最後はあなたに

まめつぶ

最後はあなたに

*ある端末に保存されているデータ*


「いただきます」

 にこにこ顔で私の作った簡単なサンドイッチを口いっぱいに頬張るその人をテーブルの向かいに座って見つめる。

「やっぱりサンドにはタマゴよね」

自分で作ったわけでもないのに、ふんふんと納得している。もともと家事をするために生まれてきたわけではないらしい私は料理があまり得意ではないのだが、どうやら気に入ってくれているようだ。

「ホットミルクを」

大きすぎないマグカップにそれを注いでその人の前に置く。

「さすが、わかってるわね」

ありがとう、と言うその人の微笑みは、私の持つデータの中でも一番不可解で、優しく、美しい。




 かつて、今よりもまだまだ幼さの残る背丈と顔つきだったその人は、目を覚ました私の横でおもむろに宣言した。

「今から、あなたは私のものよ」

それは私がこの世に人造人間として誕生した、まさにその時だった。ぼんやりと目を開けた私の目の前にいる少女が美しく不敵に笑っていたのが、メモリの奥深くへと刻み込まれた。

 しかし人間という生き物の、笑顔というものはやはり作り出せるものではなかったようで、「あなたはいつだって仏頂面で面白くないわ」とその人はよく私に愚痴垂れる。そのようなことを言われても、私は作られた側なのでどうすることもできない。

 国が開発していたらしい人造人間の、いわゆる「失敗作」として誕生したのが私だった。この体が「何のために」開発され、生み出されたのかは誰からも聞いたことがない。その人も、説明する必要はないとばかりに飄々としている。だから私も問い詰めてみようと思ったことすらない。私の体はその人とは正反対に作られたかのように大きく、がっしりとしていて、声も機械的ではあるが低く、データを駆使して察するに成人した男性の体なのだろう。加えて皮膚は厚く頑丈で、手も全くしなやかではなくごつごつしているし、筋力も十分すぎるくらいにある。試してはいないが瞬発力や持久力など、運動能力は恐ろしく高いに違いない。おそらくは――。とにかく何のためにせよ、その目的が達成できないために「失敗作」であるのだろうから、それをどうこう気にしても仕方がない。

 ただ、定期的に施設とやらに検査に行かなければならないようで、真っ白な部屋の真っ白な固いベッドに横たわりあれこれいじくられた後、真っ白な人間とその人は別室に行って検査結果を話し合っているようだ。戻ってきたその人からは特に何も言われず、普段通り家に帰り、また私が上手とはいえない料理をふるまい、ホットミルクを出す。彼女がいつものように笑ってくれるなら、私も気にする必要はない。




「ねえ、レイ。」

レイ、とはその人が私に付けた名前だった。はい、と返事をして側に行く。そうすると、背の低いその人を見下ろすことになるのだが、いつだってその人は嬉しそうに私を見上げる。

「絵を描きましょう?」

 はいどうぞ、とスケッチブックと鉛筆を渡される。食卓とは別の、温かな色をしたソファに二人で腰を下ろして、しばらくスケッチブックの上を鉛筆が走る音だけが響く。

「できました」

 機械的にその人へ差し出す。モノクロなのに鮮やかな絵を描きだしているその人は、ちらと私の差し出したスケッチブックを見て小さくため息をつく。

「レイ、また同じじゃない。」

そこには、優しく微笑むその人の顔が描かれている。もちろん、その前のページにも、その前の前のページにも、びっしりと同じような絵が並んでいるわけである。

「何も毎回私の顔じゃなくていいのよ。その辺の風景を見回して素敵だと思ったものでも、自分の顔でも、とにかく何でも描いてみなさい」

 私の周りの風景と言えば、この物の少ない家の中や、人里離れた自然に溢れた外の世界、そしてその人だ。自分の顔など無機質で仏頂面だと言われるほどだ。素敵という感覚は私の中ではよく分からないが、その中で一番描いて意味のあるものと考えると、その人の微笑みであると体中のデータ全てが訴えてくるのだ。私はそれに忠実に従って描き出しているにすぎない。困ったように笑うその人も、まあいいわ、とそのスケッチブックを受け取った。




