第五十一楽曲 第五節

 ――デジャヴ。


 住居部分とは室内扉1枚で繋がった元店舗。床が張られていないその場所は足元が土間コンクリートで、住居の床よりも2~3段分下がる。そこに降り立って大和と古都は表情を無くし、呆然とした。


「ここ、来たことある……」

「私も。けど、いつ来たのか思い出せない……」


 か細い声でそんな言葉を交わした2人は緩慢な動きで顔を見合わせる。相変わらず表情は無くしているが、無意識にお互い手を握り合った。それを見て泉がムッと反応するが、大和も古都も泉はおろか権田の存在さえ感じていないかのように、2人の世界に入っていた。


 南面に大きな掃き出し窓があるが、そこはシャッターが下ろされていて光は入って来ない。北面にある窓は腰高のすりガラスで、そこから弱い拡散日光が降り注ぐ。それが薄暗い室内の視界を確保してくれていた。

 その北側の窓付近には店舗の名残である、ガラス製アール型のカウンター式ショーケースが無造作に置かれている。この物件で初めて見る動産だ。室内は埃っぽく、壁紙は捲れていて、住居部分よりも明らかに手入れ不足である。


「どうしたの? 大和、古都ちゃん?」


 さすがに2人の様子がおかしいので、泉が怪訝な表情で問い掛ける。どこかで見たことがあるこの光景だが、どこで見たのかも思い出せず、デジャヴだけを認識している大和と古都は呆然として言葉も出ない。

 するとその時だった。大げさなスチール音を伴ってシャッターが上げられた。権田が掃き出し窓を開け、内側からシャッターを開けたのだ。すると途端に強い日光が室内に降り注ぐ。


「う……」


 大和は腕で影を作って顔を顰めた。古都も泉もその眩しさに顔を背ける。

 そこから見える景色は単純に来た時に見た屋外の景色そのものなので、それ以前の見覚えはない。しかし大和と古都は光が降り注ぐ大きな窓に懐かしさを感じた。西日が土間の床に、窓の形を斜めに映し出している。


「いかがでしょう? ここも30畳ほどあります。上履きにする場合は床を張らないといけないので、それが工事費のかかる要因ではありますが。そもそも床を張らないと床下の防音工事ができませんしね」


 特段打合せはしていないが、今まで見繕った物件の形態に倣っても、ここをスタジオに改修することは既定路線のようだ。それに大和も不満はなく自然と理解する。するとその理解とともに、完成形が鮮明にイメージできるのだ。

 クッション素材の壁仕上げに、フローリングの床。レコーディングスタジオを思わせるその内装はどこかで見たことがあるような気がする。しかしレコーディングスタジオで見たわけではない。どこだったか、それが思い出せない。

 それは古都も同様だった。そんな感覚を古都と共有するように大和は更にイメージを膨らませる。ドラムセットやアンプなどが置かれ、広めのデスクを据えてそこに収音機器やパソコンや電子キーボードをセットする。創作がしやすく、また、指導を乞うアーティストの演奏がそこから対面によく見える。


「大和さん、私……」


 すると古都が口を開く。大和はそれに反応を示した。


「ん?」

「ここで曲作りをしたい。大和さんもここで曲作りをしてくれたら素敵だなって思う」


 大和の仕事場とは言え、創作面で大きく関わる古都だからこの希望は不自然ではない。むしろ古都が言うように、大和にも今後の期待感が湧く。


「そうだね」

「ここは何かがいるような気がする」

「うん、僕もそう思う」

「その何かが大和さんと私……ううん、大和さんとダイヤモンドハーレムを待ってる気がする」

「奇遇だね。僕もそんな感覚の中にいる」


 2人の言っていることが理解できず首を傾げるのは泉だ。しかし思い当たることもある。

 大和はクラウディソニック時代に不遇の扱いを受けた。自身が起こした事件でないにも関わらず、窮屈な思いをしてきた。

 しかしダイヤモンドハーレムがいる。大和とダイヤモンドハーレムは共に色々な困難を乗り越え、インディーズCDでは結果を出し、大きなステージにも立って、そしてメジャーデビューの内定まで取り付けた。それこそ2人が言う何かに愛されているようだと思う。


 泉は自虐的に「ふふ」と一度笑うと、やっぱりダイヤモンドハーレムには敵わないな、と悟った。自分は2人が言う何かに愛されず、今では一社員として働いている。しかし大和がセットのダイヤモンドハーレムは、間違いなくその何かに選ばれたと感心するのだ。


「目の色変わったね?」


 泉の声に大和と古都は振り返った。そこでやっと大和は柔らかい笑みを浮かべた。


「そうだね。なんだかここを僕の今後の拠点にしなきゃいけない気がする」

「と言うことは……?」


 すると権田が期待の目を向けた。大和は権田に向き直って答える。


「はい。ここを買います」

「ありがとうございます。それではこれが買い付けのお申込書になりますので、ご署名をお願いします」


 そう言われて渡されたバインダーには1枚の書類が挟まっていた。大和はその書類に必要事項を記入する。その間にも権田は話を進める。


「これからこの物件での銀行の事前審査を申し込みますので、それが通ればご契約は来月にしたいと思いますがいかがでしょう?」

「はい。お願いします」

「売り主さんは現在東京におりますので、ご契約は都内になりますがよろしいですか?」

「はい、大丈夫です」

「お引き渡しは銀行の本審査が通ってからになるので、再来月。こちらは買主さんの銀行でやることになりますが、菱神様の場合こちらに居を移すことになりますので、都内の銀行で口座を開設した方がいいと思います。いかがでしょう?」

「そうします」

「そうすると、お引き渡しも都内になりますが、ご足労願えますか?」

「わかりました。大丈夫です」


 物件購入に関しては話が決まったようである。泉は安堵したような笑みを浮かべ、古都はワクワクしながら大和を見据えていた。


「それから工事の内容はいかがなさいますか?」

「……」


 どこで見たのかもわからないイメージはある。しかし具体的にそれを口にできるほど、大和にスタジオを作った経験はない。するとここで助け舟を出したのは泉だ。


「それなら私が話を詰めておこうか? 会社がよく使ってるコンサルがあるから」

「頼むよ」


 ジャパニカングループが使っているコンサルタント会社なら間違いないだろうと大和は安心した。住居のリフォームだけなら依頼先は多々あるが、防音室の工事となるとやはり実績のある業者に設計を依頼した方が安心だ。


「権田さんのところでも工事見積りは出せるみたいだし、私が設計の依頼をコンサルにお願いして、そのコンサルでも工事の見積もりを出せるから、権田さんのとこと相見積もりってことでどう?」

「それでお願い」


 現状は離れたところで生活をしているわけだから、リフォームの計画にも立ち会えないし、工事中も頻繁には見に来ることが叶わない。こればかりは致し方ないので、泉に任せる意向だ。それこそテレビのリフォーム番組さながら、完成形を見ることになる。


「えへへん。大和さん、ここでたくさんいい曲作ろうね?」


 ご機嫌な古都が大和の腕を抱えて満面の笑みを寄せる。


 ――あぁ、やっぱり可愛いなぁ。


 という自身の浮かれた気持ちは置いといて、大和は自然な笑みを返した。


「そうだね。やる気が出てきた」


 泉はそんな2人を羨みながらも微笑ましく見るしかなかった。しかし建物に値が付かなった物件とは言え、そして郊外とは言え、土地はそれなりの広さだ。更にはリフォーム費用もかかる。それなのに大和はよく購入の決断をしたものだと泉は感心した。

 こうしてこの日の内覧は終了し、大和と古都は夕方の新幹線で地元に帰って行った。

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