第五十五楽曲 第三節

 2月に入り、ダイヤモンドハーレムのメンバーと大和、響輝、泰雅、杏里の総勢8人は大和のハイエースに全員が乗り込み、内陸部の県にある病院跡地にやって来た。


 周囲は薄っすら雪が残っており、ハイエースもスタッドレスタイヤに衣装替えだ。数時間に及ぶ道中、車内はエアコンの風で温かかったが、外に出れば凍てつくほど寒い。皆一様に防寒着の隙間を締めた。

 ゲレンデも近いこの場所は高速道路や途中の国道までは交通量もそれなりにあった。近くに温泉施設もあるので、行楽目的の他県ナンバーが目立った。それでも1本脇道に逸れてからは、車のすれ違いもやっとの山道を延々と走った。


「ここだ」


 山頂下の駐車場に到着してから10分ほど歩いて坂を上る。すると古く寂れた鉄筋コンクリート造の建物が顔を出した。それを見上げて泰雅が目的の場所への到着を示す。


 1階の外壁には蔦も這っている白く無機質な建物は4階建てだ。1階から4階までどの窓にも頑丈な鉄格子がはめ込まれている。入り口は大きな鋼製の両開きの扉で、その存在感に物々しさを覚える。

 一行は敷地外の門扉の前で2列に並んで建物を見ていた。中まで入る予定はない。ただそれこそホラー映画の世界のようにも感じる、この異様な雰囲気を醸し出す場所に来ることに意義がある。


「ここに鷹哉はいるのか?」


 病院を改装されてできたこの建物を呆然と見たまま、大和は隣の泰雅に問い掛けた。泰雅は「あぁ」と答えてから説明をする。


「クラソニの事件後、鷹哉は大学も退学になって、実家に引き籠った。鷹哉の父親は大手企業の重役で、母親は公立中学校の教師だったが、どちらも職を追われた。しかし幸い株や不動産などの資産はあったから、それを処分して現金には余裕があった」


 鷹哉が裕福な家庭の倅であることは元クラウディソニックの関係者なら誰もが知るところだ。泰雅のこの説明は前置きであり、また、この場に同行したダイヤモンドハーレムへの説明みたいなものだ。


「俺が調べたところによると、鷹哉は引き籠ってからも覚せい剤の依存症から抜け出せなかった。その後の所持や使用は歴がないと聞いているが、夜な夜な奇声を上げたり、近所を徘徊していたらしい」


 なんとも惨めな末路だとこの場の誰もが泰雅の言葉に耳を集中させた。到着当初こそ怯えた様子を見せていた杏里も、今では響輝の手をしっかり握り、真剣な表情で建物を見ながら泰雅の話を聞いている。


「その頃だな。鷹哉の両親が仕事を辞めて資産を売りに出し始めたのは。それで鷹哉に24時間付きっ切りになって監視を始めた」


 これが重度の覚せい剤依存者の現実かとダイヤモンドハーレムのメンバーは唇を噛む。希は無念が滲み出る自分の師匠の表情に真剣な眼差しを向け、怖がりの唯さえも目を逸らさずしっかり聞いていた。そしてクラウディソニックのファンであった古都と美和は、悔しさや憤りなどの感情を押し殺すような複雑な表情を見せた。


「けど鷹哉の行動は両親2人がかりでも手に余った。それで鷹哉の両親は我が子をここに入所させたんだ」

「つまり、ここって……?」


 大和が恐る恐る先を促した。泰雅は1つ息を吐いてから続けた。


「薬物依存患者の厚生施設だ」

「やっぱりそうだったんだ……」

「けどな、実態は更生を目的になんてできてない」

「どういうこと?」

「覚せい剤で言う厚生は社会復帰に向けて依存症を少しでも軽減することが目的だ。依存症はゼロにはならないらしいから、あくまで軽減だ。しかしこの施設の実態は更生が見込めない患者を閉じ込めるための施設だ」