 穏やかに暮らしていたある日の検査の時、白い人間と彼女が結果を話しているはずの隣の部屋から、どうも荒っぽい男の声が聞こえてきた。

「――だから…、…―――が」

ドアを隔てているためにベッドからではよく聞こえない。聞き耳を立てるわけではなく、相手は男であるし、何か彼女が危ない目にあったらと思い、ドアに近づく。

「あれは先の大戦でサツリクヘイキとして動いていたのだからあなたのような子どもに任せては危ないと、何度も言っているでしょう!もうまもなく―――」

『殺戮兵器』。そのように漢字があてられた。おそらくは私のことを言っているのだと推測する。

「もういいです、私が向こうに行って―――」

声がどんどん近づいてきて、ドアがばたんと開いた。

「……ッ!」

私がドアの近くにいて驚いている。ぱくぱくと口を動かしているようだが、残念ながら声が出ていない。落ち着いた声が向こうから聞こえてきた。

「あら、レイ。起きていたの」

「ッ、だから言ったでしょう!こんな薄いドア一枚隔てただけでは聴こえると!どうしてくれるん――」

「レイ」

白い人間が激昂したように彼女を振り返るのと一緒に、その静かな声が私を呼んだ。

「はい」

私は白い人間の脇をするりと通り抜け、いつものようにその人の側へ行った。しなやかで細い小さな手が、硬くて冷たい私の手を引いた。

「帰りましょうか」



 帰り道、その人は珍しく饒舌だった。

「レイ、今日のご飯はお魚にしましょう」

「レイ、そこに咲いているスミレが綺麗ね」

「レイ、」

「レイ、」

鈴のような声が私を何度も呼んで、その度に返事をする。ゆっくりと歩きながら、その人は言った。

「大丈夫よ」

私の方を見上げて、その人が私に言い聞かせるように口にした言葉を、またメモリに焼き付けた。

「私の正体がわかったところでこの生活が変化するわけではありません。私はあなたの所有物なのですから、好きに扱ってくれて構いません。私もそれを望みます」

事実を、それだけを私が告げると、その人はまたいつものように優しく、美しく微笑んだ。


 この前の検査から帰ってきてしばらくすると、何か違和感を感じ始めた。

 まず、以前よりも一日が短くなったような気がした。時間が短くなるということはありえない。これはおそらく私自身の活動時間が短くなってきているということだろうと推測する。一番奇妙なのは、何か作業をしていたのに次の瞬間、ベッドで目覚めるのだ。

 彼女が大切に見守っている――彼女が育てているわけではない――庭の花壇に水をやっていたはずなのに、ジョウロの水を出しきったこともそれを片づけたことも、データの中に残っていない。彼女の好きなタマゴサンドを作ろうと台所に立ったはずなのに、目を閉じたはずもないのに、突然自分のベッドの上で目を開けるのだ。

 人によって作られた私の、機械としての稼働時間の限界が近づいているのではないかと思ったが、ベッドからリビングへ戻ったときの部屋の惨状を見て察するに、私は…。しかし、そんな些細とは言い難い異変も、その人は気にせずいつものように、「レイ、」と私を呼ぶのだ。

 そんな生活をしばらく続けていると、私がこの家に来てから一度も鳴ったことのない玄関の呼び鈴がさび付いたようにうるさく鳴り響いた。いつもの通りソファで二人、静かに絵を描いていたが私は客を迎えるために立ち上がった。玄関の扉を開ける時、私の後ろに彼女も追いついた。

「どちらさま―――」

私の背後から響く彼女の声に重ねて、バキ、と不穏な音が目の前の扉から聞こえた。重々しい扉が砕けて大きな欠片になって飛んできたので、とっさに後ろにいるその人を抱きしめて庇う。

 背中にドンッと大きな衝撃。それに加えて欠片の先端が頬を掠めて、たらりと血が流れた。

「血が…」

しなやかな細い手が私の頬をさすると、何も描いてないスケッチブックのように真っ白なその手に、赤がべたりと付いているのが目に入った。

 途端に、グワッと体温が上がるのを感じた。


『サツリクヘイキ』


ああそうか。とデータと自然に合致していた。血を見たことで殺戮兵器として作られた本能が出てきたのだ。血流が活発になって体中の筋肉が興奮するのを感じた。

『周りに、イキモノ、敵が3匹いる』

視覚から得たその場の状況を、そう分析していた。加えて、後ろの2匹の気配は武器を持っているようだった。焦ったように私にそれを向けているのが分かる。素早く振り返って近づくと、その武器――拳銃のようなものだった――を捻り取って投げ捨てる。そして蹴りつけて距離を離す。

