第3章 博士課程
第15話 年度始め
4月1日、佐々木は院生室の自分の席に座りながら、開け放してあるドアの方を眺めていた。
午前10時。そろそろ彼が来る時間だ。
3月末。
「4月から、留学生が来るんだけど、佐々木君面倒見られる?」
鵜堂教授に呼ばれた佐々木は、ドアを開けて入るなりいきなりそう言われた。
相変わらず紙が散乱した部屋だった。勧められるまま椅子に座る。
「え、どういうことですか?」
「来年度の4月から、香港からの留学生が来ることになったんだ。佐々木君と同じ博士課程1年。彼、日本語は全然できないから、いろいろ案内してもらえる?」
「あ、は、はい」
佐々木はとりあえず頷いた。日本語ができないということは、英語を使うのだろうか。
「じゃあ、4月1日の朝の10時に来るから、よろしくね」
「わ、わかりました」
「じゃあ、その日、院生室の設備の案内と、学食や購買部や書籍部を案内してね」
「は、はい」
佐々木は頷きつつ、鵜堂の部屋を後にした。
博士課程1年の学生は、佐々木も含めて4人になる。ちょっと多すぎる。さすが『放置系』研究室と言われているだけある。
佐々木は首を横に振り、額に手を当てた。
佐々木は、英会話がほとんどできない。4月まであと一週間しかない。
10時5分。ドアには誰も現れない。佐々木は視線をモニターに移し、作業の続きを始めた。佐々木の目の前には、二つの書類のファイルがある。修士論文の成果をまとめた英語論文と、学振特別研究員への応募書類だ。コーヒーを飲みながら、モニターを眺める。
佐々木は、一応難関国立大学のT大学に入学できているので、英語の読み書きはよくできた。英語論文の執筆は、瀬田と相談しながらできるので、英語である事自体大丈夫だった。修士論文ですでに日本語で書いた事のある内容なので、淡々と書き続ければいいだけだ。コーヒーを飲み続ければなんとかなりそうだった。
しかし、英会話は全然だった。海外には一度も行ったことがない。
もう一つの書類、『学振特別研究員への応募書類』は、出して通れば総額500万円近くを国からもらえる書類だ。
学振特別研究員とは、月20万円の生活費に加えて年間100万円近い研究費が国から支給される制度。貸与ではなく、支給される。博士課程での研究計画をA4数枚でまとめて『学振』に応募すると、その研究計画が大学や国の研究所の研究者から選ばれた審査員によって審査される。そして無事審査に通ると、次の年度から支給される。支給された研究費は自分の裁量で使えるので、理論系であれば、好きなコンピュータを買うことができ、好きな研究会に参加することができるようになる。近年の審査通過率は3割ほど。
佐々木は修士課程2年の頃からグローバル卓越大学院制度で月22万円の給与をもらっているため、基本的には不要だ。実際、修士課程2年の5月が締め切りの学振特別研究員には、研究室を移籍したばかりだったので応募しなかった。しかし、グローバル卓越大学院制度では制度参加者の学振の応募を奨励しており、学振に通った際の差額の2万円分は給与として支給してくれるらしい。
これは日本語で書く。しかし、まだテーマも決まっていないのに、研究の目的と予想される研究成果とそのインパクトなどを書かなければならないので、コーヒーをたくさん飲めばなんとかなるという問題ではなかった。
留学生が来たら、英語で議論したりしなければならないのだろうか。セミナーは英語になるのだろうか。
10時10分。まだ留学生は来ない。空になったコーヒーカップを持って立ち上がり、部屋の隅のコーヒーメーカーからおかわりを注ぐ。その場で少し飲んだ後、また席に戻る。
佐々木は、英語論文は5月上旬の学振応募締め切りまでに論文誌に投稿しておきたいと考えている。そうすれば、研究計画の準備段階がちゃんと進んでおり、研究が遂行できる環境であることを示せるからだ。
