第18話

 どうやって帰って来たのかすら記憶にない。

 頭の中を占めていたのは白一色で、何が起きたのかも理解出来ていなかった。


 けど、夜になって布団を被ったら途端に鮮明になって、顔が火を噴いたみたいに熱くなった。


 海翔にキスされた……。


 僕から、じゃなくて、海翔から……。海翔から? 海翔から、だった……!


 今更「どうして?」なんて、怖くて訊けない。海翔が何を考えているのか見当もつかなくて怖かった。

 確かな事は、期待してはいけない、と言う事。


 僕は隣で寝ている海翔が気になって、つい背中を向けてしまった。




 それから何事もなく一日、二日……と、時は過ぎて行く。

 と、思っていた。


 切り出したのは海翔だった。

「真史……」

 と、呼びかける声一つで、あの時の話しをするんだと僕は直感した。

 ほんとの事を言うと、聞きたくなかった。けど、海翔の決心を無駄に出来る程、強情にはなれなかった。

 何でもない顔をして海翔を見た。それはすぐに崩されてしまったけど。


 海翔は、泣きそうな顔をしていた。

 傷ついた僕を見た、あの時のような、痛みと戦っている顔だった。それに釣られて僕の表情も歪んだ。

「……ごめん。弱みに付け込むようで嫌だったからずっと、黙ってたんだけど……。

 あと一年で真史がこの家を出てくんだと思ったらどうしようもなくて……」

 俺、と、続いた声は殆ど溜め息だった。けど、顔を上げた海翔の表情は泣きそうでいて、強く揺るがない物が見えた。


「俺、……真史の事が好き、なんだ……」



 ……………………。



「真史? ごめんっ! 泣かせる心算はっ!」

 目の前で海翔が慌てている。伸ばしかけた右手を僕に触れるより前に止めて、居辛そうに緩く握ると静々と下ろした。

 僕は海翔が下したその手に釣られて下を見て、涙が溜まっている事に気付いた。

 この涙が、海翔を苦しめている。そうと分かっていても、動けなかった。



 好き?



 海翔が、僕の事を?



 ……聞き間違いだったら、

 どうしよう。

 そればかりが頭を占領していた。


「ごめん、ほんとに、ごめんっ……」

 謝る海翔の声が遠くに聞こえて僕は顔を上げた。

 海翔が、泣いている。その姿を見た途端、頭を占めていた不安はどこかへ行ってしまった。

 気づいた時には、僕は海翔に抱き付いていた。

 優しい体温が、布越しに僕を温める。

 心臓がバクバクと音を立てている筈なのに、よく聞こえなかった。抱き付いた時に炬燵の丸い角に脇腹をぶつけたのも、肘をぶつけたのも、今は気にならなかった。


「真史……?」

 海翔の声がする。布越しの、海翔の体の中に響いている、いつもとは違う声が――。

「俺が言ってる、好きの意味、解ってる、よね……? 友達として、じゃないんだよ?」

 不安に震えている海翔の声が愛おしい、なんてちょっと酷いかな? でも、すごく嬉しかったんだ。


 僕はそっと海翔の顔を覗き見て、小さく頷いて見せた。

 言わなきゃ、と、思うのに、声の代わりみたいに涙ばかりが出てくる。だから、行動で示すしかない。


 そっと、海翔の唇に僕の唇を重ねて、涙で濡れている目を閉じた。

 海翔の息は、驚いているのか僕の頬には掛からず、ただ、涙ばかりが僕の頬を撫でている。

 それが、ちょっと怖い。

 僕は離れると同時に目を開き、でも、海翔の顔は見られなくて思わず目を伏せた。だから今度は視線の代わりに、と、口を働かせる。

「僕も、海翔が好きだよ」

 言葉を声にしたら体が声に乗せられて勝手に海翔と目を合わせようとした。けど、それは唇に触れる体温で防がれてしまった。


 海翔のまつ毛は長くて、漆黒で、涙の所為かキラキラしていて、すごく愛おしかった。

「……夢、じゃないよな?」

「うん。夢じゃない、よ。たぶん……」

「たぶんって……」

 確かめるようにもう一度触れ合わせて、その小さい子供でも出来るキスが、夢じゃないと信じさせてくれる。


 海翔は思わず出ちゃった、みたいに苦笑して、僕の瞼に唇を触れさせた。

「夢でもいいや……。また一年後に……」

 その後なんと続ける心算だったのか、後で聞いたら「内緒」だって。


「あら~」

 と言う海翔のお母さんの声で二人の時間は強制終了した。でも、お陰で夢じゃないって二人して確信したんだけど……。

「やっと踏み出したのね~」

 ……やっと? これも後で聞いたんだけど、海翔のお母さんは僕が初めてこの家に来た時すでに海翔の恋を見抜いていたらしい。序でを言うと、僕自身気づいていなかった恋も、だ。女の勘って怖い……。


「ちょうど良かったわ~。紹介したい人を連れて来たのよ~。

 紹介します。私の彼女です!」

 この発言がまた「夢か?」と、僕と海翔を惑わせたけど、紛いない現実で。

「それで、奥が息子の海翔、手前の子が、息子の彼氏の真史くんよ」

 彼女さんにそう紹介された時、僕の中には恥ずかしさもあったけど、でも――、

 すごく、嬉しかった。

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