 よし、次は、


「レイ」


次は、こっちだ―――


「レイ、」


振り向いて、『敵』を認識する。


これほど小さく武器も持っていないのなら、首を捻り折った方が早い―――


カタカタカタ、とまるで電卓が簡単な数式の答えを表示するように分析されていく。その速度と一緒に、『敵』に近づき、


「……レイ」


首に手をやる―――


「大丈夫よ、レイ」


見上げてきた『敵』の顔が目に入った。





メモリの中での検索で、『それ』は数えきれないくらいにヒットした。





―――ありがとう―――


私の持つデータの中でも一番不可解で、


――ねえ、レイ。絵を描きましょう?――


あたたかくて、


――大丈夫――


優しくて、


――あなたは私のものよ――


美しい……




それは、あのスケッチブックに数えきれないほど描かれた微笑み。




「レイ」

その人が私の名を呼んだ。

「はい」

いつものようにそばに寄り添い、無表情に応えると、その人もいつもの微笑みで頷いた。

 きっと、いつもいつも、私はこんな状態になっていたのだ。「先の大戦で」ということは、作られてからずいぶんと経つはずだ。おそらく、大戦を超えてしばらく働いていた自己制御機能のようなものが最近薄れてきていたのだろう。

 それに…。それに、私はさっき何をしようとしていた?

 目の前にさらけ出された首に手をかけ―――

 あやうくこの微笑みが、この世から消え去ってしまうところだった。

 カタカタ、カタ、カタと鈍く情報が分析されていく。ほっとしたように私の右手を小さな両手で掴んでいるその人を見下ろすと、嬉しそうに見上げてくる。左手をぎこちなく動かすと、私はその人の頭を少し荒っぽく撫でていた。初めてのことに、その人も瞬きを繰り返している。

 さっき後ろの方に飛ばした二つの気配がガチャガチャと動いている。私は小さな頭を存分に撫で、最後にその柔らかい髪の毛を梳くようにして手を離す。

「レイ、」

少しだけ不安そうに彼女が呼ぶ。しかし、

「…レイ、」

しかし、もう返事はしない。振り返ってゆっくりと歩き出す。

「レ、イ…?」

めったに動揺しない人なのにと、その困惑ぶりをしっかりと情報データに記憶する。

「…く、そ…兵器0号、お前を処分するように命令が下った。大人しくしろ」

 先ほど蹴飛ばした人間が二人、拳銃の代わりに鋭いナイフを手に持って突きつけてくる。

「……」

 まだ小さなあの人を傷つけるくらいなら、

 あの微笑みを消し去るくらいなら、

「処分を受けます。どうぞお好きなように」

冷静に言う私に、人間は荒々しく鎖を巻きつけ始めた。

「レイ…!」

体を回され、彼女の方に向き直った。やめて、と言い縋るように一歩こちらへ近寄る。

「お前も動くな」

私を縛り付ける人間がナイフを突きつけて彼女を凄むと、彼女は唇を噛んで立ち止まる。

「その人を傷つけないでください」

凄んだ方の人間に乞う。私の大切な人なのだ。どうか。

 冷たい鎖を何重にも巻きつけられて、さすがの殺戮兵器でも簡単に身動きは取れない。私を捉えたと報告しているのか一人は電話を耳に当てており、もう一人によって無残に破壊された玄関からずるずると引きずられていく。庭の中ほどまで運ばれると、ようやくそこで引きずるのが中断された。打ち捨てるように地面に落とされ、自由にならない足でなんとか膝立ちになる。

「また暴走しないとも限らない。お前を停止させてから持ってこいとの命令だ」

電話を終えた人間から、冷ややかな目で告げられる。

「レイッ……!」

彼女が我慢しきれずに玄関から庭へと出てきた。

「…あなたの涙を見るのは初めてです」

大粒の涙を湛えた目を見つめる。彼女は裸足のままだ。ああ、痛くないだろうか。あんな柔らかい足で地面を踏んだら傷がついてしまう。

「レイ、レイ…!やめて…!」

その人はそんなことも気にせず、まるで幼子のように首を振る。

「泣かないでください」

どうか笑ってほしい。仏頂面しかできない私にくれたあの優しい微笑みを、この目に、メモリに、体中に焼き付けたい。

「大丈夫、また会えます」

あなたが信じてくれれば、私も―――

「…そうね、レイ」

その人が一度だけ目を閉じると、ぽろりと涙がこぼれて。

「あなたはずっと、私のものよ」

ああ、涙の光る微笑みの、なんと儚く、優しく、美しい――――

自らの口の端が、ひくりと上ずったような気がして、





そこで電源が落ちたように、それは動きを止めた。



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