第20話 食事会

 夕方、二日目の講演が全て終わり、佐々木は会議場の受付の近くの柱にもたれて立っていた。同じように誰かを待っている人たちが周りに多くいて、ガヤガヤとしている。佐々木は瀬田とクリスを待っていた。

 今日の午前中にポスター講演を無事に終えることができて、佐々木の心は軽い。未だに時差ぼけで昼過ぎ頃に強烈に眠くなったが、それでも今日の午後の講演は一度も居眠りをせずに聞いていることができた。


「お待たせ」

 瀬田とクリスともう一人が同時にやってきた。きっと同じセッションの講演を聞いていたのだろう。クリスの隣に立っているのは金髪の女性だ。背が高い。佐々木よりも高い。靴を見ると特にヒールを履いているわけでもない。180センチはあるだろうか。ジーンズにジージャン?のようなものを着ている。髪の毛は肩くらいまでで、綺麗な金髪だ。目は青い。

「初めまして。クリスと瀬田と同僚だったサラです。今はアメリカでポスドクをしています」

 そう言いながら女性は佐々木に手を差し出した。佐々木は少し戸惑いながらも手を差し出し、握手をする。

「初めまして。T大の博士課程のトオル・ササキです」

「では、行きましょう。クリス、歩いていけるんだっけ?」

「ええ。前に行ったことがありますし、問題なく歩いていけます。ついてきてください」

 クリスの後を、瀬田、サラ、佐々木、と続いて歩いていく。



 クリスたちと一緒に入った店は確かに会場から歩いて10分くらいで近かった。ビルの5階だった。通された席のテーブルの上には、赤いラベルと緑のラベルの醤油が置かれている。緑のラベルの方は減塩のようだ。

 5階の窓からはボストンの街並みが見える。まだ暗くなっておらず、ボストンで一番有名な大きな川のチャールズ川と、さらに遠くには大西洋も見える。

 佐々木の向かいには瀬田、左にはクリス、右にサラが座っている。

 会場からこのお店までの会話は、当然、英語だ。佐々木は適当に頷くようなふりをして話を聞きながらお店まで歩いてきたが、あまり話している内容を理解することができなかった。

 物理の専門的な話であれば、英語でもまあまあわかるが、日常会話的なものになると途端にダメになる。

 物理の論文で使われている単語はいつも似たようなものばかりで、話す時も同じような単語を使い回すことになる。物理の論文はわかりやすく書かれてあるのが一番大事なので、文学作品のような同じ意味の単語を様々な単語で表現する、ということはない。

 日常会話だと、話している内容、今、何の話題を話しているのか、を理解するのに時間がかかる。話の内容がやっとわかった時には、別の話題に切り替わっており、結局ニコニコしながらわかったふりをして頷くだけになってしまう。

 寿司レストランのメニューを眺める。メニューには写真はない。しかし、SushiスシとかMakiマキなどは何が言いたいのかはわかる。サラダコーナーもある。

「クリス、サラ、佐々木さん、適当に前菜アペタイザーを頼んで、それから皆さんお好きなものを頼みましょう。スシなので、それぞれが小さいピースに分かれていますから、みんなでシェアしましょう。それでいい?」

 クリスとサラが頷く。佐々木も頷いておく。

 メニューを見ると、ドラゴンロール、やボルケーノロール、というものがある。どのようなものが出てくるか想像もつかない。

 ウェイトレスがテーブルにやってくる。

 三人はそれぞれが一つずつスシを選んでいる。佐々木は、気になっていたボルケーノロールを注文。



 最初にやってきた豆腐入りサラダをつまみながら、四人で色々なことを話す。

「トオル、日本の大学院では、給料が支払われない、と以前カオルから聞きました。本当ですか?」

 サラが箸で器用に豆腐をつまみながら聞く。

「はい。基本的には支払われません。一部の大学院では、給与が支給される場合もあります。私は今、もらっています」

「えー、いいなー。私の時はそんなものなかったよ」と瀬田。

「マスターコース(修士課程)に入ったらもらえるんですか?」

「いえ、2年からでした」

「じゃあ、大学院に入る前に生活の目処を立てられなくて大変ですね。じゃあ、どうやって大学院を選ぶんですか?」

「えっと、たいていの人は学部の時と同じ大学の大学院に進学します。だから、特に大学院を選ぶ、ということはしていませんでした。私もそうです」

「なるほどー。日本は大変だね。私、カナダ人で、カナダで博士号を取ったんだけど、カナダでは、教授から給与が支払われるの。いくつかの大学院に応募すると、その学生を取りたい大学院は『あなたにならこれくらい出せます』と言ってきて、その金額が大学によって結構違ったりする。給料の高さも大学院選びで結構大事」

