第五十二楽曲 第二節

 閉店後の店内でBGMのハードロックは切られておらず、3人の男女の会話よりも大きく鳴り響く。大和は杏里から、ゴッドロックカフェの2階を音楽スタジオに改装したいと相談された。


「住まないの?」

「うん。2室の貸しスタジオにして、お店を裏口まで扉なしで繋げて、屋外階段には屋根をつけて、2階も営業の場にしたいと思って」


 大和から店を譲ってもらうことが決まってから杏里が漠然と思い描いていたビジョンである。繋がりの強い常連客との交流を切るつもりは更々ないので、店の現状はそのままに、音楽に関する手を広げたいと思ったのだ。


「お父さんがその分の費用は貸してくれるって言うから」

「叔父さんにももう話はついてるんだ?」

「うん」


 杏里は俯き加減で手を動かしている。その表情は柔らかく、近い将来に期待を寄せているようだと大和には見えた。


「うん。僕に反対意見はないよ」

「良かった」


 杏里が漏らした安堵の声は大和にとってどこか幼く感じ、可愛らしいものであった。


「と言うことは、大学卒業後も実家暮らし?」

「ううん」


 すると杏里の否定に続いて響輝から声が割り込まれた。


「俺たち一緒に暮らそうと思う」

「ふーん。――え!? えええええ!?」


 ここでやっと杏里の薄い笑みは、はにかんでいたのだと理解した大和。そんな彼を見て響輝がクスクスと笑う。驚いた状態の大和は震えながら、そして言葉を噛みながら問い掛ける。


「ま、ま、ま、まさか……結婚?」

「ははは。気が早ぇなぁ」

「違うの?」

「半分当たりで、半分外れだな」


 不敵に笑って言う響輝の意図がまったく掴めない。大和は表情を強張らせながら響輝の言葉に集中した。


「まだ杏里はこれから大学を卒業するんだから、そこまで具体的には考えてねぇよ」

「でも半分当たりって……?」

「あぁ。もうすぐ付き合って2年だしな。これからはそういうことを前提に付き合っていこうって話したんだ」

「そ、そうなんだ……」

「それをうちの親にも杏里の親御さんにも話して、それで杏里のお父さんから杏里の大学卒業後は一緒に暮らしていいって許可をもらったんだ」


 ということである。大和は自分の知らないところで話がそこまで進んでいたことに驚きが隠せない。


「お、おめでとう」


 しかしなんとか祝辞の言葉は絞り出せた。尤も頭がついてこないだけで、祝う気持ちは本物だ。すると大和は気づく。


「あれ? それで営業の手を広げるってことは、もしかして響輝も一緒にやるの?」

「あー、それは違う。俺は今の仕事をずっと続けるよ」

「そうなの? 響輝が転職するのかと思った」

「いや。ここは常連さんに恵まれてるからそれほど心配はいらないと思うけど、それでも水ものの商売だから、それを杏里のお父さんは心配してるんだ。だから俺には今の仕事を続けてくれって言われてる」

「なるほど……」


 ここまで聞いてやっと大和の頭の中も整理できてきた。すると徐に足元の冷蔵庫に屈むのだ。そしてその冷蔵庫からシャンパンを1本取り出すと、ゴンとカウンターテーブルに置いた。


「なんだ?」

「僕から2人への祝い酒。改めておめでとう。今から3人で飲もう」

「おっぷ。今日どれだけ飲んだと思ってるんだよ?」

「そうだよ。大和だって今日はかなり飲んでるでしょ?」

「いいじゃん。杏里はまだまだ余裕があるだろ? 響輝は明日休みだろ?」


 大和にしては珍しく押しが強いが、それくらい大和は2人を祝福している。結局響輝と杏里がこの祝福を受け入れ、この後3人で二次会が始まった。そしてそれは明け方まで続いた。


「大和さん、大和さん、起きて」


 大和は体を揺すられて目覚める。頭が重い。杏里ほど酒は強くないが、二日酔いだけはしないのがこの男の強みだ。それでも頭が重いのは酒が残っている証拠だろう。


「うぶっ!」


 すると柔らかい布の感触で口と鼻を塞がれた。そしてその臭いを感じ始める。


「うがっ! 臭っ!」


 大和は体ごと顔を横に向け、真上からの攻撃から逃げた。そして目を開ける。するとそこにはワンピースにカーディガンを羽織った麗しい美少女。彼女は膝立ちをして大和を見下ろしていた。


