第五十楽曲 第三節

 迎えた10月2週目の日曜日。先月からダイヤモンドハーレムはジャパニカン芸能によるマネージング契約が始まっており、地元のビッグラインで行われたワンマンライブは成功を収めた。そしてこの日は都内の2千5百人規模のライブハウスにいる。

 そこで1つの控室に入れ代わり立ち代わりこの日出演のバンドマンが入室する。手にはサインペンと、色紙や洋楽CDを持っている。その洋楽CDは世界的有名ロックバンド、レッドオフデイのものだ。そう、この控室はレッドオフデイに当てがわれた専用楽屋だ。


「こんにちは。サイン貰えますか?」

「承ります」


 この時入室してきたのは響輝と泰雅だ。彼らも例外なくレッドオフデイのファンである。響輝の要望に英語で答えたレッドオフデイのボーカル、ポール。彼の言葉をこの日通訳として駆り出されたジャパニカンの一般職の女性社員が自身の声で答えた。

 このフェスの功労者である響輝と泰雅だが、表立った行動はしていないものの、スタッフとしてこの日は会場入りしていた。現にスタッフTシャツ姿で首からIDカードを提げている。ダイヤモンドハーレムのローディーを買って出てのことだが、その空き時間に登場である。


 響輝と泰雅が持って来た色紙にまずはいかつい風貌のボーカルのポールがサインを書いた。ポールはストレートロングを靡かせて、色紙をギターのケントに引き継ぐ。端正な顔立ちのケントが書くのを響輝は高揚して見ていた。

 そして色紙はウェーブヘアーのベース、ビーンに引き継がれる。ビリビリロックフェスでポールといかついミニマラソンをしたのもまだ2カ月半前だ。この2人のダイヤモンドハーレム愛が高じてこのフェスは逆オファーである。

 色紙が最後に渡されたのはスキンヘッドで髭面のドラム、サイモンである。サインを書く彼の姿に泰雅は目を輝かせていた。普段はバンダナを撒いているサイモンだが、この時は頭皮が照明の光を反射させていた。


 やがて4人のサインが揃うと色紙が返って来た。響輝と泰雅はメンバーとがっちり握手を交わす。その時にポールが愛想のいい笑顔を浮かべて聞いた。


「名前は?」

「泰雅」

「響輝」


 通訳を介さなくても通じるように2人は短く答えた。


「ワオ!」


 すると目を丸くしたポール。その脇でビーンも反応する。


「もしかして君がリプライを送ってくれたHIBIKIか?」

「そうです」

「感謝しているよ。君のおかげで今回の来日が叶った」

「こちらこそ感謝してます」


 確かに今回のイベントの趣旨を考慮すると、ダイヤモンドハーレムのファンとは言え、これほどのビッグアーティストが賛同して参加してくれたのだから感謝に尽きる。しかしきっかけを招いたのは、自分がリーダーを務めていた元バンドのメンバーが起こした事故だ。手放しで喜べるものではない。

 すると一瞬曇った響輝の様子を悟ったのか、それとも気づいていないのか、それは響輝にとって定かではないが、ポールが言うのだ。


「辛いことがあったのは聞いている。しかし君は私の友人だ。だから眠っている彼も私の友人だ。このフェスで共に回復を願おう」


 訳された言葉で意味を理解した響輝は驚いて、通訳の女性社員を凝視する。これには泰雅も驚いたようで、彼もまた響輝の視線に倣う。その女性社員は眉尻を垂らし、説明をした。


「来日前に色々問い合わせがあって、失礼がないようにと聞かれたことには真摯にお答えしました。だからこのフェスのきっかけになった事故のことも話しています。もちろん被害者と加害者の属性も。それからあなた方との関係も」


 響輝は下した手で色紙をギュッと握り、俯いた。そんな響輝の様子に気づいた泰雅が最後に改めて礼を言うと、響輝を支えて控室を出た。


 加害者側の元バンドのリーダーとしてずっと責任を感じてきた。解散して2年以上が経つが、それでも他人事だなんて言えなかった。ずっと苦しくて、胸が張り裂けそうで、しかし周囲に心配をかけまいと必死で気丈に振舞った。

