花のない少女

司馬仲

第1話

「あなたの花は何ですか?」

 私がこの世で一番嫌いな質問。

 花。生まれた時からみんな体のどこかに持っているはずの、花。人によっていろんな花を持っている。バラ、チューリップ、ユリ、アジサイ、ヒマワリ、ラナンキュラス……。でも、私には……そんなもの、どこにもない。

「か、カーネーション……」

「まあ、素敵ですね! ご協力ありがとうございました!」

 眩しいぐらいにハツラツとした笑顔で、三、四歳ぐらい年上の大学生と思われるお姉さんは手に持ったバインダーに何か書き込み、私にお礼を言って去っていった。あの笑顔、私にはもう直視できない。……嘘をついたから。

 私が生まれた時、病院でお医者さんも看護師さんも慌てていたらしい。もちろん、外からは見えにくい、体の内側のどこかに花があるのかもしれない。実際そういう人もたまにいる。だからその時も、へその緒を切って体を洗ったすぐあとに、花がどこにあるのか検査した。でもどこにもなかった。外から見える場所にも、体の中にも、頭蓋骨の中まで隅々調べても……私に花は咲いてなかった。どこにも。一輪も。小さな花びらの一枚すらも、私には、なかった……。

 花を持っていない。それはつまり……人のあるべき姿としては不完全だということ。腕が片方ないとか、目が見えないとか、脳の発達に異常があるとかいうのと同じ。いや、それよりもひどい。本当に救いようがない。

 体のどこかに花が咲くということは、生活に必要不可欠な器官が花になって生まれてくる人もいるということ。そのせいで生まれつき歩けなかったり、耳が聞こえなかったりする人も少なからずいる。でもそういう人は逆に丁重に扱われ、チヤホヤされる。最近も、右目がハスの花な女の子が大きなドームでアイドルライブをして超満員の人気を見せていた。私の高校のクラスメイトにも、脳の一部に小さな花が群生していて、正直シャレにならないくらいバカな女子がいるけど、みんなからは「頭の中がお花畑」と可愛がられて、女子からも男子からも好かれている。ただ珍しい場所に花が咲いているだけで……人気者になったり、大金持ちになったりできる。でも私は……そんな夢すらも見ることができない。お母さんのお腹から産まれ落ちた瞬間から、私の人生は、生きながらにしての地獄だった。

「バケモノ花なし女だー! やっつけろー!」

 そう言われたのは小学生低学年の時だった。クラスの男子たちが私を囲んで、そして……殴られた。蹴られた。突き飛ばされた。

「花がないなんて、おまえほんとは人間じゃないんだろ! 俺たちをだまして殺そうとしてるバケモノなんだろ!」

 違う! ……そんな言葉では何も変わらなかった。女子たちにも、私と仲良くしてくれる人なんていなかった。

「今ね、自分たちの花について話してたの。だから花のない子には関係ないの。だから早くあっち行って」

 あの時の先生は優しい人だった。いじめられていた私をかばってくれた。でもそれは逆効果だった。

「花がないからって、暴力を振るったり、仲間はずれにしてはいけません! みんなちゃんと仲良くしなさい!」

「バケモノ女が先生をだましてる! 先生のことも殺すつもりなんだ! みんなで先生を守ろう! 殺される前にこのバケモノ女を殺しちゃえー!」

 先生に発見されるのが遅れた私は、クラスメイトたちに骨を何本も折られ、どこだかの内臓にも傷がつき、いろんなところから血を流した。病院でお母さんがぐすぐすと泣いていたのを覚えている。あの時は、本当に殺される、死ぬと思った。……実際そうなってた方が、今も長く苦しまずに済んだのかもしれない。

 私が退院したあと、家族みんなでふたつ隣の町へ引っ越した。聞いた話では、私をかばってくれたあの先生、私のケガと転校の原因は自分にあると責任を感じて心の病気になり、教師を辞めてしまったらしい。それが私をさらに憂鬱にさせた。私に花がないせいで、私以外の人が不幸になった。罪悪感に潰されそうだ。私は一生こうやって、幸せになんかなれないまま生きていくんだ。