日本のほぼすべてのアカデミック研究者、大学の教員達や国立研究所の研究者達は、数年間分の研究計画を書いて、それを国の制度に応募し、研究資金を得ている。いわゆる、競争的研究資金、というものだ。応募して外れた場合、何も買えなくなる。大分昔は、年間の予算として、競争しなくても得られる研究費があったが、今ではその額はほぼゼロだ。大学によっては年間一人の教授につき数千円だとか、国の研究所の研究員の場合ゼロだとか。国の研究所によっては、競争的研究資金がないと、隣の県での研究会参加のための電車賃すら自腹になってしまう。
猪俣研が解散したのも、この、競争的研究資金を指定の額集められなかったからだ。
10時15分。まだ来ない。本当に今日の10時の約束だったのだろうか、と佐々木は不安になった。過去の鵜堂からのメールをチェックする。確かに今日の10時だ。いちいち時間を気にしているのがバカらしくなったので、佐々木は学振応募のための研究計画について考え始めた。
学振に応募し、審査を通り抜け採用される、ということは、競争的研究資金を取ってこられる能力がある程度あることの証明になっている。今の日本では、研究能力そのものよりも研究計画をうまく書いてお金を取ってくる能力の方が重要視されている。研究者が得た競争的研究資金には、間接経費というものが付属している。1000万円の研究費を手に入れた場合、1000万円のほかに300万円がその研究者の所属する研究機関に配分される。その300万円の使途はかなり自由で、建物の電気代や家賃にも使用することができる。そのため、年々予算が厳しくなっていく研究機関にとっても、競争的研究資金を得られる研究者は必要だった。
佐々木は、白紙の申請書の前で、悩んでいる。修士論文の続きを発展させるか、それとも、もっと別の革新的なことをするか。
あの修士論文審査会は無事終了して、博士課程進学の許可も得られた。2月は審査員に指摘された点を修士論文に反映させ、最終提出。3月は英語論文の執筆を開始。3月末には鹿児島で春の物理学会があり、今回も発表に間に合わなかった佐々木は参加のみだった。TH大の例の理論に関しては新しい話はなかった。修士論文を書き終えたことで研究とは何かがなんとなくわかった佐々木は、春の物理学会で様々な実験や理論の講演を聞くことで、面白そうなネタをいくつか仕入れることができた。
博士課程の3年間で、どんなことをやるか。
A4数枚の白紙の申請書を埋めることで、3割の確率で佐々木に国から500万円近い金が投資される。一時期ネット上で流行った『黙って俺に投資しろ!』という気分であったが、白紙の申請書を埋めて、投資するに価する人間であることを示さなければならない。
英語で議論するのは、研究者になるつもりなら避けては通れないのはわかっている。ほとんど英語が喋れなくても問題がないのは、ノーベル賞受賞レベルの天才ぐらいだ。
白紙の申請書を埋めようと考えていても、この後来る留学生との英会話が気になってしまう。
「コンニチハー」
10時30分。来た。
開け放されている院生室の入り口から顔を出したのは、紺色のシャツにジーパンに大きなリュックを背負った人物だった。コンニチハが片言だったので、香港からの留学生で間違いない。
「おはようございます。あなたがジョンさん?」
佐々木は英語で話しかけた。このくらいなら話せる。
「はい。ジョンです。遅くなってすいません。ちょっと迷ってしまって」
「僕は佐々木です。鵜堂教授から聞いていると思いますが、ジョンさんの研究環境のセットアップを頼まれています。とりあえず、こちらへどうぞ」
佐々木が手招きすると、ジョンはにこやかな顔をしながら部屋に入ってきた。佐々木がいる院生室には、今、他の誰もいない。新年度が始まって院生室の人の移動があった。今年度、佐々木の部屋は四人。佐々木、新D2の内海、新D1の近藤、そして留学生で新D1のジョン。
「コーヒーは飲みますか?」
「はい」
「こちらにコーヒーメーカーがありますので、適当に飲んでもらって構いません。時々コーヒー豆を買いに行くので、その時に飲んでいる全員で等分します。コーヒーメーカーは二つありますが、こっちの小さめの方は内海さんのものなので、使わないようにしてください」
佐々木は汗をかきながら英語で話した。論文とか専門書などばかりで英語に触れているせいか、佐々木の英語は妙に硬く、無駄に丁寧な言葉遣いだ。それは今まで一度も英語圏に行ったことがないからなのかもしれない。佐々木自身はもう少し砕けた話し方をしたいが、スラングの類は使いどきがわからず失敗しそうだったので、この話し方で今の所はしょうがないと思っている。
今の所、彼に英語は通じている、気がする。
佐々木とジョンは部屋の奥へ移動する。そこにはPCのモニタ以外何も置かれていないデスクと、空の本棚がある。
「すいません、英語版キーボードを見つけられなかったので、日本語用で配列が違います。もし不便であれば買って良い、と鵜堂教授は言っていました。OSは、英語版のリナックスを入れていますが、それでよかったですか?」
「はい。自分で適当に入れ直してもいいです?」
「はい。好きな環境にカスタマイズして問題ないです」
「わかりました」
「では、次はこのHキャンパスのレストランと、ショップと、本屋を案内します」
「ありがとう」
留学生のジョンと一緒に学食へ向かう。学食はいくつかあるが、とりあえず研究室から一番近い学食へ向かう。
「そういえば、ジョンさんって、なぜジョンという名前なのですか? お父さんかお母さんがイギリス人なのですか?」
歩きながら佐々木はジョンに聞いてみる。ジョンは軽く笑う。
「いえ、そうじゃないです。香港では自分の漢字の名前の他に、英語名をつけます。私の場合は小学校の頃につけました」
「じゃあ、英語名ではない名前は何て言うのですか?」
「Quan Jiahaoです」
「え?」
「Quan Jiahaoです」
佐々木には聞き取れなかった。中国語の発音はとても難しい。
学食は、T大で最も有名な時計台の地下にある。佐々木達の過ごしている研究室は時計台の裏側なので、時計台の裏の入り口から入った。黄土色の石造りの壁を進むと、両側には食券の券売機、そして、今日のメニューの食品サンプルを並べたガラスケースが見えてくる。ガラスケースや券売機のある場所だけ少し高くなっており、食堂のたくさんの長テーブルを一望できる。
まだ昼の時間ではないので、混雑はしていない。まばらにいる人たちが食べているのは、遅めの朝食だろう。
「ここがレストランです。このレストラン、
「はい」
「他にも、別のレストラン、
「なるほど」
「では、次はショップに行きましょう。そこではお弁当やお菓子、その他文房具なども買うことができます」
「いいですね。日本の文房具、特にペンと鉛筆は書きやすくて良いです」
その後、佐々木とジョンは購買部、コンビニ、書籍部、と回った。その後、物理学科の図書室に行き入館証を発行。教務課に回ってT大のメールアドレスを利用するための手続きについて聞いた。T大は留学生の受け入れが多いために手続きに必要な書類の多くは英語化されているが、一部の細かな部分や古くからある書類は日本語のみしかないことがある。そのため、鵜堂は佐々木にジョンの世話を頼んだのだ。
今日できることを全て終えると、すでに正午を過ぎていた。佐々木は院生室に戻ってきた。ジョンは鵜堂のところに顔を出すらしい。院生室は淹れたてのコーヒーの香りが充満している。同室の内海が自分のコーヒーメーカーからコーヒーをカップに注いでいるところだった。
「佐々木くん、お疲れ様。結構大変だったんじゃない」
「はい。英語で話すの、精神力を使います...」
そう言いながら佐々木は自分の席へ戻る。キーボードでパスワードを打ち込み、デスクトップPCのスリープ状態を解除した。画面には真っ白な学振の書類が現れる。内海はコーヒーカップを持って佐々木のそばへやってくる。
「6月のアメリカでの国際会議、ポスター発表するんだよね。初海外?」
「はい」
「ジョン相手にたくさん練習するしかないね」
「はい。頑張ります」
佐々木はその日、英会話で力尽きてしまい、白紙の申請書を埋めることができなかった。
(続く)
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