「あれ? 古都?」

「もうっ。練習の時間だよ?」


 ピロリロリン♪ ピロリロリン♪


「え? うそ? もうそんな時間?」


 この日はバンドでの仕事がないので、14時からゴッドロックカフェで全体練習のスケジュールが組まれていた。大和は重い脳内でそれを思い出す。すると昼過ぎまで寝ていたことになる。因みにこの場所は店のステージ裏の控室だ。その畳の上からまだ起き上がれず、大和は問う。


「杏里と響輝は?」


 朝方まで大和を含めたこの3人で飲んでいた。そしてこの場所にて3人で雑魚寝をしたのだ。とは言えもう10月下旬。毛布1枚でよく風邪をひかなかったものである。


「午前中に杏里さんから連絡があって、二日酔いだから運転できないって。因みに響輝さんも。自分たちはタクシーで帰るって言ってた。それでお金は後で出すから私たちにもタクシーで来てくれって言うんだよ」


 ピロリロリン♪ ピロリロリン♪


「マジ……?」


 それは手間をかけてしまった。酒による失敗とも言えるべき事実に大和は恐縮し切りだ。そこでやっと大和は緩慢な動きで上体を起こした。それにしてもさっきから着信音のような音が鳴り響いているのだが、その音すらも遠く感じる。気のせいだろうか?


「けど結局送迎してくれる人は見つかったからタクシーは使ってないよ?」

「え? そうなの? 誰が送迎してくれたの?」

「俺だよ」


 その声に大和ははっとなって、起こしたばかりの上体で振り返る。するとそこには直立で腕を組んで冷ややかに大和を見下ろす勝がいた。思わず大和から冷や汗が伝う。


「デートの約束すっぽかして来たから、さっきから電話が鳴り止まねぇんだよ」

「あはは」


 大和は乾いた笑みを浮かべた。どうやらさっきから鳴っている着信音は勝のスマートフォンのようだ。現に勝のズボンのポケットから薄っすら光が漏れている。音の出どころはそこだ。


「ど、どうぞ、高田さんからの電話に出てください」

「お前が出ろよ」

「いやいや、部外者の僕は……」

「お前のせいなんだから部外者じゃないだろ? お前が弁解しろ」


 そんなことを言われても、自分より送迎役の杏里の方こそ責任が重いと心の中で言い訳をする。しかしそもそも飲ませたのは大和だ。それにダイヤモンドハーレムを任される責任は杏里も大和もそれほど大差ない。それを実感して大和はしょぼんと俯いた。

 すると勝の足元が目に入った。小上がりの畳敷になっているこの場所は靴を脱ぐため勝の足元は靴下だ。これが臭いと感触の原因だったのかと、大和は絶望した。とりあえず、勝には感謝と謝罪こそすれ、不満を言う立場にはないようだと改める。


「お詫びに今度一杯奢りますね」

「酒が飲めない俺への当てつけかよ?」

「あ、いや……。じゃぁ、高田さんに奢りますね」

「これから俺が怒られるのに、俺のカノジョにだけ詫びかよ」

「あはは」


 勝の機嫌はすこぶる悪いようだ。この後大和は着信鳴り響く勝への謝罪と礼もほどほどに、半ば彼を無理やり店から追い出してダイヤモンドハーレムの練習に付き合った。


 一方、店を出た勝は焦りながら交際相手の高田に折り返しの電話をかける。場所は店の駐車場に停めた自身の車の中だ。


「もしもし?」

『佐野さん! 遅いですよ!』


 理由は話していたもののやっぱり強い口調で咎められたので、一度勝はスマートフォンを耳から離す。画面は電話の相手の高田の名前が表示されているが、それを見たところでどうにもならない。リケジョは時間に煩い。

 勝はスマートフォンを耳に戻して続けた。


「悪かったって。すぐ行くから」

『もうっ! 待ってますね!』


 勝は無造作にスマートフォンを助手席に放るとエンジンをかけた。その時だった。ゴッドロックカフェの隣にある連棟式の建物の敷地で男の影を目にした。連棟の1室はゴッドロックカフェの常連客でもある大将がいる居酒屋だ。しかし姿を見せた男に勝は見覚えがない。

 その男はゴッドロックカフェを見ているように見える。そして勝と目が合った途端、塀に身を隠してしまった。勝は一度首を傾げたが、待たせている人物がいるので車を発進させた。

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