後日談。

第19話

 海翔の母の彼女は家事のスペシャリストと言っても過言ではない位に家事が上手く、彼女に憧れた真史は弟子入りした。お陰で四人が揃うと二人の和田は会話に入って行けず取り残される事が多くなっていた。


 海翔曰く「頭の緩い母」は子供のように頬を膨らませ、炬燵の下の海翔の足をちょんと蹴って合図を送る。

――二人きりにさせろ、と……。

 思わず苦笑を零した海翔は何も言わずに立ち上がり、真史の気を釣った。

 目が合うなり微笑みかける。


「真史、散歩行かない?」


 首を傾ぎつつ、目で母を指す。と、察しがいい真史は「あっ」と言いかけた口を閉じてコクンと頷いた。


「すみません」

 俺の物なんで。とは言わない。が、代わりに真史の手を握って彼女さんに見せつける。と、母の彼女は自分の恋人に目を移して「まあ」と言うように口だけを動かしていた。向けられた人は苦笑するしかなかった。


 玄関で靴を履く真史を見下ろした海翔はこっそり扉が施錠されている事を確認して、無言のまましゃがんだ。

 おでこをり寄せるように近づき、そっと唇を重ねる。

 キスをする時、反射で目を閉じてしまう真史は離れるなりそっと目を開き、すぐに苦笑で閉じてしまった。


「笑うなよ」

「うん。ごめん」


 頷きつつも真史はまだ笑っている。が、そっと海翔の肩に手を乗せると体を寄せて唇を重ねた。


 下唇だけを細かく震わせながらそっと動かして、海翔の柔らかい体温を緩く吸って離れる。と、小さく「ちゅ」と音がした。

 海翔は堪らなくなって追うように唇を重ね、開いたままだったその隙間に熱を忍び込ませた。


「んっ……」

 小さく鼻から漏れた真史の声が背中を痺れさせる。


――このまま押し倒して、じっくりと口内を犯していたい。


 そんな欲が頭をもたげる。が――。

「おーい。玄関でサカるなぁ」

 母親の声に海翔はビクッと体を跳ねさせて真史から離れた。見れば、母はニヤニヤしている。


――頭ユルいんじゃなくて、おかしいのか……。

 と、頭の中だけで悪態を吐きつつ「はぁい」と気の無い返事をして立ち上がった海翔は、真史の手を引いて外へと出て行った。




 外は真史が「来年は一緒には見られない」と考えていた桜が、満開の一歩手前と言った具合で優しい色を空に差していた。


 海翔と両想いと知った後、真史は「海翔と離れるため」だけに行こうと考えていた社員寮のある就職先を考え直し、結局はフリーターに落ち着いてしまっていた。今の目標は学費を貯めて専門学校へ入る事だ。


 ちなみに海翔は海翔で手に職をつけようと専門学校への入学が決まっている。


「桜、綺麗だな」

 と、囁くような小声で言う海翔を見上げて、真史は目を細めた。


「なに?」

「海翔の方が綺麗だよ」

 なんて恥ずかしげもなく言ってのける真史に海翔は思わず顔を赤くする。そんな様子に真史は「ふふっ」と笑った。悔しい海翔はちょんと真史の手を指先で撫でる。が、捕まらないようにとさっさと引いてしまった。


「……あのさ。もうすぐ、一年だろ?」

 顔を背けて言う海翔の横顔に、真史は少し不安げな目を向けていた。その目を見るなり、海翔は真史の前にひざまずいた。空と桜とを背景にした想い人の姿は、どんな景色よりもきっと美しいに違いない。

 海翔は真史を仰ぎ見て、緊張で硬い頬をぎこちなく動かした。


「改めて言うのもあれだから、その……、今度は……」


 言いながら俯いてしまった顔を真史へと上げ直し、唇にきゅっと力を込める。と、頭を勢いよく下げながら、

「俺と結婚してください!」

 と、右手を真史へと差し出した。


 突然の「二度目の告白」ならぬ、プロポーズに真史は呆然と海翔の右手を見つめていた。熱に浮かれたままその手を取る。と、海翔が顔を上げて真っ赤な顔が露わになった。その様子に安堵してしまった真史は力が抜けたようにへらっと笑った。


「よろしくお願いします」


 今度は海翔が呆然とする番だった。が、その意味は大きく違う。

 海翔は真史の破顔に見惚れて動けなくなっていたのだ。それでも真史は動じず、海翔が帰って来るのをじっと待っていた。


「……幸せにします」

 呆然としたままの誓いに真史は再び「ふふっ」と笑い、

「こちらこそ、幸せにします」

 と、ちょこんと頭を下げた。




「俺、やっぱり母さんが言ってた事理解出来ねぇわ。好きな人とは離れたくない」

 繋いでいた真史の手を確認するように胸の位置まで上げて、海翔は目を落とした。その横顔を見ていた真史は小さく頷いて微笑んだ。


「僕も……、今は海翔の気持ち解るよ」

 今は、に、反応した海翔は手を重力のままに下し、真史の目を見つめる。その目を真史は愛おしげに見つめ返した。


「海翔とは離れたくないって思うから」


 海翔は堪らなくなって真史の瞼に唇を触れさせた。触れさせてから慌てて周囲を確認する。幸い周りに人の姿はない。


「人目、気になる?」

「……真史は?」

「僕は平気」

「じゃあ、キスしていい?」

 肩を掴み、真剣な目を向けて来る海翔に真史はきょとんとした。が、周囲には目もやらず、頷きもせず、ちょっと背伸びをして何も言わないまま海翔の右目にキスをした。


「可愛いやつなら、いいよ」

 してやったり、とでも言いたげに真史は笑ってみせた。

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欠けた心に包帯を。 優希 @L-Yuki

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