第五十三楽曲 第五節

 それは2日前に遡る。木曜日の昼休みだった。譲二がダイヤモンドハーレムのもとに来た。


「先輩! 覚えました!」


 いかつい風貌の譲二だが、この時ばかりは顔を綻ばせ、実に高校1年生らしい表情を見せる。そして譲二の報告に驚くのはダイヤモンドハーレムのメンバー4人だ。その中で古都が呆気に取られながらも言う。


「ほ、本当に……?」

「はい!」


 ただいかつい風貌に似合ってドスの利いた声があるので、クラスメイトは一様に距離を取っている。メンバー以外で委縮していないのは、ライブで何度も顔を合わせているジミィ君だけだ。


「ちょっと。2曲よ? いい加減な演奏じゃないでしょうね?」

「大丈夫っす! 楽譜スコア見ずにもう完璧に弾けます」


 冷たく言い放つ希にも怯むことなく譲二は満面の笑みで答えた。


 それは昨日の昼休み。ダイヤモンドハーレムを訪ね、肩を落として教室を出た譲二を見送った後だ。まだ午後の授業の開始までに余裕があったので譲二を不憫に思ったメンバーが話し合い、その後、古都と唯が譲二のクラスを訪ねた。


「あ! 裕美!」

「どうしたの? お姉ちゃんがこっちに来るなんて珍しい」

「末広バンドのベースの子、呼んで?」

「あぁ、倉知君ね」


 古都は妹の裕美を発見したので、譲二を呼んでもらった。


「古都先輩、ちゃっす。唯先輩、さっきはどうも」


 するとガタイを揺らして寄って来た譲二がペコリと頭を下げる。途端に古都が唯を前に出した。


「ほら、唯?」

「あ、うん……」


 話をするのは唯のようだ。モジモジしている様子はいつものとおりだが、これもメンバー間で話し合って意見がまとまったこと。その提案者が唯だったから、唯が先頭に立って話すことになった。


「あの、良かったら私たちのサポートで学園祭のステージに立ってもらえないかな?」

「え!?」


 野太い譲二の声が張る。目も見開かれた。言っている意味が今一掴めないが、譲二はそのまま唯の言葉に耳を集中する。


「セットリストは5曲なの。それはもう決めたんだけど、その中にCD音源だとキーボードのパートがある曲が2曲あって。それで私がその2曲だけキーボードを弾くから、その……、えっと……」

「誰だっけ?」


 唯が言葉に詰まったので、古都が彼女の疑問を代弁した。譲二は未だ名前を覚えてもらっていないことを悟って悲しくなるが、今はそんな話ではないので気持ちを強く持つ。


「倉知譲二っす」

「そう、倉知君がその2曲だけサポートに立ってベースを弾いてもらえないかなって……」

「いいんですか?」


 すると唯はコクンと首を縦に振った。

 ライブハウスではいつも4人で演奏しているダイヤモンドハーレムなので、今更ステージでキーボードのパートに拘ることはない。ライブではサポートを立てたこともなければ、キーボードの音を流す時でさえ予め録音された音源である。だからこれは口実だ。

 軽音楽に対する真摯な気持ちを垣間見せた後輩を放っておくことができなかった。だから唯がこの提案を先ほど自分の教室でメンバーにしていたのだ。それにメンバーは条件付きで納得した。


「けどね、倉知君」

「はい」


 ここで話を引き継いだ古都が真剣なので、譲二はピリッとした。


「私たちはプロとして真剣にやってる。君の腕はステージで観たことがあるからそれに疑いはないけど、そもそも学園祭のリハが明後日なんだよ」


 この言葉に古都の言いたいことが読み取れた譲二は頼もしい表情を見せる。


「ちゃんと覚えます! 2日で覚えます!」

「ううん。2日じゃ遅いの。リハをぶっつけ本番でやるわけにはいかないでしょ?」

「あぁ……」

「明日の私たちの練習に参加してくれない? その時までに覚えてほしい」

「わかりました!」

「プロと一緒に演奏するのが恥ずかしくないレベルで覚えるんだよ?」

「はい! やります! もしダイヤモンドハーレムのメンバーが不十分だと思うなら外してくれていいです。もちろん外されるつもりなんて毛頭ないですけど」

「へへん。格好いいじゃん。期待してる。じゃぁ今日の放課後の練習の前に楽譜スコアを送っとくからメアドを教えて」


 こうして1ステージ限りの譲二のサポートが仮決定した。そして翌日の全体練習にてメンバーと、果ては大和と泰雅からも認められて譲二のサポートは正式に決まったのである。


 本来は事務所に話を通さなくてはならないのだろうが、本番を観に来る関係者は大和と杏里だけだ。むしろこの2人は新鮮な配置のダイヤモンドハーレムを楽しんでもいる。唯がステージでキーボードを弾く構成もなかなか見られるものではないから。


