1話「土曜日に始まる」③-2


 話し込んでいるあいだに、ふたりは目的の神社のほど近くまでたどり着いていた。今夜の祭りに備えて、通りの両脇にはもう屋台が並び始めている。たこ焼き、わたがし、金魚すくい。大半はまだ準備中だが、もう営業を始めている屋台もぽつりぽつりとみつかる。それを目当てにしてか、普段よりは通行人も多いようだ。


「お祭りにくるのは、夜の予定でした」


 隣で春埼がぼやく。

 彼女は表情に乏しいけれど、今は少しだけ不満げだった。きっと意図してそんな表情を作っているのだろう。


「夜にも来ようよ。あ、りんごあめ買ってあげようか?」


「いえ。昼間から食べるのは、勿体もったいないです」


「いつ食べてもりんごあめの味は変わらないよ」


「そんなことないですよ。りんごあめは夜、お祭りの明かりの中で食べるからおいしいんです。昼間からわざわざ食べるものじゃないです」


 たしかに屋台に並ぶ商品の価値は、半分くらい雰囲気にあるのかもしれない。それがきっと、りんごあめがスーパーには並んでいない理由だ。ケイもベビーカステラは夜の楽しみにとっておくことに決めた。

 その通りだねと頷くと、春埼が微笑む。


「という風なことを、去年ケイが言っていました」


 うん、確かに。言った記憶がある。


「それでも買ってくれるなら、私はりんごあめをいただきます」


「やっぱり夜にしよう。時間がないし、ほら、まだクリームパンが残ってる」


 とはいえ今夜というのは、ケイの体感ではずいぶん先のことになりそうだ。

 ふたり、両側の屋台を眺めながら足早に進み、神社へ続く石段を上る。ここにくるのはずいぶん久しぶりだった。たぶん一年くらい。実は正確な数字を思い出していたけれど、そんなものに意味はない。

 境内は、石段の下に比べればまだ落ち着いていた。屋台をのぞく客はいても、参拝に訪れる時間ではないのだろう。それでも祭りの準備のためか、記憶の中の神社よりずっと活気がある。もちろん猫と昼寝する女の子なんてみつからない。


「今日は来てないんじゃないですか?」


「そうかもしれない」


「もう少し、捜してみますか?」


「うん」


 春埼の言葉に曖昧あいまいに頷きながら、辺りを見渡す。と、三毛猫がいた。

 そちらに歩み寄る。猫は留まるか逃げ出すべきか迷っている様子だった。決断が下るよりも先に、ケイは口を開く。


「すみません。野ノ尾さんに会いたいんです」


 高校生になって猫に話しかけるというのは恥ずかしいものだけど、野ノ尾盛夏の能力は猫と情報を共有することだと聞いている。もしかしたらこの猫を通して、言葉が野ノ尾に伝わるかもしれない。

 しかし猫は、興味もなさそうに歩き出す。無意味だった? まだわからない。ケイはその背中に、さらに呼びかける。


「昨日、事故に遭った猫のことを伺いたいんです。商店街のパン屋の前で亡くなった猫です。もしかしたら僕たちは、その猫を助けられるかもしれません」


 三毛猫は足を止め、じっとケイの顔をみた。考えの読めない瞳だ。猫にみつめられるとなんだか、訳もなく断罪されているような気持ちになる。


「お願いします」


 頭を下げると、三毛猫はケイの足元に寄ってきた。そこに座り込み、前足で二回、ちょんちょんとズボンの裾を引っ掻く。そしてすぐに背を向け、社殿の方へ歩いていく。

 春埼が言った。


「ついてこい、ということでしょうか?」


「だといいね。恥ずかしい思いをした甲斐かいがあった」


 三毛猫はこちらを確認もせずに、ずんずんと歩く。ケイたちもその後を追う。携帯電話で時刻を確認した。一二時四六分。ぎりぎりだ。

 猫は社殿の裏に回る。裏は山に面している。そこには朽ちた墓石みたいな、幅が狭くて物静かな階段があった。ずいぶん古いものなのだろう、石は陽に焼けて白く、角は自然に削れて丸くなっている。

 猫は石段を上っていく。ケイたちはその後を追う。セミが鳴き、木漏れ日が揺れる。やがて石段が途切れ、雑草が生えた坂道になる。靴底の感触が変わった。瑞々みずみずしい夏草は柔らかで、少しだけ罪悪感を刺激する。

 ふいに、三毛猫が駆け出した。先には小さな社があった。辺りを何匹もの猫が取り囲んでいる。

 その中心――社の手前にあるほんの数段の階段に、少女が座っている。少女は目を閉じている。肌が白い。まぶたも白い。


「野ノ尾さん?」


 声をかけると、彼女はゆっくりと目を開いた。そして、


「おはよう」


 と言った。彼女と目が合う。周囲の猫たちが、一斉にこちらをみたのがわかる。


「昨日、誰かが事故に遭ったって?」


 ケイはうなずく。


「灰色で、青い瞳の、しっぽの先が曲がった猫です。村瀬陽香という女の子に飼われていました」


 野ノ尾はもう一度目を閉じた。ケイは時間を確認した。野ノ尾に視線を戻すと、彼女も再びこちらをみていた。


「いつから?」


「え?」


「村瀬という人は、いつからその猫を飼っていた?」


「半年ほど前です」


 答えると、野ノ尾は興味を失ったように視線を離した。


「咲良田にそんな猫はいない」


 そんな、馬鹿な。


「いくらなんでも、街中の猫をみんな把握しているわけではないでしょう?」


「どうしてそう思う?」


「情報の処理が追いつかない」


 新しい本が書き続けられている限り、世界中の本を読み切ることができないように。生まれ続ける猫をすべて把握することなんて不可能だ。今、咲良田にどれだけの猫がいるのか、その数を正確に知ることもできないだろう。

