三章、あやかし退治

1

『この娘は五つまで生きられないだろう』


 蝶子は生まれてすぐ、祝いの芸に訪れたアルキ巫女からそうお告げを受けた。双子の弟の春虫は、立派に常野家を守り抜くだろうと言われたにもかかわらずだ。自身も昔、アルキ巫女だった蝶子たちの母は、娘のさだめに嘆き悲しみ、アルキ巫女に縋って乞うた。


『どうしたらよいのです。娘の命を延ばすにはどうしたら』


 アルキ巫女はしばらく考えた末、常野の祭神にあたる女神を指して言った。


『方法はひとつある』

『何です?』

『その身を捧げ、女神の加護を乞え。おまえを女神が気に入れば、娘の命はそのぶんだけ守られるだろう』


 蝶子の母はそのとおりにし、直後、十九の若さで亡くなった。


 *


 黒木の鳥居をくぐると、旧玉垣神社の参道にはすでに火が灯り、老若男女の客で賑わっていた。


「蝶子」


 赤くなった指に蝶子が息を吹きかけていると、アオが毛織の肩掛けを差し出した。ありがとう、と言って引き寄せた肩掛けに顎をうずめる。隣を歩くアオはいつもと変わらぬ襯衣シャツと黒灰色の上着に古い外套を引っ掛けていたが、蝶子のほうは男装をやめて、裏地のついた鼠色の紬に薄紅の梅枝が描かれた帯を合わせている。髪はいつもと同じように簡素な玉結いをして蝶簪を挿すだけにとどめていたものの、これなら、年頃の少女に見えないこともない。

 神事のひとつであった頃の名残で、旧玉垣神社の五ツ縁日には卑賤、貧富を問わず、誰でも参加することができる。やけによい身なりをした少年が小間使いらしい子どもたちを引き連れ、大人たちに紛れ込んでいる姿を見つけて、春虫も昔はこうだったのだろうか、と蝶子は小さく笑った。


「玉垣の夜見世は西都ではいちばん大きくて有名なんだ。未だに町衆のおかげで、月ごと必ず五日に催されているらしいし」

「そうなんですか」

「アオも何か買う? 八時の見世物まではまだ時間がある」


 蝶子はアオの外套の裾を引っ張って、参道に並んだ夜見世を指す。


「綿飴ないかな。ふわふわしたやつ」

「楽しそうですね、蝶子」

「わたしはいたって真面目に仕事をしているよ。でも綿飴は食べたい。ふわふわしていて、おいしいんだもの」

「……ふわふわしているのはわかりましたよ」


 アオは若干呆れた様子で肩をすくめた。


「相変わらず、君たちは仲良しねえ」


 ひとごみでもよく通る女性の声がかかって、アオと蝶子は足を止める。中門の前にたたずむ女性の姿を見つけ、蝶子は相好を崩した。


藤尾ふじおさん」

「久しぶりね、蝶子ちゃん。アオくんも。今日はお誘いありがとう」


 藤尾、と呼んだ女性は、蝶子より五つ年嵩の齢二十。無地の滅紫の袷に桜蕾の縫い取られた半衿をつけた姿は、華美でこそないが、それとわかる品のよさがある。藤尾は蛇ノ井の妹で、蝶子の弟、春虫の元許嫁だった。その縁もあって、高桐同様、蝶子にとっては数少ない昔馴染みでもある。


「今日は高桐くんはいないのね」

「別件で仕事が入ったみたい。ここの担当はわたしだけだよ」

「残念。せっかく蝶子ちゃんが可愛い姿で来たのに。あとで羨ましがらせよう」

「高桐が羨ましがったりするかなあ」


 可愛い、というにはいささか地味に過ぎる鼠色の紬に目を落とし、蝶子は苦笑した。


「でも、懐かしいわね。十年くらい前は玉垣神社の神職もまだ元気でいらして、五ツ縁日にはお参りにいったものよ」

「藤尾さんもよくここに来てたの?」

「本当に幼い頃、兄さんに連れられて何度か。蝶子ちゃんは春虫くんと来なかった?」

「うーん。春虫はときどき友だちを連れて行っていたみたいだけど、わたしははじめて」


 縁日に行った帰りには、必ず枕元におみやげを置いてくれた春虫を思い出して、蝶子は微笑んだ。綿飴がふわふわだって話をしていたのも、そういえば春虫だった。双子の弟がそばにいてくれたからだろうか。物心ついた頃から、友だちを作ることはおろか、外出すらほとんどしたことがない蝶子であったけれど、あまりさみしさを感じたことはなかった。