 そして私はこの新しい町で、『嘘をつく』ということを覚えたのだ――。

 花がないと言うからいじめられる。だったらそれを隠してしまえばいい。子供ながらにそう考えた。幸いにも、あまり他人に言いたくない、ちょっと恥ずかしい場所に花を持つ人も多くいる。自分もそういうタイプの人間なんだということにした。転校先の小学校では、それでなんとかいじめられずに済んだ。……でも、私の地獄は、やっぱりまだ終わってなかった。

 中学校に上がってからできた友達の女子。話が合って、優しくて、面白くて、学校ではいつも一緒にいた。あの子も、外から見える場所に花がなく、今思うとそれが親近感を持てた理由だったのかもしれない。でもその親近感が、今となっては恨めしい。

 ある日、あの子の家に遊びに行った。ひとしきり騒いだあと、あの子は私に、ある告白をしてきたのだ。

「誰にも言わないでね……」

 真剣なトーンで、あの子は言った。

「私、実はね……こっちのおっぱい……タンポポなの」

 そう言ってあの子は服を脱ぎ、自らの胸をあらわにさせた。そこには、左側の乳首だけが黄色いタンポポの花に置き換わっている、小さな膨らみがあった。

「親友だから……隠し事はやめようって思って……言っちゃった」

 親友。その言葉のせいで、私はその瞬間、小学生の頃の記憶が消えてしまった。感激のあまり嘘をつくということを忘れていた。それであんなバカなことを言ってしまったんだ。

「じゃあ、私も隠し事はしない。私ね……花がないの」

 その次の日から、あの子は親友ではなくなった。それどころか、他の友達も、友達でなくなった。そこでようやく思い出す。私は地獄にいたんだった、と。私は幸せな気持ちになっちゃいけないんだ、と。

 高校二年生になった今も、それはちゃんと忘れず覚えている。この地獄には、なんにも幸せなことなんてありゃしない。私の人生はこうやって、幸せを味わうことなく終わるんだ。あの時のように、囲まれて殴られないように。あの時のように、親友の家を追い出されないように。あの時のように、他人を不幸に巻き込まないように。それだけを気にしながら、私は生きていくんだ。まあ、親友なんて、もういないけど。

「特急電車が、通過します。危ないですから、黄色い線の、内側に、お下がりください」

 いつの間に駅に着いたんだろう。どうでもいいか。今日もこうやって電車を待って、学校へ行くんだ。ひとつも面白くない、周りには花を咲かせた人たちがうじゃうじゃの、行く意味もない学校へ。意味……私って、なんで生きてるんだろう。なんにも楽しいことないのに。友達もいないのに。花も……ないのに。学校に行く意味がないんじゃない。私に生きてる意味がないんだ。そういうことだったのか。そうだよね。私みたいなバケモノ女、いても意味ないよね。だったら――。

 轟音を響かせながら、右から電車が猛スピードでやってくる。通過する電車だから、その勢いは止まらない。この黄色い線をまたいで、もう二、三歩歩けば……あの電車が、私を地獄から弾き飛ばして助けてくれる。地獄から……出してくれる!

 そう思うと急に頭も足取りも軽くなった。ああ、もう電車が来ちゃう。待って、待って運転手さん。私、私を、地獄の外に連れてってください! その電車に乗せてください!

