡だ。彼を通して管理局に連絡がいくはずだから、メールを選ぶ。伝言ゲームは言葉よりも文章の方が精度が高い。

 メールを打ち終えてから、次にケイはアドレス帳を開いた。不測の事態に備えて、保険を用意しておきたい。登録している番号のひとつを選び、発信する。

 すぐにコール音が止み、向こうからテンションの高い声が聞こえる。中野なかの智樹ともき。彼の言葉を聞き流して、ケイは言った。


「悪いんだけどさ、ひとつ頼みたいことがあるんだ」


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