第五十三楽曲 第六節

 人気のない校門付近。とは言え、校内は学園祭で賑わっている。敷地の狭さからあまり外部の人間を呼ばない公立高校なので、学園祭中の人の出入りは少ない。だから校門付近は静かだ。

 そこで唯は譲二にカズから受け取ったベースを託したいと差し出していた。譲二は呆気に取られていて、唯は腕が疲れたので一度下す。


「真っ赤なベースだから倉知君が持つには恥ずかしいかな?」


 そんなことを言って自虐的に笑ってみる。一方、そんなことを言われて譲二は慌てて首を横に振った。


「そんなことないっす。ただ、突然のことで驚いちゃって」

「あはは。そうだよね。私もこれを貰う時はそうだった」


 今度は納得の笑みを浮かべた。この場で唯は初めて笑顔を見せている。それが譲二にとっては眩しい。


「倉知君は今後どういう音楽活動をしていきたいと思ってるの?」

「うーん……。今のバンドが嫌とかではないんですけど、ただ、他のバンドも経験してみたいなって思ってます」

「掛け持ち?」

「はい。これから探そうと思ってるんですけど、それで合うバンドがあったらいいなと。そのバンドが高い目標を持ってたら言うことなしっす」

「それは例えばどんな目標?」

「……」


 ここで口を噤んでしまった譲二。それを見て唯が言葉を続けた。


「私たちね、初めてメジャーデビューが夢だって言った時、笑われたよ?」

「え? そうなんですか?」


 と表面上は驚きを表すが、譲二は内心やっぱりかと思った。それでもダイヤモンドハーレムはその域に到達したのだから、失礼がないよう咄嗟の表現であった。


「うん。4人中3人が初心者で、ライブハウスに行けば下手くそだから笑われたし。それでメジャー目指してんのか、とか。私なんて事務所への所属が決まるまで、メジャーデビューを目標にしてるなんて家族にも言えなかったから」


 そこまで言って唯は一度呼吸を整える。あまり語るのが得意ではない唯なので、頑張っている。そして譲二の目をしっかり見て続けた。


「けどね、最初にメジャーって言い出したのは古都ちゃんなんだけど、古都ちゃんについてきて本当に良かったって今では思ってる。だから私はメジャーデビューを目指している人の発言を笑わないよ?」


 すると譲二が力んだ。腰の横でグッと両手の拳を握る。


「俺は……」

「うん」

「俺は、メジャーアーティストって言うのがどういうものかわかってないけど、多くのファンを獲得できるようなベーシストになりたい。その方法がメジャーなら、俺は高みを目指すバンドでメジャーデビューをしたい」

「うん!」


 ここで再び唯は笑顔を見せて声を弾ませた。そしてベースを掲げるのだ。


「それが聞けて良かった。それならぜひこのベースを受け取ってもらえないかな?」

「唯先輩……、本当に俺でいいんですか?」

「うん。倉知君の今後に期待してる」

「ありがとうございます。俺も胸を張っていつかこのベースを誰かに引き継げるように精進します」


 そう言って譲二は唯からベースを受け取った。この後2人は肩を並べて校舎に入り、各々のグループに合流するため別れた。


 そして昨年同様後夜祭はすっぽかし、ゴッドロックカフェで練習をしたダイヤモンドハーレム。その練習が終わってから、4人は並んでカウンター席でレモネードを飲んでいる。端席には杏里もいる。


「今日のステージ、凄く良かったよ」

「うへへぇ……」


 大和からの好評に古都がだらしない表情を見せる。美和と唯と希も満足そうな表情を見せていた。1度きりとは言え、そして2曲だけとは言え、今までになかった5人構成だったのでメンバーはそれぞれ楽しんだようだ。


 カランカラン。


 するとちょうど開店したばかりの店に、機械系工場員の山田と建設会社次期社長の木村が揃って入って来た。それを見て大和が問い掛ける。


「いらっしゃい。一緒だったんですか?」

「いやいや。ちょうど表で一緒になったんだよ」


 答えた山田は迷わず古都の隣に座ろうとするので、当初隣にいた美和は気を利かせて席を移動した。これももう慣れた動きだ。一方木村は希の隣である。


「今日、学園祭だっけ?」

「はい」


 木村に問い掛けられて希は短く返事をする。現時点では山田も木村も両手に花の状態だからいつもより鼻の下を伸ばしていた。すると山田が出されたばかりのビールを煽り、そのグラスを置くと古都に言った。


