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下御森神社との会合は、予定どおり未八つ半に旧玉垣神社の本殿において行われた。旧玉垣神社は廃社された後はろくな管理がなされず、荒れ放題になっていたが、会合にあたり、かろうじて当時のまま残っていた本殿を使用することになった。蜘蛛の巣が張っていた内殿は神御寮の小姓たちによって掃き清められ、燭台には新しい蜜蝋が灯される。中は薄暗かったが、灯された蜜蝋や吊り灯籠のおかげで護衛には問題がなさそうだった。
「まずは、協議への応諾に礼を言う」
畳に座した鳥野辺が口を開いた。
魂鎮めのときはいたはずの蛇ノ井は本気で賓客で通すつもりなのか、肝心の会合の席には見当たらない。よって神御寮からは鳥野辺と亀山田の二名のみの出席となる。蝶子とアオは表向き、下御森を含めたこの会合の警護役となっているため、閉められた蔀の左右に控えた。
「わたくしのほうこそ、このような席をもうけてくださったことにお礼を申し上げます」
対面に座した『御社様』がしずしずと口を開く。顔を白い布で隠してしまっているため、これまで性別も年齢すらもうかがうことができなかったが、声の感じからすると、まだ少女といってよい年頃であるようだった。
(それにこの声、どこかで聞いたことがあるような……)
胸裏に一瞬疑問がもたげたが、すぐに外のほうへ意識を戻した。亀山田がかたわらに置いていた文箱から、ひと目見ても古いものだとわかる巻物を取り出す。
「五十年前、貴社と我が御寮が結んだ協定書です。そちらにも同じものが保管されているはず」
「ええ、存じております」
「わたくしども神御寮からの提案が、まさにこの協定書についてなのです。昨今の事情をかんがみて、このうち一部の条項の修正及び確認を行いたい」
本来、御寮側に条項を修正する意思はない。今回の会合は、条項の修正を持ち出して下御森神社を招き、山門を開門させることにこそ意味があった。下御森が神御寮の御寮員を狙って刺客を送り込んでいたことは、神御寮とて知っている。ひとに害をなさない限り不干渉を鉄則に掲げてこそいるが、あやかしを取りまとめる下御森からすれば、神御寮は存在自体が脅威であり、こういった水面下での報復や抗争はこれまでも両者でたびたびあった。神御寮のほうもまた、殺さずの禁を破って、ひそかに下御森配下のあやかしを屠ったことは幾度もある。
さりとて、両者とも全面的な対立は避けたい。
今回の会合は、神御寮側のひとつの牽制でもあった。
「そのことについて、ひとつご提案がございます」
それまで静かに鳥野辺の話を聞いていた御社様がおもむろに顔を上げた。ヒルコ、と御社様に促された蛙化生が後ろに回って、顔を覆っていた白布を取り去る。現れた少女の顔を見て、鳥野辺と亀山田――そして蝶子もまた、細く息をのんだ。
「見苦しいものをお見せいたします」
少女は歳にそぐわない自嘲のこもる口調で言った。もとは可憐であったろう少女の、しかし顔の右半分は崩れてなかった。何よりも、その声に蝶子は思い当たってしまった。
――白。
皆川商会の舞踏会で行きあった、あの少女だった。あやかしであることは、迎えに来た樟化生やにおいから薄々感じていたが、まさか下御森神社の『御社様』だとは思わなかった。
「……御社様。それは」
「化生斬りに斬られたものですわ。化生斬りとは本当に恐ろしい。わたくしの顔を傷つけただけでなく、治癒するどころか、この傷は今も少しずつ広がっておりますの」
苦笑し、御社様は引き攣れた痕を残す頬を指でさすった。
「ちょうど十年前になります。六海の地で、あらぶる神と化した母は狩られ、まだ母の胎にいたわたくしもまた、化生斬りに斬られました。わたくしの母を狩った御寮員は常野万緑、化生斬りの銘は、常野丸と申します」
蝶子は内心の動揺を押し殺して、こぶしを握りこんだ。よもやこの場で父の名が持ち出されることになるとは思わなかった。あくまでも素知らぬ風に鳥野辺がうなずく。
「六海の地では、常野万緑もまた命を落としました。御母君を狩った際、負った傷がもとで」
「そのようですね。互いに傷つけ、傷つき合う。わたくしたちの関係は、尾を食い合う二連の蛇のよう」
「御心中はお察しいたします。私にとっても万緑は朋友でありましたので。ですが、ゆえにこそ、協定は守られなければならぬのです」
「そのとおり。互いのために、協定は守られなければならない……。けれど、長い月日の間に、わたくしたちは互いの屍を積み上げ過ぎてしまいました。よって、わたくしはご提案申し上げたいのです」
白がそっと微笑んだことに、蝶子は気付いた。
「化生斬り常野丸をいただきたい。わたくしたちの友好の証に」
「待ってください。それは」
「代わりにこちらからはこのヒルコを差し出しますわ。下御森内の調べで判明いたしましたの。西都の御寮員を襲撃していた事件、首謀者はこのヒルコですわ。下御森神社総代として、不始末をお詫びいたします。私刑にかけることも考えましたが、神御寮に御引渡しします。わたくしたちの友好の証に」
了承済の話だったのだろう。白の隣に座したヒルコは平然とした顔をしている。ヒルコの顔は、高桐邸の襲撃の際に、幾人もの人間に見られている。付き添いにヒルコを選んだのは最初から、今の提案をするためにちがいなかった。
「差し出がましいながら、申し上げます」
耐え切れず、蝶子は前は進み出た。
「常野丸はただの刀にあらず、妖刀です。自らあるじを選び、あるじ以外を寄せ付けません」
「常野」
鳥野辺が顔をしかめるのがわかったが、蝶子はひるまなかった。蝶子を仰いだ御社様が微かに首を傾ける。
「あなたが今の常野丸のあるじですか」
気付いたはずだ。白は、あのときの「蝶」が蝶子であると。けれど、あえて訊いた。蝶子もまた、受けて立たなくてはならない。
「ええ。わたしは常野蝶子と申します。常野万緑の娘、また今の常野丸のあるじでもあります」
「なるほど。確かに面差しが似ていらっしゃる。万緑様も温厚そうな顔つきをして、眼差しばかりは冴え冴えと、刀の切っ先のようでございました」
狩られた際、母の胎にいたはずの白が万緑の顔を覚えているとは到底思えなかったが、まるで見てきたかのように語る。うふふ、と童女めいた笑いを漏らし、白は蝶子を見つめた。
「わたくしは、常野丸をください、と言いました。常野丸のすべてを。――意味はわかっておられますね? 鳥野辺殿」
「……ええ」
「では、お返事をください。三日後でいかがでしょう」
「七日。せめて、五日いただきたい。あいにくと、下御森とは違いましてな、我々は御寮官三人の意思で事を決めるのです」
「御寮らしい穏便な方法ですわね。では、五日後に。またこの玉垣神社でお会いしましょう」
くすりと微笑むと、衣擦れの音を立てて白は立ち上がった。ヒルコが巨体を揺らして恭しく手を差し伸べる。すれちがいざま、ヒルコの濁った黄色い眸が蝶子を見やった。下卑た嗤いを口元に浮かべて舌を出したヒルコを、蝶子は唇を噛んで睨めつける。
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