第11話 出発地点は何人か

 獄舎、檻、饐えた臭いの地下室、なんでも良い。それが希望への出発点となるのなら本当になんでも良いし、現実より美しい場所として未来いくらでも思い出せるはずだった。

 しかしクオラは、今となっては何の無機質な意味すら持たない檻としてしか認識していなかった。マービンと二人で自由に生きていける世界を夢見て、もっと嬉しい気持ちでここに居たかったのだけれど、思った以上に自分の心は複雑に悩みを持っていた。


「なんだ、食べていないじゃないか」


 錠のない檻を開けてマービンが入ってきた。彼の定位置も、研究室と居室から離れたこの檻の中である。急拵えの箱机に置かれた食事をクオラに差し出すが、彼女はぷいと顔を背けた。


「腹が減らないかこれが嫌いなら構わないさ。もっとも、それ以外なら心配するんだが」

「・・・イワシの缶詰なら食べたかも」


 マービンは苦笑すると自分でソーセージを口にした。オイルサーディンにこだわる理由はとうに判っている。


「クオラは行けばいいんだよ、俺に気兼ねすることはないんだ。お前なら今からでも、警備をかいくぐって鼻で奴らを探せる。同意書だってサインしたからお前は約束を果たしたことになる。俺が勝手に消えただけさ」

「でもいやだ。マービンが一緒じゃないなら私もここにいる」


 それは変わらなかった。彼と共にいることは一番最後まで守らなければならない。かといって、国予の三人と一緒だったらもっとよかったかもしれない。

 マービンが決意を翻したのは脱出直前だった。同意書にサインをして身支度も済ませた後、国予とは行かないと言い出した。


「よく考えてみろ、国予が俺を許しておくもんかね。自分から進んでイスベルタの資金源を作っていたんだ。研究なんかできやしない、終身刑が関の山だ」


 ならイスベルタに留まるのかと聞くと、そうでもないと言う。


「俺は俺の思う通りに出る。国予が来るんじゃどうせここには居られないし」


 マービンには自分自身の手で脱出する方法を持っているようだった。それなら彼と運命を共にしたい。


「俺はクオラから友達を奪っちゃったんだな」


 咥え煙草の唇からゆっくり煙を吐いた。クオラは否定もしない曖昧な答えでマービンの身を案じた。


「マービンが研究できなくなるよりはいいよ。私は確かに国予の言葉を信じすぎてた」

「俺の道楽に人生巻き込むことはない。俺と居りゃどちらからも狙われるんだ。国予ともイスベルタとも関係ない生活を、一人なら掴めるだろう」

「なんでそんなこと言うの?まるで私といたくないみたい」


 不貞腐れたような物言いは珍しかった。この期に及んで新しい表情を発見するマービンは、これも猫化の実験がもたらしたものであろうかと考えかけた。研究ノートに伸びかける手は寸でのところで止められる。「この探求心がいけなかったのに」言葉はクオラに聴こえなかった。


「そりゃクオラといることは好きさ。お前は俺に人生の形をくれたんだ。でも、もっと違う形で出会いたかったと思ってるよ」

「私はこれでよかった。こうじゃなきゃ、私は一番好きなこの姿を手にれられなかったもの」


 腕を引き寄せすりすりと鼻を擦り付けてくる。これもまた猫の仕草。

 マービンだって猫が混じるクオラが好きだ。それでも、研究した結果じゃなくて、もし研究の外にいたクオラがこうしてくれていたらどんなに良かっただろう。もう何もかも遅い。消える準備は着々と進んでいる。振出しの一歩は既に始まっていた。


 二歩目の音が聴こえた。雷鳴のような爆音が轟き、直後頭上の天井が割れた。


「がっはっ!」


 夜会姿の男女三人が埃だらけの唾を吐いた。彼らは吐いた唾が床に届くと共に目的を達していた。


「どっちも動いてみろタンカス!ドタマブチ抜いてやる!」


 マービンもクオラも抑えつけられ後頭部に銃口を突き付けている。抵抗する暇なく立たせられ、対面する二人は置かれている状況を理解した。

 クオラは「友達」二人の息遣いを間近で感じていた。嗅覚感知は少し遅れてシャーリー・クエイとチャル・ペックを判別する。「友達」のもう一人はジェフ・マックィーン。嗅覚なんか使わなくても最前の罵声でよく判った。彼はマービンの首を背後から締め上げる形で、吊り上がった目を血走らせていた。マービンに向けられる拳銃は引鉄に指が掛けられている。