「俺もダイヤモンドハーレムの学園祭、一回でいいから観たかったな」

「まぁ、それはしょうがないですよね」


 とのことだ。備糸高校の生徒の特権ではあるが、こうして酒の席で現役女子高生のダイヤモンドハーレムと交流ができるのは、ゴッドロックカフェの常連客の特権だ。これもダイヤモンドハーレムの練習拠点がこの店だからである。


 カランカラン。


 すると次の来客である。住宅メーカー営業マンの高木であった。彼を見てすかさず唯が立ち上がった。


「こんばんは」

「おっす。カウンターいっぱいだね」


 満席ではないが、確かに人は多い。すると高木が唯に言うのだ。


「唯ちゃん、円卓で一緒に飲もう?」

「はい」


 抜かりない男である。まぁ、唯も元気に笑顔で返事をしているから問題ない。ただ、まずは山田が両手の花の片方を失ったと言うところだ。


 カランカラン。


 すると続々と集まって来る常連客のおっさんたち。さすがは週末で、開店から30分も経たずにホール、カウンターとも満席になった。もちろんダイヤモンドハーレムのメンバーはおっさん達に囲まれている。

 そのタイミングで大和はマイクを握った。彼がいる位置はカウンターの中だ。そしてBGMを一度切る。話声で賑やかとは言え、BGMが消えたことに常連客は反応する。


『あ、あ』


 すると大和がマイクに声を通してテストをした。それで客たちの注目が集まる。


「なんだ? 大和? 改まって」


 客の1人が茶化すように大和に声を飛ばした。大和は薄っすら笑っているが、どちらかと言うと真剣な表情だ。今から大和が話す内容を知っているのは、ダイヤモンドハーレムのメンバーと杏里だけである。


『いつもご来店ありがとうございます。当店は皆様に支えられてここまでやってきました』

「どうたんだよ? 本当に」

「何の発表だ?」


 野次のように、しかし内容は野次ではない言葉が大和に降りかかる。大和が緊張を見せるものだから、常連客の表情も徐々に真剣になっていく。


『えっと、突然ですが来年の2月いっぱいで、つまりあと3か月ちょっとなんですけど、僕はこの店を杏里に譲ろうと思います』

『……』


 常連客は皆一様に声が出ず、店内を静けさが襲う。ワイワイ賑やかな週末なので、この静けさは違和感を生むほどだ。


『僕は3月から上京して、本格的に作曲家とアレンジャーの仕事に移ります。あと、ありがたいことにダイヤモンドハーレムが所属するジャパニカン芸能から、他のアーティストの育成や創作アドバイザーのお仕事も頂けることになりました。加えてダイヤモンドハーレムがメジャーデビューした後も、彼女たちのプロデュースを続けることになりました』

「マジか……?」


 呆気に取られて言うのは、カウンター席の山田だ。大和は山田をチラッと見ると笑みを見せた。


『はい。今まで皆さんにはお世話になりっ放しで、感謝が尽きません。ありがとうございます。あと3カ月ちょっとで何を返していけるかわからないですけど、精いっぱい営業してまいりますので、これからも、そして店主が杏里になってからも変わらぬ――』

「シャンパン出せ!」


 突然大和のスピーチは常連客の大声に遮られた。それに大和は驚きを見せる。声を張った客は目を潤ませていた。すると。


「こっちにもシャンパン出せ! 片っ苦しい挨拶は抜きだ! 大和の門出を祝うぞ!」


 そんなことを言われて大和の表情は綻んだ。今口を開いた客もまた、目を潤ませていた。そして次々に声が上がる。もちろん大和への酒、恒例の祝い酒の注文だ。これには手が追い付かなくなって、とうとう杏里もカウンターに入り手伝った。

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