第五十二楽曲 第五節

 この日の送迎を終えた杏里だが、真っ直ぐ帰宅せずにゴッドロックカフェに戻って来た。その手には手提げ袋を持っている。


「古都? 着替えもらって来たよ」

「ありがとう、杏里さん」


 古都はバックヤードの中にいた。

 杏里はこの日、古都以外の3人だけを送迎した。古都の家には事前に連絡を入れており、送迎の際に寄って古都の荷物を預かって来ていた。古都は今、部屋着姿で作曲をしている。下着と部屋着は大和の部屋にあるものの、ブラウスやソックスなどの学校の衣類はない。

 そう、この日はこのまま泊まって、翌朝はここから学校に行くつもりである。それなので、弁当箱や古都が脱いだブラウスなどは杏里が古都の自宅に届けていた。弁当は妹の裕美が学校で届けてくれることだろう。


 古都の両親は不良娘なんて呆れる気持ちもあるが、しかし古都が音楽のことでなにを言っても聞かないのは既に知っている。だから何も言わないどころか、今では一生懸命な娘に微笑ましくも思っている。そして芸能人だから、芸能活動の一環だと理解しているので口を挟めないのもまた事実だ。


 杏里はバックヤードからドアを開け、カウンターを覗いて言う。


「じゃぁ、大和。あたしは帰るから古都をよろしくね」

「あぁ、うん。お疲れ様」


 これにて杏里のこの日の業務は終了である。杏里はジャパニカンの車で帰宅した。


 やがて閉店を迎え、大和と2人きりになったバックヤードで古都が言う。


「えへへん。今日は大和さんのお部屋でお泊りだね」

「寝室は別だからな」

「ぶー」


 ふんだんに不満を示す古都だが、なんと言うか、いつものことながら男女逆転したような会話だ。それに大和ももう慣れている。その時、事務仕事を終えた大和がパソコンの前から腰を上げると、4人掛けのボックステーブルの古都の向かいに座った。


「どう? できた?」

「うん。だいたい」

「じゃぁ、デモ録っちゃおうか?」

「うん」


 既に1コーラス分の詞はできているので、それに合わせて古都は弾き語りをした。その音楽はゴッドロックカフェのパソコンに流れ、そしてデータとして保存される。


「いいね」

「本当?」


 古都としてはそれなりに手応えのある曲になったが、大和からの反応が薄いような気がする。それ故不安になるが、大和としては満足度が高い曲だ。


「うん。編曲アレンジのイメージも湧くよ。編曲アレンジを進めながら、曲の構成を考える」

「うん。付き合う」

「……。明日学校だろ?」


 呆れ顔で言う大和の懸念は、今の時刻だ。既に夜遅い。しかし意に介した様子がない古都は、ニコニコ顔で言うのだ。


「大和さんの編曲作業を見てる。それで詞の続きをイメージする」


 古都の体調は心配するものの、それにしても本当に元気だといつも感心する。彼女のやる気を削ぐのも憚られるので、結局大和は「わかったよ」と承諾するのだ。


 そしてそれから数時間。大和はイントロとなるギターリフを完成させた。大和の創作に倣って、古都の詞も進んだようで彼女は満足げな表情を見せる。


「今日はここまでにしようか?」

「え? まだイントロだけじゃん」

「そうだけど。もう遅いから続きは明日以降ってことで」

「ふーん。わかったよ」


 実はイントロこそなんとか形になったものの、大和の編曲アレンジは不調だ。それ故に気が重い。イメージはするものの、それを実際に音に出すとなんだか違う気がする。だから大和は時間を理由に自身の進捗を誤魔化した。


 そして2人は自宅に上がるために店を出たわけだが、2人が裏口を出ると、店の建物の陰に身を隠す人影があった。しかし2人は気づかない。

 大和は店の施錠をすると、古都を連れて屋外階段を上がった。


「えへへん。お泊り、お泊り」


 古都はご機嫌だ。ダイヤモンドハーレムのプロデュースを始めた頃は、こういうシチュエーションにいちいち動揺していた大和だが、もう随分慣れたようで冷静である。特段気にした素振りもなく、古都を自宅に入れた。