「日本じゃ、T大とか大きな大学なら、佐々木さんみたいな優秀な学生には生活費が出るようになったけど、他の大学は全然だよ。私の出身のO大は、何にもなかった。学振っていう政府の特別研究員制度に当たらなかったら、とても大変。授業料も払わないといけないし」

 瀬田がプンプンとした感じで言う。

「え、学費も払うの? それじゃあ、どうやって生活するの?」とクリス。

「パートタイムで働いたりとか、時々ティーチングアシスタントしたりとか、あとは親に生活費を出してもらったりとか?」

 瀬田がそう言うと、佐々木も頷いた。

「そうなんですよ。瀬田さんの言う通り、給与がなければ独り立ちできませんので、親の援助に頼る人が多いんです」

「トオルは優秀で良かったね」

 サラがにこやかに言う。佐々木は少しどぎまぎしてしまい箸から豆腐を落としてしまった。




「ドラゴンロールと、ボルケーノロールです。ごゆっくり〜」

 ウェイトレスが颯爽とやってきて、置いて、颯爽と去っていった。

 佐々木の目の前にある、龍のようにくねらせた巻き寿司がドラゴンロールらしい。日本でのいわゆるカリフォルニアロールのように、海苔が内側でご飯が外になっている。具は、どうやら、エビの天ぷらとキュウリのようだ。ドラゴンロールの片側から、勢いよくと言うしかない姿勢でエビの頭の天ぷらが顔を出している。

 ボルケーノロールは、ロールがほとんど見えない。山のようになっていた。山を形作っているのは、天かす? ロールの上に天かすやサラダやエビが降り積もり、その上から赤色とクリーム色のソースがかかっている。まさに火山巻ボルケーノロール

 佐々木は、想像を超えるアレンジ具合に、とても驚いた。アメリカナイズされているのは予想していたが、せいぜいカルフォルニアロールみたいな海苔が内側ご飯が外側くらいのアレンジだと思っていた。

 ドラゴンロールを一ついただく。醤油もあるので、自分のお皿に醤油をたらし、そこにドラゴンロールをつけて食べてみる。

「あ、これ美味しい」

 佐々木が思わず呟くと、同じように食べていた三人も一斉に頷いた。

 日本にもおにぎりの具を天ぷらにした天むすがある。天ぷらを寿司に入れたドラゴンロールはそれに似ているかもしれない。エビ天の衣は寿司ご飯といい感じに混じり合い柔らかく、キュウリはシャキシャキで歯ごたえにアクセントをもたらしている。何か甘いソースがかかっていたが、これもご飯によく合う。

 日本食の寿司かと言われると即答できないが、これはこれで美味しい、と佐々木は思った。

 次に、ボルケーノロールをいただく。

 よく見ると、山は天かす以外にも色々なもので作られている。人参やキャベツ、エビ、だろうか。火山が噴火したような雰囲気を出そうとしているのだと思われる。山の一部分をフォークとスプーンで取り分けて、自分の皿に置く。こちらは醤油をつけなくても良さそうな雰囲気だったので、そのまま食べている。

 甘い。

 甘いが、美味しい。寿司じゃなくてSushiスシという感じだ。スシご飯つき野菜サラダと思えば良いのかもしれない。 

 


 その後、アメリカンスシのほかにも普通っぽい巻き寿司なども食べた。味付けは濃かったり甘かったりしたが、どれも料理として美味しかった。

 デザートには四人とも抹茶アイスを頼んだ。

 瀬田は相変わらず美味しそうにアイスを食べていた。



 クリスとサラと別れ、ホテルへの帰り道。

 佐々木は瀬田とホテルが同じだったので、一緒に歩いて向かっていた。ボストンは治安が悪そうな感じがしないので、わざわざ地下鉄に乗らずに歩いてみたのだった。

 道には明かりがあり、人通りも結構多かった。

 佐々木は、ずっと英会話だったので、かなり精神的に疲労していた。

 瀬田は元気に歩いている。

「美味しかったねー」

「そうですね」

「こうやっていろんなところに行けて、その場所のおいしいものをいろいろ食べられるのって、いいよね」

「そうですね」

「佐々木さんは今日で発表が終わったから、あとは気負いなく国際会議を楽しめるね」

「そうですね」

「私は明日、口頭発表」

「頑張ってください」

「はい」

 寒くもなく、暑くもなく、快適な気候だ。

 ガヤガヤとした都会の喧騒を通り過ぎ、ホテルのロビーに到着。エレベーターに乗り込む。3階でエレベーターが止まり、ドアが開く。

「では、また。佐々木さんおやすみなさい」

 瀬田が手を振りながら言う。

「おやすみなさい」

 エレベーターは閉まり、上へ向かって進み始めた。



(続く)






 

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