第24話 後輩くんはどこか誇らしげに仕事をしていました。
愛長医科大学病院看護師として久しぶりに復帰した白夜は、走り慣れた道でアクセルを全開にできる爽快感に張り切っていた。自分の思うがままに行動するだけで、物事がうまくいき、周囲の人には感謝される。邸内のような、どこに力を入れればいいのかわからない仕事とは違う。特に小児科では、痛い注射とか、苦しい鼻からの検査なんかを子供におとなしく乗り切らせるのが大変だ。励ます時間も不要なほどあっけなく終わらせてくれる白夜は救世主と呼ばれた。
ここでは、かけた労力にきっちり比例した成果が返ってくる。なんてわかりやすい世界なんだろう。
(たまには、いいよなー)
このまますべてを忘れて本能に従っていたら、いつの間にか定年を迎えそうだ。
売店に昼飯を買いに行こうとして、廊下の自動販売機の前でばったりと南に出くわした。
「南じゃん!」
「あーっ! 白夜さんっ!?」
声変わり前の少年のような声が上がり、白夜の頭半分下で、花のような笑顔がひょこっと揺れる。
「元気だった?」
「はい! 白夜さんの方も、お元気そうですね」
懐かしい顔に、自然と自分にも笑みが漏れる。
「そうだなー」
自分は元気だ。だが……
「でも、伊桜さ……担当患者さんが、具合悪くなっちゃってさ」
「あらら……それでここへ?」
「ああ。ちょっとの間だけ、小児科で手伝ってるよ」
「そうなんですか」
「南の休憩時間はいつまで?」
立ち話もなんだし、売店で弁当買って南とここで昼食を取るのもありだなと思って訊ねる。少し肌寒いが、医療従事者の休憩室は各科にしかないのだ。しかし、南は困ったように小さくうなる。
「うー。それが、最新の放射線医療機器の導入が急遽決まったとかで、若槻先生がどうしても紙カルテ出しの代行してくれる人を探していて」
面倒な頼まれごとをこなしている真っ最中のようだ。カルテ出し。
「若槻先生は慎重で丁寧な分、準備が毎回大変だよな」
若槻先生の診察は、待ち時間は長いが丁寧で心を優しく労わるようなやり方だ。患者からの信頼も厚い。
「はい。針間先生には、旧式の紙カルテなんてわざわざ出してやる必要ない、どうせ若槻の自己満足だーなんて言われましたけど……ぼく最近針間先生にずっとついていますから」
最先端医療を目指す愛長医大病院も、電子カルテ化する以前は紙カルテだった。紙カルテは今は一纏めに、地下カルテ室に保管されている。ほとんど使わないそれは、今は持ち出しには手続きと、それから、膨大な量の中から一冊を探す手間が必要だ。本来は医療事務員の仕事だが、若槻ドクターは予約患者全員分の旧カルテを要求するので、委託業務外にあたると言って断られる。そこで、病院に直接雇われている看護師が代行するのだ。
「すっごい額の寄付金が入って、張り切っちゃって。若槻先生」
「寄付金ね……」
そういう金持ちの世界が本当に存在していることも白夜は最近知ってしまった。
「今日は針間先生が病棟勤務なので僕も病棟なんですけどね~。小西さんや田中さんの病状が悪くなったら抗不安薬を飲ませなくちゃいけなくて……ちょっと忙しいんだけどな」
「ってか、さっきから気になってたけど、まさかおまえ、ずっと針間先生に付かされているのか? 医師の担当看護師は交替制じゃないのか!?」
「南みたいなポンコツを扱えるのは俺だけだ、とか言って、僕は針間先生固定になっちゃいました……」
なんだってー!? 針間先生こそ南を扱えていないんじゃないのか……? と言いたくなったものの、たしかに針間先生はだらだら診察したりしない分、南が多少もたついてもなんとかなるのかもしれない。
「にしても、服薬指示は医者の仕事だろ!」
針間先生のことだ、グレーゾーンなら問答無用で任せるだろうが……。
「……南にもできるだろ、って言われたから」
そう言う声は小さかったが――はっきりと、誇らしげに聞こえた。なんだか針間先生についていることをアピールしてくるなと感じていたが、ふと合点がいった。針間先生が仕事を任せるのは、そう、立場も役も関係ない。できるとみた相手にだけだ。
「よし。じゃあその若槻先生の方、俺でいいなら行ってこようか」
「ええっ! そんな、悪いですぅ~!」
「いいんだよ」南を行かせてやりたいと思った。「ほら、一覧みせて?」
「は、はい~。ありがとうございます……」
白夜は南に差し出されたリストに目を通す。ん?