 耳元で誰かの怒鳴り声が聞こえた。それが私の意識が消える前の、最後の記憶――。


 白い天井が見えた。それが私の意識が戻ってからの、最初の記憶。

 私は自分の家の、自分の部屋にいた。そして自分のベッドで眠っていた。ぼんやりと思い出す。自分が何をしていたのか。私、自殺しようとした。線路に飛び込もうとした。でも……生きてる。掛け布団をはがして自分の体を確認する。どこにもおかしなところはない。花がないのを除いて。

 時計は午後五時を指していた。カーテンの隙間からオレンジ色の光が射し込む。いつの間に家に帰ってきたんだろう。そんなことを考えながらベッドから降りる。私は制服ではなく、いつもの青いパジャマを着ていた。誰かが着替えさせてくれたようだ。そこはあまり気にせず、とりあえず部屋を出ることにした。

 台所にお母さんがいた。私に背中を向けて、包丁で野菜を切っている。お母さんが動くたび、後頭部のサクラが揺れて、花びらが舞い落ちる。お母さんは後頭部の頭皮がサクラの木になっていて、そこから枝が伸び、その先に花が咲いている。まるで舞妓さんが頭につけるかんざしのよう。ちょっと動くだけですぐ散ってしまうけど、数時間経つとまた新しいのが咲く。……綺麗だ。お母さんのサクラは本当に綺麗。若い頃はモテモテだったのよってよく自慢してくるけど、それもよくわかる。でもそんな美しい花を持つお母さんから、私が生まれてしまった。私が……お母さんに泥を塗ってしまった……。

「あら、起きてきたなら早く声かけてよ。恥ずかしい」

 サクラに見とれてるうちにお母さんが私に気づいた。いつものようにサクラを散らしながら振り向いて、私に笑いかける。

「ごめん」

 自然に言ったつもりだった。でもお母さんはお見通しだった。まな板に包丁を置いて、ゆっくりと歩み寄ってくる。

「また……いじめられた?」

「……違う」

「なんで線路に落ちようとしたの? 近くにいた人が引っ張ってくれなかったら、本当に轢かれてたって聞いたわよ」

「それは……」

 次の言葉が出てこない。言いたくない。生きてる意味がないことに気づいた、なんて……。

「つらかった?」

 お母さんの問いかけはすうっと耳を通る。だから頭で言葉……いや、嘘を作る前に、口が勝手に動いて正直な気持ちを喋ってしまう。

「つらい……つらいに決まってる……!」

「そう……そうだよね……」

「そうだよね、って、わかってるんなら聞かないでよっ……!」

「え……?」

 つい興奮した。頭ではわかってる。でも一度言い出すと、もう歯止めがきかない。

「でもどうせわかってないよお母さん。お母さんには花があるもん。それもとても綺麗なのが。私の気持ち、私のつらさなんて、お母さんには……いや誰にもわかんないよ!」

「咲……!」

「その名前ももう嫌なの! どこにも何も咲いてないのに、咲、なんて……これ以上の名前負けもないよ!」

「咲……」

「呼ばないでよ! 嫌なの!」

 違う。本当は知ってる。せめて名前の中でだけでも、とお母さんがこの名前をつけてくれたこと。でも、でも……!

「ごめんね……」

 お母さんが困っている。私が困らせている。謝るのは私の方なのに。なのにこの口から出るのはそれと真逆の気持ちばかり。

「お母さんはいいよね、綺麗な花があるんだもん。それでモテモテだったんでしょ? でもそれで生まれたのがこんな花なし。私のせいで家族みんな白い目で見られて――」

「やめて!」

 お母さんが叫ぶ。細く、今にも崩れそうな弱々しい悲鳴だった。私だってこんなこと言うつもりじゃない。……それとも、私が認めないだけで、これが私の本音なの?