 クオラの頭は素早く回転した。自らの米神にも銃口が当てられていることも忘れて叫んだ。なぜここがバレたのか?と一片の疑問を持つ猶予もなかった。


「ごめんなさい!ちゃんという通りにしなかったのは謝るから!マービンに酷いことしないで!」

「アホんダラ、もう遅いわ。さんざ舐めたマネしやがって、こっちの予定狂わされてイライラしてんだ。なあオイコラ!」


 押し付けたままの銃をガタガタ揺さぶる。クオラは暴れて二人の腕から抜け出そうとするが今度こそチャルはがっしり身体を掴んでいる。顔に似合わず温厚な性格は最早微塵も感じられなかった。


「動くなクオラ。頼む国予さん、クオラからは銃を離してやってくれないか」


 マービンは誰もが想像していたより落ち着いている。冷静ぶった彼の態度にジェフは苛立ち銃口で小突いた。


「やかましい、クオラもテメーも頭スッ飛ばしてやる。この野郎俺たちが来ること知っててコロシの算段立てたな。爆破騒ぎのおかげでポン中のカス共が泡喰ってウロウロしてやがる」

「マービン、あなた私たちが死なないことに賭けてあんな罠張ったわね。あんな爆弾すぐ気づくもの。爆破に気づいたら警備がテロリストを探し始める、私たちは捕まるわけにはいかないから抵抗して戦闘になる。その隙に乗じて逃げようとしたんじゃない?混乱の中ならクオラをつかってイスベルタや私たちを殺しても気づかれにくいんだし」


 観念したかのように見えるマービンは黙って頷く。「もっと高級なトリックは無えんか!?」さして難しくも無い仕掛けに取り込まれかけていたことを知って、ジェフはグリップでマービンを殴った。


「もう結構だ、お前ら射殺しても構わんって命令が出てるんだ。連合で飼殺しになるか、ここで死ぬかとっとと選べ」

「クオラの身柄は保証されるのか」

「知らねえって言いてえとこだがクオラはイスベルタに洗脳されてたって筋書があるからな。情操教育受けさせられるだけじゃんか?もっとも、には責任取ってもらわなきゃなんねえ」

「こんな非協力的な行為まで無かったことにするほど、私たちお人好しじゃないわ」

「そんな・・・ダメだよ,マービンがまた研究できるようにならなきゃ嫌だよ!」

「もうそれどころじゃねえんだ。死ぬか生きるか二つに一つだ。もっとも死ぬってんなら、後腐れなく二人纏めて殺ってやる」


 激昂するジェフは撃鉄を起こした。「バカな真似は止せ」相変わらずマービンは動じない。


「貴様の態度、非常に腹が立つぜ」


 吐き捨てると引鉄に掛かる指へ力を入れ始めた。


「せっかく」


 クオラの言葉は冷たかった。ショックと混乱の最中一気に沈み込んだ心が、声の抑揚をつけさせなかった。


「せっかく、外の友達ができると思ったのに」


 またしても珍しい態度と言葉。気まぐれな猫は、気まぐれなままにはどちらへの立場に帰しなかった。クオラは抵抗しようとはしない。けれどもマービンに研究を止めることも促さなかった。両方とも捨てて、後のことなぞ考えずただ諦めていた。

 カタンと撃鉄が落ちる。しかし銃声は無く、ジェフがデコッキングレバーで安全に撃鉄が戻された銃を降ろした。


「クソ研究続けてえんなら多少は口添えしてやる。そう言わなきゃ貴様ら二人とも来ねんだろ。でも臭い飯何年か食え」


 実に苦い顔はそのままだった。


「チャル、クオラは放してマービンを手助けしろ。どうもこいつが一番運動神経鈍そうだ」

「うん」


 マービンは突き飛ばされるとチャルに受け止められ、代わってクオラは自由になる。三人を攻撃することもできたはずだったが、まずはマービンの首に抱き着いた。


「油売りすぎたわ。ジェフキレ過ぎよ」

「きびしく躾けな言うこと聞かん」

「でも怖いこと言い過ぎだよ」

「言いたいことは言った、もういいよ」


 ジェフは他人事みたいに言って、未だ怯える猫の目を厳しく見つめた。


「猫殺しに価値なんざあるもんか。友達なら友達が生きてることを喜べ」

「その友達が友達を殺さずに済ますことを嬉しく思ってることも付け加えておくわ」


 殺されないというだけでは単純に喜べなかった。しかしマービンが今死なないと判ると、たとえ彼がこれまで通りの研究をすぐには再開できなくとも、「友達」と一緒に脱出できる当初の希望はありありと蘇った。

 シャーリーの言葉をそのまま受け取ると、クオラは頬に小さく熱を帯びた。

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SHOT・SHOT 森戸喜七 @omega230

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