「あれ? なんか……若槻先生にしては……」
「予約が多いですよね」
「そうだな」
若槻先生の予約患者一覧が、二枚にもわたっている。
「ん? なんかしかも、見覚えがある患者ばっかりだぞ」
新患者が増加しているわけではないらしい。
「はい。もとは針間先生の患者さんだった人ばっかりです……。逆に針間先生は、固定の予約患者さんが少なくなって、前よりはヒマなんです」
「ヒマ? 患者が離れていったのか?」
「はい、というか、その、うー……」
むしろこれだけ若槻先生に針間先生の患者が移ったのなら、針間先生には自分がいなくても、南だけでなんとかなっているのかもしれない。
「最近、若槻先生が積極的に助けてくれるんです」
「若槻先生が?」
針間先生と仲が悪い、あの若槻先生が?
「はい。患者さんも安心してくれて、それは僕もありがたいんですが、でも……それで、その後みんな、若槻先生の患者になっちゃうんです」
「なんでまたそんなことを……? これじゃ若槻先生は回らなくてパンクするだろ」
「はい……実際、結局針間先生に回されています……」
「なんだそれ。意味ないじゃないか」
若槻先生は親切だが、時間をかけすぎる。長時間待たせた患者の怒りの矛先が看護師や受付に向けられるのはよくあることだった。そういう時はさすがに代行を買って出てくれる針間先生の存在に助けられる。今の時点でも手が回っていないのに、若槻先生はどうしてそんな手出しをするんだろうか。
「最近、助教授へと推薦されたのも若槻先生です」
「出世か?」
「そうみたいです。若槻先生は教授にも気に入られていますし、今回の高額寄付金が決まったのも、若槻先生が築いた信頼によるものだと評価されて。――数をたくさん診ているのは、圧倒的に針間先生なんですけどね」
そう言って南は、複雑そうに口を閉じた。
「おまえもいろいろ大変だな」
「いえ、そんなことは……」
「しかし針間先生に毎日ついているとなると、お前の精神面が心配だよ」
そう言って白夜は、南の右腕に視線を向ける。
「大丈夫ですよ」
「本当に?」
「はい」
虫も殺せないような優しい笑顔だが、その白い右腕には深い傷跡が刻み込まれている。
「……傷はもう、いいのか?」
白夜の視線に気付いて、左手でそこをさっと隠す南。
「はいっ。ぜんぜんへっちゃらです☆」
「それなら、よかった」
白夜がここを辞めるきっかけになったあの事件。
「ぼく……」
それを思い出しかけた白夜に、南は意外なことを言う。
「こう見えて、ぼく、針間先生に、あ、憧れてる、から……」
「は……本気で言ってるのか?」
南はこくこくと頷く。
「洗脳されたのか……」
「ちっ、ちがいますちがいますっ、ほんとなんです~」
どちらかといえば南なんて、若槻先生に憧れそうなものなのに。
「心優しいばっかりが、医者なのかな? って、思うんです……」
そう言う南のまなざしは、真剣だった。
「針間先生は、良くも悪くも、常に正しい、です」
いつもおどおどしてよく失敗しているが、それでもときどき白夜は南に、医療従事者としての芯を感じることがある。
「だから、この人に、看護師としていつか、この人に、認められたい! って、思えてくるんです。いつか、そう、白夜さんみたいに!」
「……俺?」
急に自分に振られて、ぽかんとなる。
「はい! 喧嘩していても、仕事の上で実力を認め合って、信じて頼り合っているお二人の関係。ぼくは――そんな関係に、本当に、心の底から、憧れていたんですっ! ずっと、ずっと」
そんな風に見られていたとは。
面と向かって、憧れているなんて言われると、……少々照れる。
「ホントかよ」
「はい。この傷に誓って、ほんとうです」
誇らしげに、自分自身の言葉に納得し、満ち足りた表情で、南は胸を張る。
(よせよ)
白夜は、その姿を同じような気持ちで認めてやることなんて到底できなかった。
悔しさと、わからなさと、ほんの少しの迷い。
俺がここを辞めたきっかけは、お前がその傷を負わされたからなのに。
どうしてそんな風に、お前が受け入れるんだよ――。
白夜は無意識に右腕を触る。自分のそこには傷なんてないのに、凍るように痛んだ。
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