 けどもう限界だった。響輝は泰雅に連れられて来た会場内の人が寄り付かない場所で涙を流した。何年振りだろう、泣くのは。クラウディソニックが覚せい剤事件を起こした時ですらも泣かなかったのに。


 ずっと罪の意識を背負ってきて、何かやれることはないかと模索して、そして今回ダイヤモンドハーレムが発起人となってこのフェスが実現した。じっとしていられなかった。目立たないように気を付けながらも積極的に動いた。

 そして小さな結果が出る度に安堵した。しかし回復を願うタローのことを思うとまったく喜べなかった。すると集客を見込めるビッグアーティストからの逆オファーだ。これにはさすがに喜んだ。しかし自分の功績であることは一切誰にも口にしなかった。


「少しだけ、ほんの少しだけ、報われたって思ってもいいよな?」


 そんなことを小さく呟きながら、響輝は泰雅の肩に額を預けて静かに泣いた。泰雅は小さく「あぁ」と返事をしてから言うのだ。


「改めて謝らせてくれ。あの時は本当に悪かった」

「受け止める」


 その後、レッドオフデイの控室に入って来たのはダイヤモンドハーレムのメンバーだ。


「こんにちはー。ダイヤモンドハーレムです。この度は出演ありがとうございます。ご挨拶に来ました」

「ワオ!」

「ウホウ!」


 一気にテンションが上がったのはポールとビーンだ。根っからのファンであるガールズバンドの登場に、その巨体を小躍りさせそうな勢いだ。初めての交流に心が躍っている。

 しかし彼らのファンもダイヤモンドハーレムのメンバーの中にいる。美和だ。美和はレッドオフデイのCDとサインペンを手にソワソワしていた。それに気づいたのは端正なルックスのケントである。


「サイン?」

「あ、はい。お願いできますか?」

「もちろんだよ」


 するとケントはCDから歌詞カードを抜き取り、表紙となるジャケットに手早くサインを書いた。それは順々にメンバーに手渡され、4人のサインが揃うと美和は実に嬉しそうにCDを受け取った。

 するとケントが行動に出る。美和をハグして頬に頬を当てたのだ。これに美和は真っ赤になって硬直した。


「大和さんに言いつけるわよ」


 しかし希の言葉が突き刺さって我に返る。慌てて「彼らなりの挨拶だよ」と言い繕うが、希のジト目は引かない。とは言え、美和が憧れているギタリストなのは知っているから、今回ばかりは大目に見ようと思い直す希だった。

 するといかつい風貌のポールとビーンがデレっとした表情で言う。


「私にもサインをください」

「へ?」


 首を傾げる古都だが、その一挙手一投足にもポールはデレデレする。

 ビーンの視線はずっと唯にあるが、人見知りの唯が体の大きな外国人を相手に怯えないわけがなく、委縮している。しかしビッグアーティストなのは聞いているし、失礼がないようにと事務所から口を酸っぱく言われているので、なんとか愛想を保っていた。


「私たちのですか?」

「イエース」


 満面の笑みでポールが古都に肯定をすると、なんとポールとビーンはダイヤモンドハーレムのインディーズCDを持ち出した。


「はっ! 私たちのCD!」


 これにはダイヤモンドハーレムのメンバー全員が驚いた。美和以外の3人だって彼らがどれだけのビッグネームかは周囲から散々聞いている。そんな偉大なバンドのメンバーが、商標登録もされずに国内販売されただけの自分たちのCDを持っているのだ。

 ダイヤモンドハーレムのメンバーは、この2人が自分たちのファンであることをここに来るまで知らなかったのである。


「これは日本に住んでいるロックな友人に頼んで買ってもらっていました」


 通訳の女声を耳にして、それで発送先に国外がなかったのかと納得する面々。因みにポールの口から出た「ロックな友人」の名前もまた、邦楽ロックのビッグネームだから恐れ入る。


「これにサインください」


 事情を理解したダイヤモンドハーレムのメンバーは恐れ多いと思いながらも、要望に応えた。そしてその後は集合したり、各々分かれたりして写真も撮った。それが終わると互いのメンバー同士がっちり握手を交わす。


「このフェスを成功させて共に友人の回復を願おう」

「もちろんです!」


 やがてフェスは開場し、客入りが始まった。

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