2話「水曜日からの出来事」②-2


 神社からの帰り道、ケイと春埼は少し遠回りして、商店街にやってきた。このままだと金曜日の朝、猫が事故に遭うことになるパン屋の前を通る。今のところ、そこはありきたりな商店街の一角だった。猫が命を落とすとは思えないような。

 店にはもうシャッターが下りている。シャッターは白く塗られ、そこに緑色の文字で営業時間が書かれていた。午前六時から午後六時まで。とてもわかりやすい。

 二人は雑談を交わしながら、ゆっくりと歩いていた。春埼はその隙間に、そっと小石を落とし込むように言った。


「夕食を食べて帰りませんか?」


 意識していなかったが、確かに少し空腹だ。でもケイは首を振る。


「今日はいいよ。昨日の残りがあるんだ」


 ケイはワンルームマンションに一人で暮らしている。だから春埼は、この時間になればたいていケイを夕食に誘う。でもリセット前と違う行動は極力とりたくない。それに彼女の家では、ちゃんと両親が待っていて、家庭的な母親の作った手料理が用意されているのだ。あまり頻繁に外食するべきではないだろう。ケイは、春埼と夕食を共にするのは月に二回までというルールを作っていた。月の前半と後半に一度ずつ。その他は、彼女の誘いを断っている。


「そうですか」


 左隣で春埼が小さく頷く。彼女だって、ケイのルールには気づいているだろう。それでもいつも、夕食に誘う。そこにはなにか意図があるのかもしれないし、メッセージが隠れているのかもしれない。でもケイには今のところ、それを読み解くつもりはない。

 どこからか、太鼓と笛の音が聞こえてくる。週末にある、夏祭りの準備だろう。


「そういえば、君と夏祭りにいく約束をしたんだ」


 リセットを使う前、村瀬からの依頼を受けた後のことだ。


「聞いてませんよ?」


 彼女が少し眉を寄せる。機嫌が悪いとき、おそらくは意図的に浮かべる表情だ。表情に乏しい彼女が作ると、そんな顔でも魅力的にみえる。


「お祭りは土曜日の夜だよね。そのころには、村瀬さんからの依頼も片付いているはずだ」


「どうして言ってくれなかったんですか? リセットしたすぐ後に」


「ごめん。うっかり忘れてた」


 春埼は何か反論したそうだったけれど、軽く頭を振って表情を消した。


「じゃあ浴衣ゆかたを用意しないといけませんね」


「いいね、夏らしくて。あの、紫色の奴?」


 去年春埼が着ていたものだ。意識すると、すぐその映像が脳裏に浮かぶ。淡い紫の生地に、金魚の柄の浴衣だった。彼女は右手にりんごあめを持っている。


「新しいものを買うかもしれません。去年のがいいですか?」


「どちらでも。君が着たいものを着ればいい」


「ゴシックロリータみたいなレースいっぱいでも?」


 それは浴衣なのだろうか。冗談だと信じているけれど、春埼はたまに無茶をするので油断できない。


「できれば浴衣は、純和風なのがいいな」


「色は?」


「それじゃあ、今の空みたいな色」


 夕日は山の向こうに落ち、しかし辺りは夜というほどに暗くはなっていない。青い絵の具を空気に溶かしたような色だ。

 ケイは薄暗がりに公衆電話をみつけて、足を止めた。隣で春埼も立ち止まり、空を見上げる。


「去年のとあんまり変わりませんね」


「そうだね。去年のでいいんじゃない? 似合ってたよ」


 どうせ年に数回しか着ないものだ。毎年新しいものを買う必要はない。

 ケイは公衆電話の受話器を取り、コインを投入する。番号を押すと、いつも通りのアナウンスが流れる。


「でも、ケイはなにを着ても似合っているっていうじゃないですか」


「そうかな。じゃあ春埼にはなんでも似合うんでしょ」


 受話器を下ろす。コインが転がり落ちてくる。そのコインで、また電話をかける。


「なんだか、信用できないんですよね」


「へぇ、どうして?」


「どうしてだと思います?」


「想像もできないよ。僕たちは強い信頼関係で結ばれているはずなのに」


 大袈裟おおげさに言ってみる。春埼はじっとこちらをみていた。


「男の人って、服に興味ないんですか?」


「そんなことはないと思うよ。ほら、智樹なんか妙に高い靴履いてたりするし」


「ケイはそういうの持ってませんよね」


「興味なくはないんだけど。気に入った物なら、多少高くても買うよ」


 ただ安い物からみていって、割とすぐそこそこの物に遭遇するだけだ。運がいいのかもしれないし、単純にこだわりがないのかもしれない。


「でも、女の子の服装には興味ないでしょう?」


「そうでもない。ミニスカートは好きだよ。赤いチェックのがいい」


「実際に着ると嫌がるくせに」


「そんなことあったっけ?」


「ありますよ。何度も」


 それは春埼が、極端な服装をするからだ。中学生のころは男子用の制服で学校に登校したこともある。会話の流れでケイが肯定的な意見を出したことに由来するけれど、なんでも頭から信じられても困る。

