第五十五楽曲 第四節

 2月最後の日。この日は土曜日で、昼間のライブを終えたメンバーはジャパニカン芸能の社員が運転する車でそれぞれ自宅に送ってもらった。杏里の契約社員は年末までだったので、上京までの2カ月はジャパニカン所属の社員が交代で出張って来ている。

 ライブ後はゴッドロックカフェで常連客との交流の案も出たが、2日後の卒業式と、3日後の引っ越しを控えており、この日は真っ直ぐ帰宅した。夕食は自宅で取り、そして夜は荷造りである。


「お姉ちゃん」

「ん? どうしたの? 裕美」


 古都が荷造りをしていると部屋に訪ねて来たのは妹の裕美だ。備糸高校の在校生となる彼女もまた、姉に劣らず美少女である。古都がまだ風呂を済ませていないのに対し、裕美は既にパジャマ姿だ。


「ギターとアンプは段ボールに入れないよね?」

「うん、入れないよ」

「それなら荷造り手伝うから、終わったら私のために引き語りをしてくれないかな?」

「へへん。いいよ」


 思い返せば『STEP UP』ができた時、最初に聴かせたのはこの裕美だ。自分の妹がどこか誇らしくなって古都は快諾した。

 この後裕美は床にちょこんと座り、段ボール箱を組み上げると、床に広げられた荷物を詰め始めた。


「分け方に拘りある?」

「特にないよ。本は本とか、衣類は衣類とか、大まかに分かれてればいい」

「わかった。――ん?」

「どうしたの?」

「これって、毎年私があげてるバレンタインのチョコの包みじゃない?」

「お! 気づいた?」

「なんで取ってあんのよ?」

「なんでって、なんか捨てるのが勿体なくて」


 少しばかり苦笑いを浮かべる古都も床に座って荷造りを進める。その古都の手には小さなアルバムが握られた。


「あ、この写真、私達がまだ小学校にも上がる前のだ」

「ちょっと。脱線しないの」

「はーい」


 妹に咎められて古都はアルバムを閉じた。裕美としては幼少期に懐かしむ気持ちもあるものの、どこか気恥ずかしさを覚えたのだ。


 その頃美和も自宅で荷造りをしていた。そこへ顔を出したのは母親だ。


「本当に行っちゃうのね……」

「あ、お母さん」


 母親は開けられたドア枠に寄りかかって美和を見つめていた。笑顔ではあるが、その表情はどこか寂しそうである。


「遠征の時は帰って来るし、オフがもらえればメンバー皆同じ地元だから一緒に帰って来るよ」

「楽しみにしてるわ。それにしても一気に子供2人いなくなるなんて、今になってとてつもなく寂しくなってきたわ」

「ごめんね」

「ううん。美和の夢だから、応援してる」

「ありがとう。詠二も荷造り進めてる?」

「うん。もうだいぶ終わったみたいよ」

「そっか」


 美和は視線を戻し、荷造りの手を再び動かした。美和の弟の詠二も高校の寮に入るため実家を離れる。中学校の卒業式の後、数日で入寮だ。既に荷造りを始めているので早いものである。


「お母さん、今まで本当にありがとうね」


 美和は気恥ずかしさを覚えて手と目は荷造りに向けたまま言った。それに母親は照れたように答える。


「何よ、改まって」

「お母さんのおかげで私も詠二も学生を続けられるから」

「まったく。あなた達本人の努力の結果だってあるでしょ?」

「それでもやっぱり一番はお母さんのおかげだよ」


 ふふ、と笑って母親は優しい眼差しを美和に向けた。すると美和が続ける。


「詠二も寮生活で手が離れるし、これからはお母さんも自分の時間をたくさん持ってね」

「まぁ、そうしようかな」

「お母さんの幸せも私は応援するから」

「……」


 まさかそんなことまで言われると思っていなかった母親は、込み上げるものを堪えた。穏やかな表情で淡々と荷造りを進める娘を見ながら目頭が熱くなる。


「そうね。そろそろカレシでも作ろうかしら」

「へへ。応援する」

「それにしても美和は浮いた話もないわね?」

「え? あ、うん」

「てっきり正樹君といい感じになるのかと思ってたのに、彼は他にカノジョ作っちゃうし」

「あはは。そんな、こと……思ってた、の? あはは」


 母親を前にするとこういう話には初心な美和である。動揺が隠せないようだ。


 その頃、唯も自宅で荷造りをしていた。それを姉の彩が手伝っている。先ほどまでは父親も手伝っていたが、そろそろ衣類をまとめたかったので追い出した。この姉妹もまた古都と裕美のように和気藹々と作業を進めていた。

