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「皆には言うんじゃないよ。ただでさえ、危険任務の多い辺地職で、慢性的な人員不足なんだ。あちら側にも悟られたくないしねえ」

「下御森神社と神御寮は相互不介入の協定を結んでいたと聞いてましたが」

「表向きにはね。だけど、ひとに害なす化生を退治する我々と、化生を中心に組織された下御森神社とは、もともと折り合いが悪い。要は、目的が違いすぎるんでしょうねえ。我々が歴代狩ってきた化生の中にいくつ下御森配下の者がいたのか、一度書司で調べてごらん」


 焼き菓子のひとつを差し出してきた蛇ノ井に、蝶子は固辞の意を示した。残念そうに手を下ろして、蛇ノ井は菓子を自分の口へ運ぶ。


「それで、ようやっと本題だ。蝶子くん。その下御森なんですけどね、今度、旧玉垣神社で立つ夜見世を襲撃するらしいという話があるのさ。うちの隠密がつかんできた情報だと、何でも旧玉垣神社の夜見世では、さる貴神の『御足』が出るらしい、とか何とか」

「御足?」

「たぶん、昔私が狩ったもののどれかさ。切り分けて埋めたはずだけど、掘り起こした奴がいたらしいねえ。下御森は、同朋への固い絆で結ばれている。亡骸の一部が見つかったとあれば、必ず奪い返し、報復を考えるにちがいないというのが私らの見立て。蝶子くん。ゆえに君は夜見世に紛れて彼らの動向を探り、かつひとに害なすことあらば、その場でお狩りなさい」

「御意に」

「蛇ノ井御寮官!」


 鳥野辺が憤慨した様子で、円卓から立ち上がった。


「常野は確信的にナンテン化生を逃がした疑いがある! 疑いも晴れないまま、次の任務を与えると仰るのか!」

「疑いならもう晴れたじゃあないですか。蝶子くんは何も知らなかったそうですよ。ねえ、亀山田御寮官」

「え、えー、確かに常野さんは、えー」

「どこがです! ますます、疑いが深まるばかりですよ! もとより、化生憑きの女をこの神御寮に入れるなど私は反対だったのだ! 化生が化生を狩るなど、おぞましい!」

「――失礼」


 がたん!と大きな音が立って、鳥野辺が腰を浮かせていた椅子が横に倒れる。目を剥いた鳥野辺に微笑み、蝶子ははずみにふわりと舞った翠の指貫の裾を押さえた。


「足が滑りました」

「なっ、なっ」


 怒りが飽和に達したらしい。青筋を立てて、口を開けたり閉じたりを繰り返す鳥野辺のかたわらで、蛇ノ井が薄気味悪い嗤い声を立てた。


「よいじゃあないですか、鳥野辺御寮官。蝶子くんの『憑き物』が有能なのは明らかですし、『憑き物』を含めての蝶子くんだ。御所の春例祭も近い。帝の警備に人員をあてがわなきゃいけない以上、ひとりでふたりぶんの蝶子くんを使うのは良策だと思いますよ。ねえ、亀山田御寮官」

「え、えー、私もその、人事の観点から蛇ノ井御寮官の意見に賛同いたしたく……」

「ちっ」


 これみよがしに舌打ちをして、鳥野辺は小姓の子鼠が起こした椅子に腰を下ろした。細い眉根を寄せて、蝶子を睥睨する。


「いいか、常野。次、御寮の許しなく、化生を逃がしてみろ。『憑き物』もろとも、御寮牢送りだと思え」

「御意に」


 蝶子は睫毛を伏せて、顎を引いた。

 蛇ノ井が眉根を下げつつ手を振ったので、それを合図に指貫を翻す。鳥野辺がわずらわしげに頬を歪めたが、開きかけた口から文句が飛び出す前に子鼠が襖を閉めた。


「もう。蝶子さんはいつもこれなんだから。僕の心臓がもたなくなってしまいますよ」


 まだ年端のいかないこの男童は、たった四半刻にも満たない間に疲れ切ってしまったらしい。ごめん、と苦笑して、蝶子はしょぼくれた様子の子鼠を呼び寄せる。小さな手に行きがけに買った芋餡のまんじゅうを乗せると、子鼠は黒目がちの目をみるみる輝かせて「だから、蝶子さんは好きです」と現金なことを言った。