「わかってるよ。お母さんは『お母さん』だから、私をかばってくれる。私の味方でいてくれる。でもそれはお母さんが『お母さん』だから。本当は私のこと気持ち悪いって思ってるんでしょ? バケモノを産んじゃったって後悔してるんでしょ? 正直に言ってよ。その方がせいせいするから――」

「そんなこと思ってるわけないでしょう……! 自分の娘に向かって――」

「じゃあ証明してみてよ! 私を……愛してるって。お母さん……!」

「咲……」

 お母さんは目を泳がせて私から目を逸らす。――やっぱり、そうなんだ。

 そう思った時、お母さんはおもむろに、さっきまな板の上に置いた包丁を再び手に取った。

「お母さん……?」

 包丁の切っ先が私に向いた。

 ああ、わかった。私を刺そうとしてるんだ。お母さんももう疲れちゃったんだ。私を殺して楽になろうとしてるんだ。ちょうどいい。私ももう疲れた。痛くてもそのあと楽になれるなら、いい。私はその包丁が向かってくるのを待った。

 ところが、その包丁は一向に近づいてこない。お母さんの顔を見ると、とても怯えた様子で、すごく汗をかいていた。そりゃそうだ。バケモノとはいえ、自分で産んだ、人間によく似たものを刺し殺すのは緊張するよね。気にしなくていいよお母さん。私もこの時を待ってたんだから。

「咲……」

「なあに?」

「あなたがどう思おうと、あなたは私の娘だし、私はあなたの母……それを忘れないで」

 よくわからないことを言った直後、お母さんは私の予想とは違う動きをした。

「……お母さん?」

「待っててね咲。もう少しで、私もあなたの気持ち、あなたのつらさをわかってあげられるようになるからね……!」

 今、包丁の刃は、お母さんの頭の後ろにあるサクラの枝に当てられていた。私はその行動と言葉の意味がしばらくわからなかった。少しの時間差があってから、私はお母さんに飛びついた。包丁を持つ手を掴んで、お母さんのやろうとしていることを止めようと思った。

「やめて! お母さんやめてよ!」

「どうしてっ? こうすれば私もあなたと同じ……本当のお母さんになれるのよ。私はあなたを愛してる。愛する娘のためなら、こんなサクラなんてなくてもいい!」

 掴んでいるお母さんの手に力が込もる。私は渾身の力でそれに抵抗した。

「だめだよそんなこと! もったいないよ綺麗なサクラなのに!」

「もったいなくなんてない! これがあるせいで、私は実の娘に信頼してもらえないのよ!? むしろ邪魔なの! 自分の花にこだわって娘の幸せをないがしろにする親なんて最低だもの! あなたもそう思うでしょ!?」

「違う! 違う違う違うっ!」

 私もお母さんも泣いていた。

「何が違うの? 確かに今の私じゃあなたの気持ちはわかってあげられないかもしれない。あなたが――」

「いいっ! わからなくていいから! だからお願い……そのサクラは切らないで……お願い……!」

「咲……」

 お母さんが包丁を降ろした。私もずるずると体が下に降りていって、床に膝をついてお母さんのエプロンにしがみついた。

「お母さんのサクラ……いつもお母さんの後ろでサクラを見るのが好きだった。綺麗なサクラ……もう見れなくなるなんて、嫌だよお……」

 小さな子どもみたいに泣きじゃくった。

「いじめられて帰っても、お母さんのサクラを見てると、明日もなんとか頑張ろうって……だから……お母さあん……!」

 自分でも何が言いたいのかわからなかった。でも喋るのをやめられなかった。私が喋るのをやめたら、お母さんがサクラを切っちゃうような気がしたから。私のせいでこれ以上誰も不幸になってほしくない。

「信頼する! お母さんはお母さんだから! だからこれからもずっとそのサクラを見せてよ! 邪魔なんて言わないで! お願い……!」

「咲……」

 上の方で、包丁が置かれる音がした。そして私を上に引っ張る腕。それがなんだか、お母さんが私を地獄から掬い上げてくれるような感覚だった。

「ありがとう……お母さん」

 お母さんのサクラは、激しく動いたせいか、全部散っていた。

 もうすぐ陽が落ちて、夜になる。一日が終わる。

 今まで、夜ベッドに入るといつも、明日目が覚めると突然体に花が咲いていたらいいのに。なんて考えてた。でも今日は違った。

 明日もまた、お母さんのサクラが見られる。――とても幸せだ。

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花のない少女 司馬仲 @akira_akari

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