 すると部屋にやって来たのは母親である。


「唯」

「お母さん……」


 大和を婚約者に仕立ててからはいつもニコニコ愛想の良かった母親だが、今日はどこかツンとしている。逆に昨夏喧嘩して以来反抗的だった唯の方が、怯んで素直な態度を取ってしまう。彩は横目にそんな唯と母親を感じながら淡々と手を進めるが、唯の方は手が完全に止まった。


「これ、少ないけど」

「え?」


 唐突なことで唯は何を差し出されたのか理解が遅れた。母親が唯に向けているのは白い封筒だが、何が入っているのか唯は首を傾げる。


「向こうでの生活の足しにして」

「え……?」

「悪かったわね。ずっとあなたの軽音楽を応援してあげられなくて。そのためにバイトもしたでしょ? それで成績も落とさなかったんだから大したものだわ」

「お母さん?」

「これは私達のこれからの応援の気持ちよ」


 その言葉に唯は慌てて彩を見る。彩は穏やかな笑顔を浮かべつつも、我関せずと言った感じで荷造りを進めていた。


「達って……?」

「これから色々入用だと思って私が用意したら、彩もお父さんも自分も出すって言ったのよ」


 彩はアルバイト代から、父親は少ない小遣いのヘソクリから出していた。母親は今まで唯の軽音楽に対して、高校入学時に宣言したとおり一切の金銭援助をしてこなかった。大和のことが要因とは言え、その気持ちを改めてからそれが心苦しかったのだ。それでこの度まとめて援助しようとしているのである。

 しかし唯は遠慮する。


「いいよ。事務所からも毎月少しもらってるし、引っ越し代も事務所が出してくれるから。それに契約金で機材も足りたから」

「唯、もらっときな?」


 するとここで口を挟んだのが彩である。唯は彩に視線を移して目をパチクリさせた。それから母親に視線を戻す。すると母親は今まで見たことがないほど優しい表情をしていた。


「お母さん……」

「応援してる。向こうでも元気でね」

「ありがとう」


 唯は目に涙を溜めて、家族からの気持ちをしかと受け取った。


 その頃、希だけは自宅の自室でイラついていた。


「ちょっと! お兄ちゃん! いい加減、私の電子ドラムを畳んできてよ!」

「うおーん! のぞみぃ~」


 いい歳こいた成人の男が大泣きである。無論、勝だ。荷造りも大方進んで、希はそろそろ衣類に着手したい。同居の家族だから洗濯物で目には触れるが、手には触れさせたくないのだ。しかし希の引っ越しが迫るにつれて、日に日に勝は希から目を離そうとしない。


「いやだぁ! 希、東京に行かないでくれ!」

「バカ言わないで! 私達のメジャーデビューを応援してくれないの?」

「する! CD100枚買う!」

「じゃぁ、こんなとこで大泣きして邪魔してないで、荷造りを進めさせて」

「うおーん! じゃぁ、俺も東京に異動願いを出すからぁ」

「バカ言わないで! 高田さんどうするのよ?」

「遠距離恋愛でいい」

「はぁ……」


 カノジョを差し置いて義妹に現を抜かすとはなんて奴だ。希は頭を抱えた。


「もういい歳なんだから高田さんにプロポーズしたら?」

「嫌だ! まだ付き合って1年も経ってないんだぞ! 俺はまだ希と離れたくないんだ!」

「はぁ……」


 勝のこの発言は絶対高田には聞かせられないなと希は強く思う。それこそ勝と高田のキューピット役は自分が率先してやったことだから、こんな発言を聞かれては立つ瀬がない。


「くそぉ! 大和め! 絶対いつかコロす!」

「私のカレシに何てこと言うの! お兄ちゃん嫌い!」

「いやぁぁぁ! 嫌わないで! 冗談だから!」

「じゃぁ、嫌わないから高田さんにプロポーズして」

「わかったよ……」

「……」

「……」

「……え?」

「……ん?」


 何やら妙な会話が成り立った兄妹である。もしかすると勝の吉報も近いのかもしれない。

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