「機嫌が悪そうだね、鳥野辺様は」

「殺されたのは、鳥野辺様が可愛がっていらしたお弟子様だそうで。ああいう気質の方だから、お悔しいんでしょう」

「ああ、子鼠坊主のほうがずっと大人だ」

「そんなことないですよ。僕はまだまだ学ぶことばかりです。お仕事気を付けてくださいね」


 まんじゅうを大事そうにおなかに隠して子鼠が手を振る。ありがとう、とうなずいて、蝶子は御寮員室をあとにした。

 実際、その日の機嫌の良し悪しによらず、鳥野辺と蝶子はたいそう仲が悪い。というよりも、鳥野辺のほうが一方的に蝶子を毛嫌いしているのだった。

法が変わり、男女問わず、家督を継ぐことのできる世になったといえど、蝶子はまだ珍しい部類であったし、旧式の伝統を重んじる神御寮では、少女御寮官など皆無といってよい。だが、鳥野辺が徹底して蝶子を嫌う理由は別にある。


(わたしだって、アオに化生を斬らせたいわけじゃない)

 

 胸中で呟いてから、蝶子は耐え切れずに俯いた。

 アオという青年は、五年前、蝶子が名付け、己のものとした化生である。この国では、ひとが決して真名を呼ぶことができない強大な力を持った存在を『神』と呼ぶ。これらには仮の『呼び名』が奉じられ、かつては家ごとに一神を祀って大事にされていた。他方、『神』に及ぶだけの力がない有象無象は『化生』と呼ばれ、ひとがその存在を認め、名付けることで使役することができる。

 しかし、それも今は昔の話。

 神御寮であっても、化生を使役する御寮員はおらず、名付けの方法すらも伝わらないまま絶えた。春虫たちが神隠しにあったあの場には説明のしがたい何かが発生していたらしい。だからこそ、何も知らない蝶子がアオを名付けることができたのだろうと蛇ノ井は言ったが、「あやかし憑き」となった蝶子の処遇については当時の神御寮でも真っ二つに意見が割れた。

 ひとつは、鳥野辺御寮官を中心とした即効処分せよというもの。

 今ひとつは、蛇ノ井御寮官が中心となって主張した観察論。

 いわば、結論は先延ばしにして、観察ののち、総合的に害があるかないかを判断しましょうという楽観論である。第三席にあたる亀山田御寮官も蛇ノ井御寮官に追随したため、蝶子の処遇はいったん保留となり、神御寮預かりとなった。蛇ノ井は加えて、蝶子に神御寮で御寮員として働くことを命じた。常野家は代々、御寮員を輩出してきた家柄であるため、身分としての問題はない。春虫の失踪からちょうど一年が経った十一の歳から、蝶子はこの神御寮で働いている。


「ほら、あれが『あやかし憑き』の……」

「しっ。聞こえるぞ」

 

 書司でいくつか調べ物をして引き上げようとすると、内廊で談笑していた寮員たちが蝶子を横目で見やって声をひそめた。他の寮員の多くは蝶子をいないものとして扱うのに慣れていたが、新たに入った寮員らしい。蝶子が冷ややかな眼差しを向けると、「ひっ」とおののき、道を開けた。黒髪に挿した蝶簪を涼やかに鳴らして、蝶子は開けられた道の真ん中を通る。


「当然って顔をしてやがる」

「女のくせに可愛げがない……」

「女じゃないだろう、『あやかし憑き』さ」

「――蝶子」


 ひそひそ声を遮るように、高桐が遠くから手を振った。蝶子は足を止めなかったが、大柄の男はすぐに追いついて隣に並ぶ。


「もう帰るのか」

「うん。もともと登庁日じゃなかったし、用も済んだからね」

「それで? 呼び出しの理由はなんだったんだ?」

「仕事の話だった。おまえがぼんやりしていてどうこうって話にはならなかったから、安心したら」

「そりゃあ、ご親切にどうも」


 ふふんと笑い、「母上もおまえに会いたがっていたぞ」と高桐は言った。


「また、遊びに来い。次はあやかし封じもかけ直しておくから」

「……ん」


 そっけなさを装いつつも労わりのこもった声に、蝶子は曖昧にうなずいた。名札を不在の棚に戻し、外に出る。車止めのある朱塗りの門の外では、見慣れた長身が落日を受けてたたずんでいた。


(……待っていろなんて言わなかったのに)


 それまで澱みのなかった歩調が、一瞬ためらいを帯びる。アオは蝶子に気付いておらず、異形めいた美貌に風を受けていた。固く目を瞑る。年が明けたばかりの澄んだ外気に白い息を吐いて、蝶子は再び前を向いた。

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