 しかし野ノ尾はこともなげに答える。


「君がそう考えるのは、猫の時間を知らないからだ。人間の時間で不可能なことでも、猫の時間なら可能になる。もちろん、その逆もたくさんあるけれど」


 猫の時間? 上手うまく想像できない。でもわけのわからない能力なんて、この街にはいくらでもある。その疑問をすべてつぶしていく余裕はない。今はこちらの話を、できるだけ正確に伝えるべきだろう。


「みてください。この猫が昨日の朝、パン屋の前でひかれていました」


 携帯電話に村瀬からもらった写真を表示して、野ノ尾に向ける。彼女は、不本意そうに携帯電話を覗き込み、それから小声でふむ、とつぶやいた。


「たしかに最近、彼はみていないな」


「事故が起こったのは事実です。少なくとも僕はそう聞いています」


「しかし、君の話が真実だったとして、どうやって彼を助ける?」


「そういうことができる能力を持ってるんです。彼女が」


 答えて、春埼に視線を向ける。春埼は会話には興味がなさそうだったが、自身が注目されていることに気づいたからだろう、クリームパンを差し出した。


「食べますか?」


 短い沈黙のあとで、野ノ尾は首を振った。


「いや、いい。次にくることがあれば、駅前の三月堂さんがつどうという店のシュークリームを持ってきてくれ」


「わかりました」


 一言で、ケイはこの話を切り上げる。時間がない。もう、一二時五五分だ。


「とにかく猫のことを教えてほしいんです。この三日間、どこでなにをしていたのかわかれば、必ず猫を助けてみせます」


「知らないよ。でも、調べることならできる」


「なら、お願いします。猫のためです」


 野ノ尾は少しだけ眉をひそめた。あるいは困った表情を作ったのかもしれない。


「しかし、悩んでるんだ。少女に後をつけられる男を信用していいものか」


 え、とケイはつぶやく。まったく心当たりがない。無理に想像力を働かせるなら、春埼のことだろうか。


「いえ。私はケイの隣を歩いてきましたが」


 春埼も否定したが、野ノ尾はそんな言葉なんか聞いていない様子だった。


「いや、そうか。村瀬とは、赤い眼鏡をかけた女か?」


「そうです。知ってるんですか?」


「ああ、だいたいわかった。ちょっと待て」


 野ノ尾は再び目を閉じた。身体を階段に預ける。ケイはじっと携帯電話の時刻表示を眺めていた。一分ほどたった頃に、彼女は目を開いた。

 そして、つぶやく。


「寝つけん」


 なんだそれ。


「眠らないと、能力が使えないんですか?」


 なんの制限もない能力というのもまずないけれど。

 野ノ尾は人差し指で頭を掻いた。


「別にそういうわけでもない。でも、とにかく自分を忘れるくらい、思考を止めなければならない。結局、眠るのが一番手っ取り早いな」


 微妙に使いにくい能力だ。発動まで時間がかかるし、物理的な妨害に弱い。


「だいたい君が悪いんだぞ? 私が気持ちよく寝ていたのに、起こしたりするから」


「そんなこと言われても。起こさないと話も聞けませんよ」


「夢の中に出てこいよ。なぜその程度のことができないんだ」


「どうしてできると思うんです?」


「しらん。八つ当たりに理由を求めるな」


 そんなことを言われても困るけれど。実のところ、今のうちに知りたいことはだいたいわかった。もうひとつだけ確認して、切り上げても良いだろう。

 ケイは尋ねる。


「能力を使えれば、猫がどこにいたのかわかるんですね?」


「実は、死んでいたらわからないかもしれない」


 それは、あまり重要ではない。


「生きていたら? 今、どこにいるかわかりますか?」


「わかるよ。生きてるのか?」


「いえ」


 問題ない。充分に、順調だといえる。非通知くんのおかげだ。何万という数の能力者がいる咲良田では、最適な情報さえあれば、最適な能力者がみつかる。

 野ノ尾はもう一度、目を閉じる。


「眠る努力をしてみよう。子守唄を歌ってくれ」


「春埼」


 ケイが振り返ると、春埼は軽く首を傾げた。


「私が歌うんですか?」


「こんな歌がいい。なんというタイトルだったかな」


 らー、らーら、らーら、ら、と野ノ尾が口ずさむ。

 春埼はじっとケイをみつめて、ええと、とつぶやいた。


「歌った方がいいんですか?」


「歌わなくていいよ」


 時間を確認する。一二時五八分四七秒。これ以上冒険する必要もないだろう。


「リセット」


 たった一言。

 それだけで世界は、三日分死ぬ。


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