第五十一楽曲 第四節
5件目に移動中の車内で大和は権田に色々と質問をする。本当に条件に見合っているかを事前に確認するためだ。もし見合っていなければ内覧せずに帰る魂胆である。因みに両手は握られている。
「次の物件は告知物件ではないですよね?」
「はい、大丈夫です」
ルームミラー越しに大和を見て、権田は軽やかに返事をする。
「どういう物件ですか?」
「店舗併用住宅です。築年数は古いですが、お値段は手頃で、鉄骨造です」
「おいくらですか?」
「売り出し価格は¥○○ですが、¥××までのご希望でしたらなんとか売り主さんと交渉します」
桁が多すぎて今一ピンとこない大和だが、両手の花は自分の財布からの支出ではないので、我関せずと言った感じだ。とにかく楽しそうである。
「現地で支払い計画も概算ですが出します」
「すぐに出るもんなんですね」
「はい。金利計算のアプリを持っておりますので。他の物件で既に2つの銀行で事前審査が通っているので、菱神様の場合はよほど大丈夫かと」
とにかく銀行融資を受けられるだけの社会的信用があることに大和は安堵する。古都はまだ高校生なので実感がないが、泉はそんな元カレを手放してしまって惜しいことをしたと思っている。
だから泉は虎視眈々とダイヤモンドハーレムを出し抜こうと画策するが、大和とダイヤモンドハーレムの信頼関係は嫌と言うほど理解しているので、隙が見当たらない。入り込む余地がないと実感して、いつも身を引くのだ。
「因みに売却理由はなんですか?」
「はい。売り主さんが親御さんからの相続で得た土地建物、つまりご実家なんですが、その売り主さんは現在海外赴任中です。どうも向こうに永住するつもりらしいんですが、それが今回3カ月の長期出張で帰国しております。それでこの間に売ってしまおうと動かれたわけです」
売却理由に当たっては特段気にすることはないようだ。
「元はどういう店舗だったんですか?」
「昔ながらの個人商店ですね。菓子パンや文房具やちょっとした食材を売ったりなどの。コンビニの形態ですが、当時は24時間営業ではありませんでした」
そうして話をしていると、目的の店舗併用住宅に到着した。そこは通りから1本入った生活道路に面している。周囲は低層の建物が多く、更に南面道路なので日当たりがいい。駐車場も車3台分確保できるようだ。店舗だった位置は大きなシャッターが下ろされていて、同じく南面には住宅の玄関扉がある。
「広い建物だな……」
「そうだね。けど古いね」
2階建てのその建物を見上げて大和と泉が各々感想を口にする。権田はテクテク歩を進め玄関の鍵を開けていた。そして古都はルンルン気分で大和と泉を差し置いて権田についていた。
「大和さん! 早く! 早く!」
開かれた玄関扉の前で古都が大きく手招きをする。大和は泉を引き連れて玄関まで行った。そこは住宅の入り口で、床には埃が溜まっている。壁紙は切れ目が少し捲れていて、黄ばみもある。日当たりはいいので窓から差し込む日光で明るい。
「何分、売り主さんがずっと海外にいたものですから、ほとんど手入れをしていないそうで」
権田が車に常備してあったスリッパを並べながら言う。お世辞にも綺麗だと言えない室内に恐縮しているようだ。しかし玄関も玄関ホールも広いので、4人が固まってもごった返すような窮屈さは感じられない。
権田はまず、すぐ脇のリビングに一行を通した。そこはなんと、30畳もの広さがあると説明された広大で一体のLDKであった。
「広ぉい!」
古都のつぶらな瞳が見開く。空気の入れ替えのために権田が窓を開けるので、古都の綺麗なミディアムヘアーは風で靡いた。
「当時は個人商店ってこんなに儲かったものなんですか?」
古いとは言え、これだけの広さ故の大和の疑問であった。明らかに富裕層が所有していたと思われる建物だ。それに権田は相変わらずの営業スマイルを浮かべて答えた。
「いえ。どうも資産家だったようで、当時は他に収益不動産を多々持っていたそうです。奥さんは早くに亡くされて、お子さんは今回の売り主である海外在住の息子さん1人で、ここ以外の不動産は生前に処分されたそうです。お亡くなりになるまで住んでいたのがここですが、もう10年以上前の話です」