 心臓が跳ねた。つまり依存症の軽減さえも見込めない。それを理解してこの場の全員に緊張が走った。


「この施設は1階が職員の常駐する階で、患者は2階から4階にいるらしい。上の階ほど症状が重い患者らしく、鷹哉の場合は2階だからこの施設の中ではまだマシだと言える」

「けど……」


 すると古都が口を挟んだ。泰雅は真剣でいて穏やかな表情で古都を見据える。


「何階であろうとここにいること自体が既に社会から弾かれてるし、戻れる期待も薄い……?」

「そういうことだ。ここは外部の人間は入れないから俺たちもここまでだし、何より中の患者を外に出さないように強固なセキュリティーでできてる。つまり人間社会に出してはならないと判断された人間が集められている、言わば監獄だ」


 一行は皆かつての仲間が、かつてファンだったバンドのメンバーがここに収監されていることに、何とも言えない気持ちになる。


 当時の事件の裁判では鷹哉も怜音も執行猶予付きの判決であった。重度の鷹哉は追犯罪をせず懲役ではなく、監獄とも言える場所に入れられている。片や鷹哉より重度とは言えなかった怜音は、後遺症による事件を起こして服役中だ。

 どちらがいいも悪いもない。ただ言えることはこれが覚せい剤の恐ろしさであり、本人も周囲の人間にも、つまり世の誰にも幸福は与えない。現実は周囲にまで派生する不幸だ。この場の一行は誰もがそう感じた。


 そして泰雅が言う。


「ドラッグ撲滅フェスの収益はここにも送られてる。そして芸能界の薬物蔓延は社会問題にもなってる。だからこれから……って言うか、既に芸能界に足を踏み入れてるダイヤモンドハーレムはそれを理解して、この現実を目に焼き付けてほしい」


 その泰雅の懺悔を含む気持ちにダイヤモンドハーレムのメンバーは真剣な顔で頷いた。


 不祥事はファンを裏切ることにもなる。クラウディソニックのファンだった古都と美和がそれをよくわかっている。そして今まで応援してくれたゴッドロックカフェの常連客や備糸高校の生徒の期待を台無しにする。メンバー一同それを胸に刻む。

 但し、大和がゲス交際をしていることは、バンドであり女優やアイドルではないから許されると、自分本位の解釈をメンバーはしている。確かに武村はそういう理由で強制的に別れさせることをしなかったが、引き続きトップシークレットである。


 そして希が言う。


「わかった、師匠。師匠の思いはしかと受け止めた」

「頼むな」

「任せて」


 ここで泰雅に初めて笑みが零れた。笑うことが少ない泰雅の弱くて消え入りそうな笑顔だが、希はそれを見逃さなかった。そして希も笑みを返すので泰雅は少しだけ報われた気持ちになった。巻き込まれた形とは言え、泰雅の懺悔の気持ちはそれほど強く、やっと少しずつ前に進めると自信になったのだ。


「さ、温泉入って帰ろうか?」


 ここで気持ちを入れ替えて言うのは杏里だ。大和と響輝は杏里のことを心配していたが、そんな彼女の様子に安心する。そして続くのは古都である。


「温泉! 行きたい! 行きたい!」

「お! 乗り気じゃん。古都のちっぱいをしっかり拝んでやろう」

「うぅ……、ここでそれ言う? 杏里さん、ひどい……」

「くっくっく」


 この後一行は地元に帰る前に、日帰り温泉施設に立ち寄った。その男子浴場でのこと。凍てつく冬の寒空の下に湯気を上げる露天風呂。そこで大和と響輝と泰雅は肩を並べて浸かった。肩から上を水面上に出して空を見上げた響輝が言う。


「大和、これからダイヤモンドハーレムのこと頼むな」

「え? あ、うん。もちろん」


 響輝からそんな言葉が出ると思っておらず大和は虚を突かれた。


「まぁ、なんだ。俺たちが叶わなかったメジャーデビューをこれから飾るんだ。俺だって微力ながら育てた自負はあるし、俺たちが叶えられなかったメジャーへの期待を勝手にさせろよ」

「ははは。そうだね。うん、しっかり任される」

「俺からも頼むわ」


 すると泰雅も続いた。これにも大和はしっかり首肯して言う。


「うん。任せて」


 響輝は美和のアドバイザーをやってくれた。泰雅は希を育ててくれた。もちろん個人以外にも2人はバンドに多大な貢献をしてくれた。それを理解している大和はしかと2人の気持ちを受け取った。

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