「ああ、見つけた、綿飴! アオ、藤尾さん、待ってて。ひとつ買ってくるから」

「どうぞ、いってらっしゃい」


 ひらりと手を振る藤尾に微笑み、蝶子はざらめの香りがするひと群れの中に向かっていく。


 *


「もうすっかり、子どもに戻っちゃって。昔の春虫くんみたい」


 蝶子の背を見送って、藤尾が苦笑した。残された藤尾とアオはひとごみを避けて、中門のそばの樟の下に移動する。夜見世から少し離れた場所のため、ひとは少ない。藤尾は樟の太い根のひとつに腰かけて、膝に頬杖をついた。


「でも、そうか。もう五年になるのね。春虫くんがいなくなって、アオくんが蝶子ちゃんの前に現れて……」


 樟の前に立つアオは常のごとく相槌らしい相槌を打たなかったが、藤尾は気にした風でもなく懐かしそうに目を細めている。その眼差しの先には、夜見世に並ぶ蝶子の姿があった。前に並んだ子どもと、そばに置かれた金魚の水槽を指して何やら耳打ちをし合っている。蝶子が知らない子どもでもすぐに仲良くなってしまうことをアオは知っていた。


「ふふ。蝶子ちゃんのあの帯、昔私があげたのよ。似合っているでしょう」

「あいにく、俺にはひとの美醜はわかりませんが。蝶子なら、何を着たってきれいですよ」

「ひとに従う化生は皆そう言うわね。名付け親って、やっぱり無条件でいとおしいもの?」

「いとおしいというのは人間本位の感情でしょう。俺たちにあてはめるのはふさわしくない」

「そうかしら。少なくとも、兄さんや私はひとの情を理解しているつもりだけど」

「『半分』の方とはちがいます」

「そうね」


 息を吐いて、藤尾は肩をすくめた。


「藤尾様は今日は何故、ここへ?」

「聞いてなかった? 蝶子ちゃんが誘ってくれたのよ。――というのはもちろん表向きの理由」


 今日の仕事に藤尾が同行することは蝶子から聞いていたが、どうやら裏があるらしい。


「鳥野辺さんから、兄さんに依頼があったの。あなたたちにひとをつけるようにって。それで、妹である私にお呼びがかかった。だから、今日の私はあなたたちの『監視役』」

「蝶子はこのことは?」

「知っているわ。……知っているから、蝶子ちゃんのほうから誘ってくれたのよ。あの子は案外、そういう気を回してしまうのよ」


 苦笑して、藤尾は目を伏せた。


「鳥野辺さんも兄さんに話したあたり、隠す気はないんでしょう。もとよりあの真面目一徹のご気性だしね。とにかく、この間のナンテン化生みたいなことは今夜はご法度ということ」

「肝に銘じますよ」

「そうしなさい。『常野丸』は?」

「ここに」


 『常野丸』とは常野神社に代々伝わる化生斬りの妖刀だ。すらりと抜いた刀身は錆びついて痩せ細り、現のものを斬るにはまったく向かないが、常夜に属するものたちには刀と同等の効果を発揮する。常野丸は女刀と言われ、蝶子は刀に嫌われたため、扱うのはもっぱらアオの役割だった。

好悪は別としても、非力な蝶子では刀を振り回すことは無理であろうし、数度立ち回りを演じれば、獲物を仕留める前に当人が倒れるだろう。蝶子の体力のなさ、それだけにおさまらない運動能力のなさはアオから見ても、壊滅的だった。

 数多の化生を斬ってきた刀の鞘に触れると、手のひら越しに熱い血が蘇った。――……たべたい。斬った化生を思い出すと、アオの胃の腑はきゅうと捻じれて飢餓を訴える。もうどれほど長い間、思うがままに食べていないのだろう。アオは顔をしかめ、鞘から手を離した。

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