「大和さん、一緒にお風呂入ろう?」

「……」


 リビングまで進むなり古都がいつもの調子を見せるから、途端にジト目を向ける大和。やれやれと首の裏をかきながら言う。


「古都には恥じらいがないのか?」

「そんなことないよ。大和さんは私のカレシだから特別」


 1年生の時は身体を賭けの対象にしたり、下着取引をしたくせによく言う。とは言え、まぁ、古都の気持ち自体は本物だ。そうかと言って、事務所からダイヤモンドハーレムを預かっている大和の意識は、今までよりも高い。だから一言物申そうとした。


「あのな……」

「ん? もしかして、裸のお付き合いまでしたら理性がもたない? 狼さんになっちゃう?」

「……」


 大和のジト目は引かない。そりゃ、そうだ。今までどれだけの困難しげきを乗り越えてきたことか。大和は17歳の古都に対してよく頑張っている。大和は一度大きくため息を吐いて言った。


「はぁ……。そうだよ」

「え? うそ? 大和さんが認めた」


 これには目を丸くした古都。別に大和が下心を抱いていたことに驚いているわけではない。こういうところは唯とは違う。古都が驚いたのは大和が素直に認めたことだ。


「もうはっきり言うけど、メンバーも今や半数が18歳で、かなり意識してるよ」

「うへへぇ……、嬉しい。私としては別に今晩でもいいんだけどな」

「なんでいつもそんなに積極的なんだよ?」

「そりゃ、大和さんのことが大好きだからだよ。身も心も結ばれたいじゃん」


 ストレートに言われて顔を真っ赤にする大和である。しかし心を整えて言う。


「抱かれることに恐怖心はないのかよ?」

「相手が大和さんならない。最初は痛いって聞くけど、いつでも覚悟はできてる。そんなことを聞くってことは抱いてくれるの?」

「できるわけないだろ? 武村さんとも約束してるんだし、それに古都はまだ18歳になってないし」

「ちぇ……」


 まぁ、古都は言葉のとおり本気で期待している。メンバーとの関係が恋人に変わる前なんかは揶揄われていると思っていた大和だが、彼もまた、古都に限らずメンバーがそれぞれ言うことは本気なのだと今では理解している。


「僕だって本気で我慢してるんだから、頼むからこれ以上刺激するなよ」

「うへへ。今日はその言葉を聞いただけで満足しておく」

「ありがとう」


 呆れ顔のまま、そんな感情を隠さない声色で大和は礼を述べた。尤も礼を言うことではないが。

 しかし……。


「だから、古都?」

「なに?」


 じゃじゃ馬姫は一筋縄ではいかない。それは各々風呂も済ませ、大和は寝室のベッドで、古都はリビングに敷いた布団で床に就いた時だった。――床に就いたはずだった。


「なんでベッドにいるんだよ?」

「だって、せっかくなんだから大好きな大和さんと一緒に寝たいじゃん」

「これ以上刺激するなって言っただろ?」

「これも刺激的なの?」


 既に10月下旬だから夜中は肌寒い。大和も古都もスウェットだ。だから古都の露出は高くなく、そういったところが刺激的なわけではない。しかしだ。


「当たり前だろ? 自分が惚れてる相手が同じ寝床にいたらそれだけで刺激を受けるよ」

「……」


 すると古都のつぶらな瞳が見開き、素の表情で大和を凝視した。大和はこの古都の反応が解せない。すると古都は大和の顔を両手で包んで言うのだ。


「初めて言われた」

「は? なにを?」

「私に惚れてるって」

「かぁぁぁぁぁ」


 大和は思わず自分の口を吐いた、普段は言わない恥ずかしい言葉を理解して赤面する。しかし古都が顔をホールドしているから、逸らすことも叶わない。


「凄く嬉しい」


 そう言った古都は大和に顔を寄せて大和の唇を貪った。大和の理性は崩壊寸前である。すると顔を離した古都が言うのだ。


「せめて大和さんの処理してあげようか?」

「バ、バカ! それも性行為のうちだからダメ!」

「ふぁっ!」


 突然大和が起き上がったかと思うと古都は抱き上げられた。不意の浮遊感に古都は驚いたわけだが、そのままリビングに運ばれ、敷いた布団に放られた。


「そんなぁ……」


 古都の落胆の声が小さく響くが、大和は無言で寝室に戻り、そして自分で処理をした。

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