つまり今回の売り主である息子が海外に行ってしまったため、10年以上放置されていた空き家だ。動産と呼べる家具などはほとんどないが、メンテナンスは行き届いていない。内装は玄関同様で、照明器具は埋め込み式しか残っていなかった。
「2階も見たいです!」
古都が弾んだ声で言うので、権田は柔らかい笑顔を浮かべて「ご案内します」と言い、一行を2階に上げた。
「なんだこれ……」
そしてその光景に大和は言葉を失う。階段を上がった先の2階はだだっ広いホールだった。権田の話によるとここは階段と合わせて60畳ほどあると言う。そしてその東に面した隣室が寝室だ。これまた30畳を誇る広さで、LDKの直上にある。
「なんでホールはがらんどうなんですか?」
「生前家主さんは資産家ということで、資産活用の事業も行っておりました。それで息子さんが独立されてから間仕切り壁を全て取り払って、ここを事務所に使っていたそうです」
「なるほど。けど、広すぎるなぁ……」
これが大和の率直な感想であった。いくらスタジオがいるからと言って、1人で住むには無駄に広いのだ。しかし権田は言う。
「しかしこれだけの広さの土地と建物でこの価格は破格ですよ?」
すると途端にジト目を向ける大和。その相手は泉だ。
「ちょ! 今回は私が見繕った物件じゃないし!」
泉は慌てて弁解した。大和は確かに、と納得する。そして権田に問うた。
「なんでこんなに安いんですか?」
「1つは建物が古すぎて土地にしか値段がついておりません。次に、この辺りが低層建物ばかりとは言え、商業やオフィス向けのエリアであることですが、駅から遠く、通りから1本入っているため人気がないんです。もう1つは、売り主さんが国内にいる間しか売ることができませんので、売り急いでいるからです」
「国内にいる間しかダメなんですか?」
「はい。厳密に言うと代理人を立てれば可能なんですが、売り主さんはそれを望みませんでした。元がご実家ということで思い入れがあるそうで、自分の手でしっかり手放したいとのことです。それなので日本にいる3カ月の間に売買契約をして、お引き渡しまで済ませないとなりません」
手入れができていないとは言え、せめて動産が運び出されている現状に、本当はメンテナンスも自分の手でしたいという売り主の気持ちが大和には垣間見えた。つまり大事にしたい気持ちはあるのだろう。
「因みに、工事費ってどのくらいかかりそうですか?」
「ご希望は防音スタジオを仕事場にした併用住宅ですよね?」
「はい」
「防音スタジオはどのくらい必要ですか?」
「……」
まったくイメージができていなかったため、何も答えられない大和。そんな彼を見て泉が助け舟を出す。
「それは私が先に提出した参考資料を目安にしてください」
「畏まりました」
そんな資料まで出していたのかと大和は感嘆した。あぁ、だから仮とは言え、先の物件では新築の見積もりが出せたのかと、納得だ。
「そうしますと、まず居住用が水回り器具の取り換えと、外壁の防水補修と、屋根の葺き替えと、壁紙の張り替えが必要ですね」
枡分けと項目が記載されただけで数字は白紙の資金計画書に、手早く概算を書き込む権田。その手元を凝視する大和の目はみるみる見開いた。
「次に防音スタジオですが、防音ガラスに取り換えです。鉄骨造は断熱効果が低いので、防音工事も割増です。断熱と防音は密接関係にありますので。空気層に、吸音効果のある断熱材に……」
「うがっ!」
「あはは。おおよそ、小さな木造住宅の新築1棟分ですね」
「じゃぁ、その小さな木造住宅を新築でも……?」
「いえいえ。それだと防音スタジオはありませんし、それにここの場合解体費用もかかります。それから都は多くの地域で防火の指定がされており、ここも例外ではありません。だからここで建てる木造住宅はもっと割高です。ただ古いとは言え、状態がいい鉄骨造なのでまだまだ丈夫です」
そうは言われても、心苦しいがやっぱりここもお断りかな、と大和は思った。しかしその時だった。古都が言うのだ。
「大和さん、せっかくだから店舗も見てみようよ?」
確かにまだそこは見ていなかったと大和は思い至る。既に興味は薄いが、大和は古都の提案に乗って最後に店舗部分を見に行くことにした。
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