第21話 急性期の患者を無事に連れ帰る方法について看護師くんは考えていました。
白夜は研究所を歩き回って、消えた二人を探していた。携帯電話は何度かけても繋がらない。壁に掲示されていた避難経路図を確認すると施設の部屋数はそこまで多くないようで、しらみつぶしに部屋を回ることにした。
頭に入れた地図と現在位置を照らし合わせながら、東、南、西、北と順序立てて回っていたら、ふと想定外の場所に出て混乱した。明らかに地図に載っていない部屋が並んでいる。とうふのような白く奇妙な立方体――真新しいので、後から増設したのだろう。白夜はここまでやってきたことを繰り返すように、パタン、パタンと扉を開けてみた。そのうちの一室に二人はいた。春馬にもたれるように立っている瑠璃仁が、じっと推し量るようにこちらを見つめていた。
「探しましたよ」
白夜はちょっと戸惑いつつ、失礼します、と声をかけて中に入る。さて急性期の境界失調症患者を無事に連れ帰るにはどうすればいいのだったか……と考えながら。
「白夜くん、ちょうどいいところに来たね」
瑠璃仁は真顔のまま、そう声をかけてきた。思ったより感情的ではない。春馬がうまく落ち着かせてくれたようだ。
「白夜くんも、実験に付き合ってくれない?」
「えっ!?」
……だが妄想は継続しているらしい。おそらく穏やかならざる類の頼みをされるのだろうという予感が白夜の胸の内に苦々しく広がる。読みが外れてくれることを願いながら、「どんな……ですか?」と問いかける。
「治験だよ。僕の制作した薬を飲んでほしいんだ」
やっぱりそんな頼みだ。
「本来なら、正式に許可を得てから進めたいんだけど、僕は治験審査員に嫌がらせされていてね。審査員だけじゃない。ここの研究員からもね。世紀の大発見だっていうのに、非協力的でいけないよ。こうなったら、もう、実力行使で認めさせるしかなくなってね。ねえ、僕を信じて、体を預けてくれないかな」
「それは、えーと……」
瑠璃仁の病気の進行は、思ったよりかなり進んでいるのかもしれなかった。危険度も増している。
立場上、どう断ったものか……。白夜は思案する。真正面から、「それは妄想ですので一旦実験を中断して、治療に専念なさってはどうですか」と言うべきなのだろうか。しかし、言い方によっては拒絶されてしまうかもしれない。信用をなくし、敵とみなされ、もう近づくなと言われるかもしれない。そうなると今後看護が非常にやりにくくなってしまう。そもそも、瑠璃仁の主治医の若槻医師からも、本人のやりたいことは止めないよう言われてもいるし……。
「うーん……僕は……」
難しさを感じながら歯切れ悪く言い淀んでいると、春馬が瑠璃仁を温かく抱きとめながら言った。
「僕は構いませんよ。瑠璃仁さん。治験は僕が受けます」
白夜は思わず、「春馬さん!?」と声を上げてしまった。でも春馬は首肯した。「いいんです」
「ありがとう春馬。……じゃあ白夜くんはやめとくんだね」
「す、すみませんが……」
「うん。いいよ」
意外にも、瑠璃仁はあっさりと引き下がってくれる。激昂も、落胆もない。終始真顔のまま、変化がなく、感情が読み取れなかった。春馬が受けると言ってくれたからだろうか。と一瞬思ったが、
「それじゃ、先に邸に帰っていてくれる?」
そもそも、発狂した瑠璃仁が最初から呼んでいたのは春馬の名前だ。白夜の名前など一度も叫んでいなかった。今だって一応、白夜にも声をかけただけで、瑠璃仁は初めから、白夜には特に何も期待していなかったのだ。白夜は今更ながらそう思い至った。
「……はい」
距離が開いている。また開いていく。
――でも、仕方がないじゃないか。
知らない顔して、春馬みたいに実験に付き合うという方が無茶だ。自分は瑠璃仁の言動が病気によるものだと知っている。でもそれなら、春馬にだけはきちんと伝えなくてはならない。瑠璃仁が病気で妄想をもちやすい状況下にいることを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます