第二十章
第五十二楽曲 歪愛
歪愛のプロローグは大和が語る
ふと新幹線に乗って冷静になると、これほど大きな買い物を決めたことに不安になる。手塚不動産の権田さん曰く、まとまった頭金を出せることと、今までの収入と、そして地方とは言えその都市で地価の高い場所にあるゴッドロックカフェがあることが、銀行の審査を通すための強みらしい。
ただゴッドロックカフェは年が明けてから、僕の父親と叔母さんである杏里の母親に登記上の所有権が移転される。抵当に入れる予定もつもりも毛頭ないが、融資実行の後に信用が変わるので不安だ。
まだ契約前だし……なんて消極的な考えも頭を過るが、しかしやっぱり拠点を見つけたことにワクワクしている自分がいる。それがあるから結局は積極的な気持ちの方が大きく、このまま話を進めることに前向きになる。
そして今、2人掛けの僕の隣でボリボリお菓子を頬張っているのが窓側の席にいる古都だ。現地で抱いたあの懐かしい感覚をなぜか共有していたようだと感じる。見覚えがあるはずなのに、けどどこで見たのかも思い出せないあの感情という記憶。どこか縁を感じた。
「ん? 食べる?」
そんな古都をぼうっと見ていると古都が首を傾げた。手にはスティック系のスナック菓子を持っている。
「あぁ、うん」
別に食べたかったわけではないのだが、特段返答も用意していなかったので僕は肯定してみせた。すると古都がニコッと笑ってそのお菓子を僕の口に向けた。心を鷲掴みにするような麗しい笑顔を見ていると、古都をはじめ、こんなに可愛い子たちが自分のカノジョだなんて未だに恐れ多いと思う。
「はい、あ~ん」
古都に促されるまま僕はお菓子を口で受けた。するとその先っぽを咥えた瞬間だった。古都がお菓子から手を離し、両手で僕の頬を包むのだ。そしてそのスティック系の菓子の反対側を咥えた。
「……」
驚いたが声を出せる状況ではなく、僕は耳まで熱を帯びながら心惹かれる美少女の顔を間近に、菓子を噛み進めた。もちろん古都も噛み進めるわけで、それは瞬く間に短くなって僕たちの唇は軽く触れた。
「んふふ」
咀嚼をしたまま嬉しそうに笑う古都。その魅惑的な笑顔は止めてほしかった。どんどん古都のことが好きになっていくから困るのだ。もちろん容姿だけに惚れているわけではないけど。
そこで僕ははっとなる。何を公衆の面前で恥ずかしいことをしているのか。完全に脳が茹で上がっており、正常な判断を失っていたようだ。慌てて振り返って通路を挟んだ席を見てみると、その席の主は寝ていたので安心した。
「ちっ」
しかし後ろの席から聞こえてきたのは舌打ちだ。僕は思わず頭を抱える。
まぁ、芸能事務所に所属しているとは言え、メジャーデビューもまだのダイヤモンドハーレムだ。そんなメンバーが芸能活動地ならまだしも、新幹線の中で素性に気づかれるとも思えない。とりあえず自分に都合のいい解釈で僕は前を向いた。
この後は特段イチャつくことはなく、古都がボリボリお菓子を食べる姿を横目に、古都の弾丸トークに相槌を打ちながら僕だけは大人しくしていた。しかし古都はお菓子を食べながらトークの手は緩めないから器用なものだ。
すると通路側の席の僕の脇を1人の男が通り過ぎた。現役大学生くらいの年代だろうか? 尤も学生なのかどうかはわからないので、あくまで年代の印象だ。その彼は通り際、冷ややかな視線で僕と古都を一瞥して見下ろした。
この男、実はもう既に何度も僕の脇を通っている。都内から新幹線の下車駅に着くまで約1時間半の道中でその半分以上を過ぎたが、10分に1回は見ているような気がする。だから顔を覚えてしまった。
そして少しして戻って来るのだが、彼は僕たちの2列前の席にいる。何度もトイレに席を立っているのだろうか? 僕も古都も煙草を吸わないので――古都は高校生だからもちろんだが――喫煙ルームからは遠い車内にいる。だから煙草ではないと思うのだが。
そして彼は戻って来る際も、わざわざ振り返るように僕と古都を見るのだ。小太りで、お洒落とは程遠い風貌。髭は剃っているようだが、髪は無造作で整えられてはいない。
そしてこの車内だけならこれほど気にならないのだが、僕の薄い記憶によると、もしかしたら今朝の新幹線でも彼を見たかもしれない。僕はほとんど寝ていたのであくまで「かもしれない」だが、乗降の時にいたような気がする。これも彼をすぐに覚えた要因の1つである。
今朝の新幹線では特に、なんだか重要な夢を見ていた気がして感情が落ち着かなかった。だからそれほど周囲にも目が向かなかった。と言うことは、やっぱり僕の気のせいだろうか?
