epilogue

僕たちは何処へでも行ける


「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ……」


 開け放った窓から吹き込む風に乗せて芥川の澄んだ朗読が響く。あと15分もすれば昼休みだ。実力テストを来週に控えてはいるがなんとなく……これも校風だろうか、妙にまったりした空気に包まれている。


 ねみぃ……。昨晩は寝付けなくて結局朝まで起きていたんだ。妙な胸騒ぎがするんだよなぁ……。なんだろう、野生の勘?


 なんとかあくびを噛み殺しながら国語の教科書の文字を追っているとツンツン、と背中のあたりに違和感。うん?


 とっさに左手を後ろに回し腰のあたりを撫でる。なんか今チクチクしたような……。チクチク……。


「……!?」


 今度は手の甲にはっきりとした痛み。驚いて振り返ると、入学当初からずっと空席だった席に女の子が座っていた。いつの間に!?

 てか、不登校女子!? ええええー!


「……教科書見せて。何も持ってきてないの」


 学校に来ておいてまさかの手ブラ!?


 驚いたが仕方ない。不登校だったとしたらます来ただけで偉いし……。


 頷くと彼女は音を立てずに立ち上がり、机を俺の隣に並べて腰を下ろす。

 クラス内でそれに気づいたのは数人くらい、授業中ということもあり静かなものだった。


 彼女は黒髪を長い三つ編みにし黒縁眼鏡をかけていた。なんか漫画に出てくる委員長みたいだなー。のんきに思いながら教科書を机の間に置く。


「祇園精舎というのは釈迦が説法を行った天竺五精舎……五つのお寺のうちの一つだよ。他にも竹林精舎、菴羅樹園精舎、大林精舎、霊鷲精舎とある。特に祇園精舎は、徳川時代カンボジアに住んでいた日本人にアンコールワットと間違えられていたものだから、大勢の日本人がアンコールワットに参詣したというよ」

「せんせぇ、カンボジアってどこ? インド?」

「ばーか、ちげえだろ、ヨーロッパだろ!」

「どうやっていくんだよ、飛行機?」

「プロペラならいけるかも!」

「船だろー」

「でもなんでカンボジアに日本人がいるの?」

「鎖国は?」


 生徒たちがあれやこれやと疑問をぶつけ始めると、芥川はすずやかな面持ちで教科書を教卓に置き「そうだねぇ、じゃあざっとだけど当時の世界情勢を説明しよう」と、黒板に世界地図を書き始めた。相変わらず脱線しまくりの国語の授業だな……。まぁ面白いからいいけど。


 ぼんやり芥川によって描かれる地図を眺めていると「この先生の授業っていつもこうなの?」不登校女子が不思議そうに問いかけてくる。


「ん? ああ、そうだな。すぐ脱線するかも」


 たしかに戸惑うよな。国語の授業から世界史になるんだもん。問いかけに頷きながら、ノートをペラペラとめくってみせる。


「でも結構面白いよ。休んでた分のノート貸そうか?」

「やっぱりあなたって初対面の女の子相手でも優しいのね」

「え?」


 ただの親切心(お節介ともいう)を、まさかそんな風に言われるとは思っていなかったので驚いて顔を上げる。すると、びっくりするくらい真っ直ぐ顔を見られていることに気づいて慌てて手元に目線を逃してしまった。恥ずかしいっつうの……こちとら女子に慣れてないんだよ!


「別に優しくはないと思うけど……」

「でも勘違いする子だっているでしょ」


 勘違い? 何が勘違い? 意味がわからず首をかしげる俺に、彼女は顔を寄せ、ピンクの唇を綺麗な三日月型にして微笑んだ。


「女の子はワガママなの。自分一人を好きでいてくれなきゃ意味ないんだけど」

「え?」


 彼女がかけていた眼鏡をそっとズラすと、星のようにキラキラと輝く瞳と目が合う。


 めちゃくちゃかわいい。天使がここにいる。

 でもって、なんでだろ……すげぇエリカに似てるけど、なんで? 会いたい会いたいと思ってたら夢が具現化したのか? てか、これが夢?


「なにその顔。会えて嬉しくないの」

「……っ!」


 悲鳴を押さえる事が出来た自分を褒めてやりたい。


 なんで!?

 まさに、頭のてっぺんに雷が落ちたかのような衝撃を受けていた。


「えっ、エリカ……?」


 俺の問いに、肯定の意味を込めてなのか、かすかに目を細めるエリカ。天使が鳴らす祝福の鐘ではなく、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。


「……じゃあ、今日の授業はここまで」


 芥川はさっと荷物をまとめていつものように教室を出て行く。ほんの一瞬こっちを見たような気がするけど、それどころじゃなかった。


「1時にマスコミ各社に連絡FAXが届く予定なの」

「な、んの……?」

「お仕事辞めますっていうFAXよ。ここのところその準備で寝る間もなかったんだけど」


 エリカはクスクスと笑いながら立ち上がると、俺の手を取る。


「行きましょ」

「どっ、どこに!?」

「どこにでも行けるわよ、行きたいところに」


 以前も聞いた、ランボーだったかなんだったか、とにかくエリカは不思議なことを言いそしてまるで木偶の坊の俺の手を取り走り出す。


 昼休みが始まるこの一瞬、学園内は活気に満ちていて、ワーワーキャーキャーとうるさいことこの上なくて、誰も俺とエリカが手を繋いで(引っ張られてるだけとも言うけど!)のことなんか気にしてないのがまた不思議で。


 おい、エリカだぞ!? ここにエリカがいるんだぞ!


「あ、えっと、俺さ、話したいことたくさんあるんだ!」


 とりあえず、その背中に向けて叫ぶとエリカも笑って振り返る。


「私も!」


 失敗して後悔して、また悩んで立ち止まる。だけど俺たちは行きたいところに行けばいい。


『弱いにしろ強いにしろ、とにかくお前はそこにいる。それが強さというものだ。お前はどこへ行くのかも知らず、なぜ行くのかも知らない。どこへでも入って行くがいい。何にでも答えるがいい』


End

 

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国語教師芥川は教えない、諭さない。 あさぎ千夜春 @chiyoharu

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