 最近はきちんとこちらの話を疑うようになってきてなによりだ。それでも強く肯定すればどんなものでも着てくるんだろうなとも思う。そういうのは、なんだか危うい。


「では用意しましょうか。赤いチェックのミニスカート」


「やめておこう。ああいうのは偶然すれ違った、知らない女の子がはいてるからいいんだ」


 正直なところ、女の子の服装でいちばん好きなのはジーンズパンツに白いTシャツだ。シンプルで機能的なものが可愛らしくみえる。野ノ尾盛夏はそんな服装が似合いそうだなと思った。

 春埼がなにか言おうとして、ケイはそれを手で制する。


つながった」


 今回は比較的早い。まだ一〇回もかけなおしてない。

 ケイは「浅井です」と受話器に呼びかける。いつも通り、無機質な女性の声で返事があった。非通知くんだ。


「やぁ、ケイ。今日はなんの用かな?」


「情報をもらってからリセットしました。代金はシーツとTシャツを三枚ずつ。改めて引き落としておいてください」


「ん、わかった。ありがとう」


 奇妙な報酬だ。結局のところ銀行からお金が引き落とされるわけだから、本当にシーツやTシャツが購入されているのかはわからないけれど。


「ところでボクは、どんな情報を売ったのかな?」


「猫を捜していて、野ノ尾盛夏という人を紹介してもらいました」


「なるほどね。で、わざわざ連絡をくれたの?」


「もちろん、代金を踏み倒すつもりはありません。それに聞きたいことがあります。村瀬陽香を知っていますか?」


 春埼の言うように、今回の依頼は疑わしい点が多い。もしケイが倫理観の強い探偵なら依頼人の正体を暴くことに多少の抵抗があるかもしれないけれど、部活動の一環では職業的なこだわりもない。村瀬のことをどうしても知りたいわけではなかったが、電話一本くらいの手間まで惜しむことはないだろう。

 非通知くんが答える。


「彼女についての情報は、公開が禁止されている。ケイが相手でもね」


 それは、予想外の返答だった。情報が隠されることはあり得る。管理局は能力の情報を慎重に扱うし、非通知くんは管理局と繋がりがある。でも隠していると明言されるとは思わなかった。そんなの、疑えといっているようなものじゃないか。


「つまり、知ってるんですね?」


「多少はね。でも、話せないものは話せない」


「誰が、彼女の情報の公開を禁止しているんでしょう?」


「もちろん秘密」


 なるほど。ま、話せないとわかっただけでも大きな収穫だ。

 ケイは考える。ふと思い浮かんだ単語があった。


「なら、マクガフィンを知っていますか?」


 明確な繋がりはない。だが、不確かな繋がりはある。リセット前、これに関する情報も、質問が禁止されていた。


「それも、話しちゃいけないことになっているよ」


「いつから? 誰によって?」


「答えられないな」


 なら、最後の質問だ。


「村瀬陽香とマクガフィンの情報を隠すように指示したのは、同じ人物ですか?」


「秘密。その二つに関する話は、全部秘密」


 くくく、と、電話の向こうで非通知くんが笑った。無機質な女性の声で。


「大丈夫。今のところ、君は順調みたいだよ」


 順調? なにに対して? 単純な猫捜しの話ではないだろう。


「どうして、順調だとわかるんですか?」


「だって君は、マクガフィンと村瀬陽香の関連性を疑った。本来ならなんの繋がりもないはずなのに」


 いや。そこには繋がりがあるのだ。その細い糸がみえたような気がした。


「そんなことを僕に言っていいんですか? 禁止されているのでは?」


「ぎりぎりのところだね。でもま、大丈夫なんじゃないかな。君はまだなにも確信していないはずだ。それにボクだって、マクガフィンの本質についてはなんにもわかっちゃいないんだ」


 マクガフィン。主人公を物語に関連づけるためだけに用意される、それ自体は代替可能な舞台装置。その言葉に興味が出てきた。


「じゃあね。またよろしく」


 ささやくように非通知くんが言って、電話が切れる。ケイも受話器を置いた。


「どうでしたか?」


 と、春埼。

 ケイは首を振って答える。


「やっぱり人を疑うもんじゃないね」


 考え始めるときりがない。素直に猫だけを捜している方が、ずっと気楽だ。

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