「大和さん。皆に報告するのが楽しみだね」
するとそんな僕のすっきりしない思考を切るように古都が明るい声を向ける。もう何度目だろうか、この話題は。古都はメジャーデビューの内定をもらえたことに浮かれている。
今日の放課後、ゴッドロックカフェで個人練習をした後に客席に残る他のメンバーに早く自分の口から報告をしたいのだ。そして僕たちが到着する頃には入店しているのであろう週末の常連さんたちにも。
「あんまり浮かれるなよ」
「ぶー、また小言」
古都がそんな不満を口にするので僕はクスクス笑ってみせる。常に気を張っているわけではないが、浮かれて羽目を外さないように気をつけてはいる。僕にはその苦い経験があるから。とは言え、それはダイヤモンドハーレムのメンバーも重々わかっているので、大丈夫だとは思っている。
「いいじゃん、ちょっとくらい浮かれたって。せっかく私たちの上京に合わせてカレシの大和さんも上京するってわかったんだから」
そっちだったか……。ある意味では安心した。
確かにこの件に関しても漸くメンバーに報告できる段階まで来た。夏には親族間で話が決まって、そろそろ報告かなと思っていた矢先に悲しい事故が起きた。その後はフェスだったので、とても自分の門出を報告する余裕がなかった。
それでも今日、拠点も決まった。そして今後もダイヤモンドハーレムの傍で一緒に音楽活動ができるから僕のモチベーションは高い。
「えへへん。それにテレキャスちゃんが正式に私の物になったし」
それもあった。古都はずっと泉からテレキャスターを預かっていた。凄く大事に使っていて、愛着もあるだろう。それが自分の物になって喜ぶ気持ちは理解できる。常連さんからもらったテレキャスターも家での練習用に大事に使っているようだし、そういうところは感心する。
「そう言えば」
すると古都が思い出したように言う。
「来月の雑誌の記事をもってジャパニカンからもメジャーデビューの公式発表があるって言ってたじゃん?」
「うん」
「常連さんにも先に言っちゃダメだったりするのかな?」
「うーん……。1回泉と武村さんに確認してみようか?」
「そうだね」
「まぁ、常連さんだけなら他言無用を言っておけば大丈夫だと思うけど」
「そうだね。常連さんたちには早く教えてあげたいな」
ここにダイヤモンドハーレムとゴッドロックカフェの常連さんたちとの絆を感じる。自分の店のお客さんとこれほどの関係を築いてくれた彼女たちが僕は誇らしい。
その場で泉にラインでメッセージを送ると、予想通り他言無用を条件に常連さんたちへの公表は許された。これを受けて僕と古都は喜んだ。
「と言うことは、響輝さんや泰雅さんにも教えてあげられるね」
「そうだね」
それは朗報だと思う。響輝は言わずもがな、泰雅も既に常連客の仲間入りを果たしている。最近はかつての音楽仲間の訃報が届いたばかりでまだ気落ちしているだろうから、少しでも明るい話題を届けられることに僕は嬉しくなった。
そうこう話していると僕たちは新幹線の下車駅に到着し、そこから1時間弱の道のりを経て、ゴッドロックカフェまで帰って来た。
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