 そんな男女混成バンドのステージを観終わって大和は一息吐いた。


「ふぅ……」

「いいステージだったんじゃない?」


 杏里が明るい表情を大和に向けた。


「うん。観衆のノリも落ちることなく盛り上がってたし」

「だね。さ、じゃぁ、機材運搬の手伝いかな」

「うん」


 大和と杏里と響輝は立ち上がった。


 その頃、ステージ袖では末広バンドのメンバーが譲二を迎え入れていた。


「びっくりしたぞ? お前がサポートなんて」

「本当だよ。プロと演奏なんて自慢になるじゃん」


 そんなことを言う健吾と裕司。譲二ははにかんだ様子を見せるが、既にプロとしてのプライドが芽生えているダイヤモンドハーレムのメンバーはやれやれと思う。ここで抜け駆けだと嫉妬したり、発破をかけられる思いにはならないのか、と。

 それほど熱がないのならそれを強要するつもりは更々ない。しかしメンバー間での熱量の違いが顕著なので、譲二を思いやった。


 やがて譲二とダイヤモンドハーレムのメンバーは大和たちと合流する。そして機材をジャパニカン芸能の車に積み込んだ。すると杏里が気づく。


「あれ? 唯、ベース積まないの?」

「あ、はい。今日は持ってます」

「そっか」


 そのやり取りを聞いて響輝が荷台のドアを閉めた。そして大人3人はその車で去って行った。その時大和は唯が持つベースのいつもとの違いに気づいていた。それはギグバッグだ。いつも使っている丈夫なものではなく、店頭なら買い物袋のようにサービスで付いてくる薄いものだった。


「さ、私たちも残りの学祭楽しもう!」

「そうだね」


 古都の明るい声に美和が反応した。すると唯が譲二を向く。


「倉知君はメンバーと合流?」

「そうっすね。合流して学祭回ります」

「そっか。それまで歩きながら話そうか?」

「え? もちろんいいですけど」


 唯からの思わぬ打診に狼狽えた譲二だが、なんとか肯定してみせる。これには唯以外のダイヤモンドハーレムのメンバーも意外そうな顔をした。すると唯が古都を向く。


「後で合流するから先に行っててもらえるかな?」

「あぁ、うん。わかった」


 ということで、唯以外のメンバーは3人で行動を開始した。3人は状況から2年生の時の夏のツアーを思い出す。すると唯を察することができた。

 そして2人になった唯は譲二と肩を並べて歩き出す。しかし唯がすぐに歩を止めた。他のメンバーももう随分離れて姿が見えず、校門のこの場所は他に生徒の姿も見えない。そこで唯はベースを譲二に差し出した。


「あのさ、もし良かったらこのベース貰ってくれないかな?」

「え!?」


 あまり異性と話すことが得意ではない唯なので、顔は俯き加減で、恥ずかしそうにして少しだけ紅潮してもいる。そんな唯から予想外のことを言われて譲二は言葉を失った。


「このベースはね、私も貰い物なの」

「でも……、これって唯先輩がずっと使ってたベースじゃ……?」


 ボディーもピックガードも赤のG&Lのジャズベース。唯はステージやレコーディング用に大事に使ってきた。ステージでは譲二もそれを見ている。


「そうなんだけど。これをくれた人との約束なの。私がメジャーデビューをする時か、若しくはメジャーデビューを諦めた時、次にメジャーデビューを目指すベーシストに、色んな思いや経験をこのジャズベに乗せて譲るって」

「え!? 唯先輩――」

「あ!」


 唯は慌てて譲二の言葉を遮った。メジャーデビューはまだオフレコであることを失念していたのだ。譲二がその言葉を口にしないようにして、オフレコの旨を伝えたうえで続けた。


「それで、末広バンドがメジャーを目指してるとは思えないけど、倉知君からはそれくらいの熱が伝わってきたから」

「唯先輩……」

「だから私がこのベースを託す相手は倉知君にしたいと思って……」


 人見知りの唯にとってはなかなか勇気のいる場面ではあるが、譲二はそれを真剣に聞いていた。

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